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こころのみちしるべ  作者: 110108
現世編
24/102

022.『トラウマ』1

 高い空は黒く、遠くの低い空は赤く染まっていた。消え入りそうな意識の中で青年は地に伏してその光景を見ていた。

 そこはフラマリオンの円形広場だった。噴水や多くの露店は潰れ、石畳の大部分はひび割れ陥没し、一面は瓦礫(がれき)の山だった。目を()らすとその中にいくつかの有機物があった。それはやわらかく温かみをもっているようにも見えた。しかしそれは動かなかった。瓦礫(がれき)の中に半ば埋もれた格好のそれらが瓦礫(がれき)の中でどのような形状を成しているか知れなかった。

 青年は騎士だった。それもこの街の要人を守る近衛(このえ)兵長という特別な立場にあった。しかし青年はそのとき動くことさえままならなかった。重度の外傷のため首を動かすだけでも大儀だった。汗は出る、目は開く、しかし力がほとんど入らない。

 青年の視界の中心には一人の女性の姿があった。白いドレスを身に(まと)い、若く、華奢(きゃしゃ)で美しい。青年に横顔を向けて(りん)と背筋を伸ばして立っている。彼女こそは青年にとって守るべき要人であった。しかし彼女は今まさに命を失いつつあった。

 何もかもがずっと続くと思っていた。平和も、何気ない日常も。何もかも自分の力で守っていけると思っていた。彼女のことも、この街のことも、そこに住まう人々のことも。それが幻想だったと思い知らされ、それが今まさに瓦解しつつあった。ほかならぬ、自身の無力のために。

 風が正面から彼女の美しい髪を乱した。その出所は彼女の正面に佇立(ちょりつ)する、彼女の何十倍もの体積をもつ生き物だった。それは悪魔のような姿をしていた。角をもち、牙をもち、灰色の体表をもち、鋭い目をもった。彼女と怪物は何か二言三言交わしていた。信じがたいことに怪物は言葉を発することができた。彼女は表情も姿勢も崩さずにそれに応じていた。これほど巨大な怪物と対峙してもなお、彼女の(たたず)まいの美しさの均整が乱されることはなかった。両者の会話は青年にはよく聞き取れなかった。

 そのうち諦めたように女性が目を閉じた。会話はそれで終わった。怪物は大きな口を開けた。そこに吸い寄せられるように白い光の筋がどこからか収斂(しゅうれん)した。やがてそれは大きな光の球をつくった。怪物の口腔(こうくう)は光で満ちた。青年は女性を守らねばという焦燥に駆られた。だが彼の筋肉はほとんど機能しなかった。無様に数センチ()うのが精一杯だった。

 一瞬、女性が口元に笑みを浮かべたような気がした。光は無惨(むざん)にも女性に降り注いだ。光は巨大な白い柱のごとく膨大な熱量をもって地に突き立てられ、女性の身を消し潰すと嘘のように消えてなくなった。一瞬土煙が舞った。石畳は焦げて赤熱し、陥没して黒い煙を上げていた。彼女が立っていた空間には冬だというのに陽炎(かげろう)が立ち昇った。光が消尽したあとにはまた嘘のように元の静寂が景色を覆った。

 青年は呆然とそれを見ていた。青年の思考は停止した。やがて大きな昏睡(こんすい)の波が青年を襲った。意識も記憶もそこで一気に途切れた。抗いようもなく彼は闇に飲まれた。

 青年は毛布を払い除け起き上がった。彼は目を見開き、息を切らし、その体中にはじっとりと汗がまとわりついていた。男は左を見た。そこにはいつもの清潔な白い壁があった。次に右を見た。窓から見える空はまだ暗かった。男は目を閉じ、大きく息をついてうなだれた。そのうち呼吸は少しずつ落ち着いた。ややあって男は(つぶや)いた。

