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こころのみちしるべ  作者: 110108
ルクレティウス編
102/102

100.『はじまり』2

 ルナは西門で馬車を降りたあと街道の北沿いの林の中を走っていた。彼女が走ると身に付けた腕輪やイヤリングがしゃらんしゃらんと涼やかな音を立てた。それが奏でる静謐(せいひつ)な響きとは裏腹に彼女は必死に汗を流し息を切らした。

 彼女はその恐ろしい予感を否定しながら走った。しかし皮肉なことにそれに近づけば近づくほどそれは確信へと変わっていった。

 彼女はその正体を知っていた。この地で起こりうる悪夢といえば決まっている。過去にもそれは実際に起きていた。悲劇が繰り返される。

 (かす)かに地鳴りのような響きと草木のざわめきを遠くに聞いたルナは足を止めた。彼女は木に手を付き、うつむき、息を切らした。彼女が恐る恐る視線を上げるとそれは視界の端、遥か遠くに姿を現した。彼女は絶望し、眉根を寄せて(つぶや)いた。

「始まってしまった…」

 彼女が視認したもの、それは紛れもなくオーガの行軍だった。砂埃を巻き上げ、草木を揺らし、地を踏み鳴らしそれは真っ直ぐルクレティウスへ突き進んでいた。その中にはオーガの雑兵だけでなく韋太夫(いだゆう)と他のオーガとは異なる外見的特徴をもつ八体のオーガの姿もあった。さらにそこにリヒトの姿までもがあったことが絶望に打ちひしがれたルナの心に追い打ちをかけた。

 彼女は木陰に身を隠し、オーガの行進が奏でる地響きに(おのの)き、それに脚が(すく)んだ体を木に手を添えて支えた。そうしなければ疲労と絶望で倒れてしまいそうだった。彼女は(つぶや)いた。

神楽(かぐら)、世界は滅ぶわ…」

 彼女は固く目を閉じ、かぶりを振った。

「リヒト、あなたまでオーガに(くみ)するなんて…」

 彼女は唇を震わせながら目を開けた。彼女は今一度オーガの群れの行進を凝視した。

 やがてオーガの群れはルナの目の前を通り過ぎて行った。オーガが去った場所に生えていた草花はみなことごとく潰れていた。土煙が派手に舞った。彼らが去ってもその足音はこれから始まる醜悪(しゅうあく)な地獄の幕開けを告げるドラムのように鳴り響いた。

 だんだんとその音が遠ざかると、林には嘘のように静けさが帰ってきた。彼女はすっかり絶望に(さいな)まれた心で、しかしその中に一縷(いちる)の希望を見出していた。それは四年前の出来事。フラマリオンの広場の建物の影でルナは韋太夫(いだゆう)による破壊のあり様を目撃していた。彼女はその際に神楽(かぐら)が一人の少年に一振りの剣を託すのを見た。オーガの大群が残した凶兆の余韻の中で、希望にすがるような眼差し上げてルナは(つぶや)いた。

「でも神楽(かぐら)、あなたが託した剣なら…もしかしたら…」




 オーガの大群は波濤(はとう)のようにゆっくりと、しかし確実にルクレティウスの城壁との距離を詰めていた。それは人智ではもはや(あらが)うことはできない現象であり光景であった。訓練を受け、アーケルシアを相手に勇猛果敢に戦ったルクレティウス兵たちも、オーガと戦う術など知らず、オーガの大群が迫り来た際の対処法など教わっていなかった。見張りの兵たちにできることは慌てふためくことだけだった。

 すでにオーガの大群が押し寄せているという情報はゲレーロをはじめとする見張りの担当による警鐘と報告によりルクレティウス内の騎士団の多くに知れ渡っていた。しかし城壁内で応戦準備を進めている兵たちの慌てふためきぶりは見張りの兵たちのそれよりなおひどかった。まだ敵の姿を視認していない彼らは伝承の化け物を想像し、彼らの恐怖は想像力の大きさと時間の経過とともに(つの)り大きくなった。

 しかしルクレティウス西門の上に立ち並ぶ騎士たちだけは様子が違った。彼らは他のルクレティウス兵たちとは対照的に真っ直ぐにオーガの行軍を見据えてたじろぎもしなかった。その騎士の数は六。彼らは迫り来る異形の群れを迎え撃つようにそれに対し平行に一文字に立ち並び、それを平然と見下ろしていた。

 しかしよく見ればそのうち一人の者の腕は震えていた。彼はその震える手を顔の辺りにもってくるとそれを固く握って拳をつくった。彼はその顔に喜悦と興奮の笑みを浮かべて言った。