「またあの夢か…」

 青年の名はリヒトといった。かつてフラマリオンの祭司であり実質的な最高権力者であった神楽という女性の近衛(このえ)兵長及び自警団長を務めていた。彼は「あの日」の光景を以来何度も夢に見た。四年という歳月が経ってなおその記憶は薄れることなく彼を責め(さいな)んだ。彼はベッドから足を下ろし、サイドテーブルのコップの水を一気に飲み干した。彼は立ち上がると、部屋の壁にかけてあるむき出しの刀剣のうちの一振りを無造作に取り、階下に下り、庭に出た。

 彼はそれを両手で大上段に構えて振り下ろした。彼の鋭い瞳と剣は月明かりに照らされ怪しく(ひらめ)いた。太刀筋は鋭かった。しかし彼は体中の筋肉を必要以上にこわばらせた。そのうち腕か肩かあるいは首筋か頬か、どこかの筋がちぎれそうなほど力を込めた。そんな体の悲鳴など気にも留めず彼は一心不乱に剣を振り続けた。構えては振り、振っては構えた。彼は寝汗の上から汗をかいた。彼の長い髪は頬や喉に貼り付いた。それが剣の修業ではなく心の葛藤(かっとう)、もっといえば自責の念の発露(はつろ)であることは誰の目にも明らかだった。彼は胸中で(つぶや)いた。

「許さない…」

 再び彼の脳裏に悪夢のような光景がよぎった。彼は剣を握る手にさらに力を込めた。彼は朝日が昇るまでそれを続けた。




 リヒトは憔悴(しょうすい)した顔でリビングに現れた。彼の顔からは汗が滴り、彼は少し上気していた。マリアはそれを見て眉根を寄せつつ笑みを取り(つくろ)った。

「あらおはようリヒト。今朝も早かったのね」

 リヒトはマリアを見てさわやかに微笑んだ。何か気の利いた冗談を言おうとした彼だったが、それが勘の鋭いマリアに対して無益なことを知っていた彼は本当のことを言った。

「またあの夢を見た」

 マリアはリヒトが頻繁に悪夢にうなされていることも、それを振り払うように昨晩も庭で剣を振り続けていたことも知っていたため驚かなかった。代わりに彼女は眉に寄せた(しわ)を深くして言った。

「たまにはお仕事休んだら?」

 彼女は彼がそれを聞き入れないことを知りながらそう提案していた。案の定リヒトはそれを拒んだ。

「それじゃいつまで経ってもフラマリオンを取り戻せない」

 マリアはそれを聞いて心の中で嘆息した。対照的にリヒトの顔は明るくなった。

「それに今日は中央の騎士団庁舎でケーニッヒ副団長殿に謁見(えっけん)するんだ。ご本人からのじきじきの招集だ! きっと大きな(いくさ)の役目を(おお)せつかるはずだ!」

 マリアはリヒトに合わせるように笑みを作った。

「さ、朝食にしましょう。まずはお水を飲んで、座って」

 機嫌の良いリヒトは言われるがままに渡されたグラスの水を飲み干し、ソファに腰掛けた。彼は食卓の料理に目をやった。そこには傭兵仕事と鍛錬と悪夢で憔悴(しょうすい)しているリヒトへの気遣いが込められた栄養豊富な料理が並んでいた。そんな気遣いなど知らずにリヒトは言った。

「今朝も豪華だね」

「あなたがすぐ無理をするから、少しでもそれを補わなきゃ」

 リヒトはそれを真に受けずに笑った。

「フラマリオンに君を連れ帰るまで、俺は倒れたりしないよ」

 マリアは胸につかえてなかなか出せずにいる言葉を今日こそリヒトに打ち明けようかと思った。しかしフラマリオン奪還のことを幸せそうに夢想する彼にとって、その目標こそ心の拠り所なのではないかと思うと、彼からそれを奪うことはできず、彼女はその日もその言葉を胸にしまった。