「ついに来たぞ夢にまで見た瞬間が…」

 それを聞いて隣に立つスレッダが言った。

「嬉しそうだな、グレン」

 オーガに視線を向けたままグレンは答えた。

「当たりめぇだろ、あんな化け物どもを殺せるんだ…」

 へへへ…、と下卑(げび)た笑い声をグレンは立てていた。グレンに問いを投げたスレッダは静かにオーガの群れに視線を投げていた。彼の横顔には対照的に笑みはなかった。オーガの群を率いているのは伝承のオーガとは異なる見た目をした異形の怪物たちだった。鳥の姿もあれば龍の姿もある。その中に一つだけ彼らと並んで歩く人間の姿もあった。スレッダは目を(すが)め、彼の姿を真っ直ぐに見据えながら独りごちた。

「リヒト、お前どうして…」

 オーガの群を見下ろしていたハクはつまらなさそうにぽつりと言った。

「雷で焼き殺せば一発だろあんなの」

 その隣にいるフェリックスはそれに冷淡な問いを投げた。

「あんな皮が分厚そうな連中に雷が効くのか?」

 それを聞いたハクは鼻で笑った。

「雷に皮の分厚さは関係ねえよ。生き物である以上何でも焼き殺す」

 それに対しフェリックスはさらに意地悪な質問を投げた。

「お前の雷で生き残った兵士がいただろ?」

 それはアーケルシアから攻めて来た騎兵の軍勢を率いていた若き騎士を指していた。それはハクにとっても忘れられぬ汚点だった。それを思い出させられたハクはにわかに気色ばんだ。

「あれはまぐれだ! 雷を逃がすようなものをたまたまアイツがもってただけだ!」

 思惑通りハクが怒ったためフェリックスは企みの成功に少し笑った。しかし彼はすぐに神妙な視線を迫り来るオーガに向けて心の中で(つぶや)いた。

(しかしまあ実際あんなのにこちらの攻撃が効くのかどうかは大きな問題だな)

 その隣にはリュウガがいた。彼はグレンやハクのように興奮もしていなければ、スレッダやフェリックスのように神妙にオーガを見据えているわけでもなかった。彼はただ淡々とオーガを見ているだけで、彼の胸中は誰にも(うかが)い知れなかった。彼らの中央にはレオが立っていた。

「心してかかれよ。こないだのアーケルシアの連中より強いぞコイツら」

 しかしそう言う彼も楽しそうに口の端を吊り上げていた。彼は言葉を継いだ。

「今度こそ全力を出しそびれるなよ」

 彼の声は低く鋭くなった。彼の目にも闘争心の赤い光が(にじ)んでいた。

「こんなチャンスは二度とねえ」




 真琴は魔女の家のベッドの上に横たわっていた。真琴の(かたわ)らにはマナが座って彼の看病をしていた。

 マナはかつて心のどこかで真琴を疑っていた。無理もない。彼はルクレティウスの兵士である。彼女を殺めようとした組織の一員なのだ。めまぐるしく様々な経験をした彼女の心の内は猜疑心(さいぎしん)でいっぱいになっていた。

 しかし真琴は命を()けてグレンと戦い、マナを守ろうとした。その結果重傷を負い、強烈な力を発動させ、それにより憔悴(しょうすい)し、今もこうして意識が戻らない状態に(おちい)っていた。マナはささやくように言った。

「真琴、疑ってごめんなさい。お願いだから死なないで」

 怪我は治りつつあった。しかし負傷と『剣』の力の行使のために彼自身体力を大幅に使ってしまい、衰弱が激しかった。また衰弱していたのは真琴ばかりではなかった。マナは彼の治療のために魔力を二晩夜通し行使し続けていた。彼女はお茶を()れるため眠い目をこすり、疲労でふらつきながら立ち上がった。ベッド脇の椅子から背後を振り返ればすぐそこにキッチンはあったが、その日はそれさえ遠く感じられた。

「由衣…」

 するとかすかな声がした。マナは慌てて振り返った。ベッドの真琴が目を覚ましてこちらに目を向けていた。

「真琴!」

 彼女は急いでベッド脇の椅子に腰掛けて真琴の容態を(うかが)った。

「大丈夫? どこか痛くない?」

 真琴は(うめ)くように言った。

「…大丈夫。ごめんね」

 マナは驚いた。

「…どうして謝るの?」

 真琴は苦しそうに言葉を吐き出した。

「俺が…尾行されてた。君を…危険な目に遭わせた」

 それを聞いてマナはいつか初めて真琴に会ったときのことを思い出していた。あのときもマナは真琴を疑った。しかし彼の言葉にはいつも嘘はなかった。

「いいのそんなの。私の方こそ疑ってごめんなさい…」

 マナは目に涙をためた。

「どうして…あんな無茶なこと…」

 真琴はかすれそうな声で言った。

「君を守りたかった。きっとそのためにこの世界に来た。もしそれが叶わないなら、生きてる意味なんてない」

 マナは眉を(ひそ)めた。

「どうして…そんな…」

 真琴はマナの優しい声を聞いていつかとは真逆だなと思った。彼は上体を起こそうとした。すると肩が強烈な痛みを訴えた。

「…っ!!」

 真琴は声にさえならない(うめ)きを上げた。体を縮こませて痛みに顔を(ゆが)める真琴の背中をマナは慌ててさすった。

「無理しないで。まだ治ってないんだから」

 真琴は先日のグレンの斬り下ろしを思い起こした。それを必死に受けて自身の剣で傷ついたときの痛みを思い起こした。今思えばそれは恐ろしい記憶であり経験に他ならなかった。真琴は呆れたように苦笑しながら何とか上体を起こした。彼はマナを見た。