 リヒトは食事を半分ほど()ると「すまない」と言って立ち上がった。マリアは心配そうに(たず)ねた。

「もう行くの?」

 一緒に立ち上がったマリアは彼が再び職務に身をやつすことと十分な栄養を()らずに食事を済ませることが気がかりだった。

「ケーニッヒ殿を待たせて印象を悪くするわけにはいかない。今日は少し早めに出る」

 口を出すわけにはいかない領分だったのでマリアは支度を急ぐリヒトの荷物と着替えの支度を黙って手伝うことしかできなかった。

「じゃあ行ってくる」

 支度が済んだ彼はそう言って微笑むと(やしき)を出て行った。庭を抜けて門を出て角を曲がると彼の姿はすぐに見えなくなった。一人残された彼女は彼が去ったあとも不安げな視線を虚空に投げ続けた。




 リヒトの私邸(してい)は郊外にあった。彼はそこから馬車で中央の騎士団庁舎に向かった。中央の大通りはアーケルシアの退廃を象徴していた。ゴミが落ち、浮浪者が多く、ほこりっぽかった。大通りの一方の脇ではゴミ同然のものが商品として露店に並び、もう一方には華美で、巨大で、無機質な豪邸が建ち並んでいた。その大通りには痩せた市民と太った商人と兵が無秩序に歩いた。

 アーケルシアの政治は機能していなかった。表向きは精霊信仰の国であるが、宗教指導者は権力をもつことを嫌ったため、力をもつ軍人と金をもつ商人が国の行政と司法の権能をほしいままにした。彼らは次第にひっ迫する国の経済状況の中で、しかし自分たちの生活の豊かさを維持し、ときに増長することに腐心した。

 もちろん商人も軍人も国の窮状(きゅうじょう)に気付いてはいた。だが不文律としてその問題を持ち出すことを互いに避けた。国の滅びは半ば避けがたい運命であり、彼らはそれに抗うことを諦め、最後の栄華に耽溺(たんでき)した。

 アーケルシアはムーングロウと呼ばれる大地に位置し、その覇権をルクレティウスと二分する大国であった。

 オーガの襲撃のあとすぐにルクレティウスはフラマリオンに軍を送り込み、支配した。もちろんアーケルシアもそれを奪い返そうと応戦したが、オーガの噂もあって恐怖に(とら)われたアーケルシア兵の士気は低く、フラマリオンという都市国家の堅牢(けんろう)さも相まって、彼らは奪還作戦に失敗し、以後四年間その屈辱的地位に甘んじることとなった。

「ルクレティウスには勝てない」「怪物とは戦いたくない」「瓦礫(がれき)と化したフラマリオンを取り返しても自分には何の得にもならない」そんな心がアーケルシアの兵を腐らせた。そもそも騎士団庁舎で日毎酒と賭け事に興じ、夜は娼館で女を買って暮らす彼らに命を懸けてフラマリオンを奪還する気概はなかった。

 騎士団庁舎は広い敷地をもったが、その建物は高さと真新しさに欠けたためすぐ近くに来るまでリヒトはその存在に気付かなかった。




 騎士団庁舎に着いたリヒトが向かったのは副団長の執務室だった。その扉をノックし「リヒトです。失礼します」と言って入るとそこには色の浅黒い鼻(ひげ)を生やした男が奥の執務机についていた。その脇には小太りで平板な目をした騎士が立っていた。リヒトは慇懃(いんぎん)な礼をした。

「リヒトと申します。お初にお目にかかります、ケーニッヒ副団長殿」

「来たか、リヒト殿」

 リヒトの姿を認めると鼻(ひげ)の男・ケーニッヒ副団長は柔和な笑顔でそう声を掛けた。社交的で世渡りに長けた人物という印象をリヒトは受けた。ケーニッヒは隣に立つ男をリヒトに紹介した。

「こちらは我が側近のタルカス。アーケルシア騎士団の実力派だ」

 リヒトはタルカスと紹介された平板な目をした男に会釈と目礼をしたがタルカスの方はリヒトを見るだけで何の挙措も挨拶もしなかった。

「タルカス、こちらはリヒト殿。傭兵団のリーダーだ」

「リヒトと申します。よろしくお願いします」

 リヒトはタルカスに会釈し挨拶したがタルカスはやはり反応を示さなかった。そんなタルカスを気に留める様子もなくケーニッヒは機嫌良さそうに言葉を継いだ。

「わがアーケルシア騎士団にとってそなたは貴重な即戦力。活躍のほど大いに期待しておるぞ」

「恐縮です」

 フラマリオンの一件で住む土地を失いアーケルシアに落ちのびたリヒトはフラマリオン再興の機会を(うかが)い鍛錬を続けながらアーケルシア軍の傭兵として食いつないできた。元よりフラマリオン自警団団長兼近衛(このえ)兵団団長として名をはせたリヒトは傭兵として無双の活躍を見せた。その噂を聞き及んだケーニッヒがリヒトを正式な団員として招聘(しょうへい)したいと申し出たという次第だった。ケーニッヒは誇らしげに言った。

「知っての通り騎士王は退かれた。よって(わし)が次の騎士王となるわけだが、貴殿にはその実績を最大限考慮し役職として(わし)の補佐に任じたいと考えておる」

 アーケルシア騎士団が傭兵を正式な騎士団員として入団させることは非常に珍しい。正直騎士団に入れるならどのような役職であっても有難かったリヒトは、期待していた以上の役職に就けるとあって大いに喜んだ。

「ありがとうございます!」

 ケーニッヒは満足そうに(うなず)いた。

「このあとは次代騎士王を拝命するため先代騎士王の(やしき)へ参る。貴殿も同行されよ」

 それも騎士王任命の儀に同行するという大役を任務初日に預かるとあってリヒトはさらに喜んだ。

「はい!」

「任命の儀は午後からである。それまでは自由時間とする。何か希望はあるかね?」

 思いもよらぬ「自由時間」という言葉にリヒトは戸惑いつつも、最初の仕事に自身が何をすべきかと考えを巡らせた。彼の胸中に浮かんだのは悪夢の中のオーガと自身の弱さ、そしてフラマリオンで味わった屈辱だった。やや神妙な顔をしたリヒトは(つぶや)くように言った。

「修練場をお借りできますか。鍛錬を、しとうございます」

 おそらく長らく鍛錬を(おこた)るベテランの騎士とばかり過ごしてきたのだろう、団長補佐に任じられてなお鍛錬を所望するリヒトにケーニッヒは戸惑った。

「よ、よかろう。では…(わし)自ら案内しよう」

 リヒトは(こうべ)を垂れた。

「ありがとうございます」




 予想通り修練場には座って雑談に興じる兵が多かったが、ケーニッヒの姿を認めると多くの者が立ち上がってハードなトレーニングを朝から続けているフリをした。ケーニッヒはそれに気付いてか気付かないでか、柔和で心の広い副団長であり続けた。

「ここがアーケルシア騎士団の修練場である。いかがかな?」

 彼は誇らしげであった。リヒトは()めるべき箇所が一つしか思い浮かばなかった。

「さすが非常に広くて気兼ねなく運動できますね。フラマリオンとは大違いです」

 奥に進んでも兵士たちは目の端でケーニッヒとリヒトを見ながら修練をするフリをしている者ばかりであった。

「そうであろう、矮小(わいしょう)国であるルクレティウスとも大違いだ。聞くところによるとルクレティウスの修練場はここの半分の広さもないらしい。だからルクレティウスの兵は痩せこけて生白いのだ」

 ケーニッヒはその痛烈な文句が自らいたく気に入ったようで「ははははは」と豪快に笑った。

 しかしリヒトの印象は違った。ルクレティウスは屋内で使用できる器具による筋力鍛錬を取り入れているらしい。また戦場で生き残り戦に勝利するには体力だけでなく知恵も重要との考えから戦術理解を深めるための座学も積極的に取り入れていると聞く。リヒトは兵士の戦術理解力こそ戦争において重要であると考えていた。事実ルクレティウスが戦術理解のための座学を始めた頃からアーケルシアとルクレティウスの力関係は逆転し始めたように感じる。ルクレティウスの兵は脆弱(ぜいじゃく)なのではなく賢く、洗練された(したた)かさを備えているのではないだろうか。直接交戦する機会はなかったものの、フラマリオン防衛の前線でルクレティウス兵の姿を目にしてきたリヒトにはそのような印象があった。実力よりも威光を選び、最前線よりも自陣の最奥を選びそうなケーニッヒの耳には、そのような耳障りな情報は届かなかったのだろう。対してアーケルシアの修練場はたしかに広いものの、その広さを活かすべく運動する者の姿はなく、広いばかりで他に取柄がなかった。

 するとそこへ遠くから鋭い剣戟(けんげき)が空気を擦過(さっか)する音が聞こえてきた。それは修練を(おこた)る兵たちばかりがいる中で非常に場違いな音だった。それが剣による音だということを誰よりも剣を振るってきたリヒトでさえにわかに信じられなかったほど異質だった。リヒトはその音に()かれ、思わず引き寄せられるようにそちらへ歩を進めた。案内役を買ったケーニッヒは勝手にリヒトが彼の後ろを離れて歩を進めたことに戸惑ったが、仕方なくリヒトについて行った。リヒトがその音の出所へ辿り着くと一人の若い兵が額に汗を垂らし剣を振っていた。ケーニッヒはその姿を認めると、リヒトに彼を紹介した。

「ああ、彼は騎士団に入ったばかりの貧民街出身の剣士だ。なかなか優秀だったので貧民出身だが入団を例外的に認めてやった。これからまだまだ腕を磨かないといけないので必死に毎日頑張っているようだな。まあ必死に頑張っているのは結構なことだ」

 リヒトはその剣戟(けんげき)に見入った。リヒトには自覚はなかったが、彼は自身のかつての姿をその青年に重ねていた。彼の剣戟(けんげき)は鋭かった。非常に荒々しかったが、人の骨肉を断ち切る強さと迷いのなさがあった。挙動のすべてが力強かったが、その反面体はしなやかに舞った。呼吸は力強く、息は乱れても彼の若さと気力がすぐにそれを整えた。彼の体からは汗が滴り、それは冬の空気に触れてたちどころに湯気になり立ち昇った。真っ直ぐな黒髪の一本一本が彼の一挙手一投足により乱れ、しかしその腰の強さが次の動きですぐに元の位置を取り戻させた。

 リヒトには彼の動きについて少し気になることがあった。少し窮屈(きゅうくつ)に感じたのだ。それは彼の動きに由来するように思えたが、よく見ると彼の「意識」のようなものに由来するものであることをリヒトは看破した。

「君」

 リヒトは思わず彼に声を掛けていた。声を掛けたことにリヒト自身が少し戸惑うほど唐突だった。青年は剣を振るう手を止めてこちらを見た。青年は初めて見る者の姿に戸惑ったが、横に立ち並ぶケーニッヒの姿を見て緊張を全身に(みなぎ)らせた。青年は隣に立つリヒトのことも相当な身分の持ち主と見てかしこまった言葉を返してきた。

「はい! どういったご用件でしょう!」

「今日は剣の鍛錬か?」

 青年は当たり前の質問に戸惑った。もしかしたら怒られると感じたのかもしれない彼は一層体をこわばらせた。

「は、はい…!」

「誰に言われてしている?」

 青年は何かを試されているように感じて言い(よど)んだ。

「その、騎士ですから…」

 戸惑う青年をリヒトは気遣った。

「騎士は有事以外は鍛錬に(はげ)むものだ。それは正しい」

「は、はい!…」

 なおもリヒトは質問を重ねた。答えに辿り着くにはもう少し問答が必要だった。

「剣は誰に教わった?」

「教官です…!」

「今見せた剣の型も教官に習ったのか?」

「はい、そうです!」

「もうやらなくていい」

 これには言われた青年も隣のケーニッヒも驚き戸惑った。青年は再び言い(よど)んだ。

「えっと…」

「俺はリヒト。君、名前は?」

 青年は「リヒト」という名を聞いて唖然とした。フラマリオンで近衛(このえ)兵団団長を務め、アーケルシアに移ってからは傭兵として万軍の活躍を見せる伝説のような男だ。

「ユスティファ、挨拶を」

 唖然とするあまり返答するのを忘れてしまっている青年の無礼をケーニッヒが正した。ユスティファと呼ばれた青年は慌てた。

「すっ、すみません! ユスティファと申します。騎士団はまだ一年目です」

「ユスティファ、教官はどこだ?」

 その問いにはケーニッヒが代わりに答えた。

「教官はおそらく今は他の執務が——

 ケーニッヒが答え終わるより先にリヒトが押しかぶせて言った。

「教官の言いつけなんていい。君の本来の戦い方を見せてくれ」

 ユスティファはここへ来てようやくリヒトからの一連の質問の意図を正しく理解した。しかしそれを実行することを彼の内に刻まれた「教官の言いつけ」が(とが)めていた。ユスティファはもう一度だけリヒトを見た。

「はい…」

 ためらいがちに返事をした彼だがその実覚悟は決まっていた。彼は練習用の剣が複数立てかけられてある棚へと向かった。剣の型を見せるだけであるにも関わらずわざわざ剣を取り替えようとする彼の背中をリヒトもケーニッヒも不思議そうに眺めた。ユスティファは今手に持つ剣を戻すと、代わりに右手で短めの剣を手に取った。彼はさらに反対の手で同じ短さの剣を抜き取った。両の剣を高く掲げて見た彼はどちらの剣を使うかを選んで不要な方を返却するかに思われた。しかし彼はどちらをも手に持ったままリヒトたちの前に戻って来た。ケーニッヒは戸惑ったままだったがリヒトはユスティファの意図を理解して嬉しそうに笑った。

 ユスティファは腰を低く落として構えた。彼は右手に持った剣を逆手に持ち替えた。一瞬の静寂ののちに彼は剣を振り始めた。鋭く速く、二本の剣は彼の体の前で横で、時には後ろで鋭い太刀筋を空に刻んだ。彼は時に剣の持ち方の順逆を入れ替えた。先刻の剣戟(けんげき)とは比較にならないほど素早く無駄のない太刀筋だった。彼の体は伸び伸びと躍動し、それを縛るものはもうどこにもなかった。もちろんリヒトとケーニッヒの面前とあって多少の緊張は見せたが、それも一太刀振るごとに薄らいでいった。総重量でいえば無論二刀流になった今の方が重い物を持っていることになるが、彼の体はロングソード一本を振っていたときより鋭く素早く動いた。リヒトに思いつく理由はいくつかあった。バランスが良くなったこと、彼自身が慣れていること、彼の本来の型に戻ったことで彼自身が剣の振りを楽しんでいること。先輩と思われる周りの剣士たちもそれを見て感嘆の声を漏らしていた。若輩者による双剣による演武という珍奇なものを見て最初だけは馬鹿にして笑う者もいたが、彼らもリヒトが食い入るように見るのを見て態度を変えた。リヒトはユスティファに声を掛けた。

「ユスティファ」

 彼は手を止めてリヒトを見て(たたず)まいを正した。

「はい!」

 リヒトは若い騎士の見事な演武を(ねぎら)うべく力強い微笑みを返した。

「そっちのがいいよ」

 ユスティファの顔が明るくなった。

「ありがとうございます!」

 リヒトはそれだけ言うと自身もまた鍛錬を行うため修練場の空いている場所に歩を進めた。ケーニッヒはやや戸惑いながらそれに続いた。リヒトはユスティファの剣戟(けんげき)に素直に感動していた。

 しかしそれ以外の者たちの(なま)けぶりには落胆した。このままではアーケルシアはいずれルクレティウスに負けるな、とリヒトはぼんやりと思った。

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