「ありがとう」

 由衣はそう言われてあらためて真琴の顔をじっと見た。彼女は深い感謝とともに微笑みかけた。

「こちらこそありがとう。あたしを守ってくれて」

 恐ろしい記憶を思い起こしていた真琴は、しかしマナのその言葉の響きに心を洗われた。ふと思い出したようにマナは(たず)ねた。

「ところで真琴はあの力をどうやって手に入れたの?」

 呆然と思考を巡らせた真琴は返答に(きゅう)した。実のところ彼にとってもあの力の発動は唐突なことだった。彼は戸惑いながら答えた。

「…わからない」

 マナは質問を重ねた。

「あれっていわゆる『剣』でしょ?」

 真琴はその問いについて考えてみた。自身の力がジンの講義にあった『心の剣』や『祈りの刃』に類するという可能性を考えていなかった彼だが、胸から発せられる白い光の中からその刀身が中空に現れるという特徴はまさにそれに他ならなかった。

「そう…だね…」

 そこへきて真琴はずっとマナに頼みたかったことを思い出した。今ならそれを言っても良いような気がした。

「なあ由衣、餓幽(がゆう)ってヤツと話をさせてくれないか?」

 マナはその唐突な頼みに愕然とした。

「え!?」

 彼女は大いに戸惑った。しかし彼女がためらっているうちに彼女の口から面倒臭そうにぼやく男の子の声が出た。姿はマナのままだが、声は餓幽(がゆう)のそれだった。

「何でてめえとなんか話さなきゃならねえんだ?」

 真琴は一瞬そのちぐはぐな光景と「オーガと会話をしている」という状況に戸惑ったが、すぐに調子を取り戻して(たず)ねた。

「いや、一体お前は誰で、どうして由衣の中にいるんだよ」

 マナは、いや餓幽(がゆう)は口を尖らせて真琴に言った。

「初対面の相手に向かって『お前』とは何だよ」

 真琴は言い返した。

「初対面じゃねえだろいきなり俺の腹に穴を開けたくせに」

 マナの口を借りて餓幽(がゆう)は認めた。

「ああ、まあ、それもそうか」

 餓幽(がゆう)は眉を少し上げてから腕組みして何か悩んでいた。

「そうだな。まあ気になるよな。それに…」

 餓幽(がゆう)は少し言葉を選んでいるようだった。彼は真琴を見た。

「聞く権利はある。特にお前にはな」

 餓幽(がゆう)の言い回しに含まれる意図はわからないが、真琴は黙って餓幽(がゆう)の言葉の続きを待つことにした。

「まあマナから聞いてるだろうけど俺はオーガだよ。で、お前が聞きたいのは結局『オーガってそもそも何か』ってのと『オーガの中でも俺はどういう存在か』ってのと『俺がなんでマナの中にいるか』ってことだと思うんだよな。ここまではいいか?」

 真琴は餓幽(がゆう)(いぶか)る目を向けながら(うなず)いた。

「ああ」

「で、まずオーガってのはまさにお前たち人間が伝承で伝えてる通りの存在だよ。人間を(しいた)げて地上を()べてた存在。で、オーガの中でも俺がどんなヤツかってのは悪いが全部は話せない」

 真琴は餓幽(がゆう)の歯切れの悪さにやや苛立(いらだ)ちを覚えた。餓幽(がゆう)は構わず続けた。

「ただまあ見てわかる通り俺の得意技は治癒だ。オーガにも個性がある。打撃が得意なヤツもいるし妙な術を使うヤツもいる」

 真琴は目を(すが)めながら何も言わずに先を促した。

「で、俺がどうしてマナの中にいるかだけど、悪いがそれも話せない」

 真琴はいよいよ我慢ができなくなり餓幽(がゆう)(とが)めた。

「話せないこと多すぎだろ。もう少し話せよ」

「まあ待て。じゃあ一つ言うと、偶発的なものではないってことだ。人為的な原因で俺はマナの体の中にいる」

 真琴は反芻(はんすう)した。

「人為的な原因…?」

「ああ。悪いけどその人為的な原因が何かってことも話せない」

 真琴は怒りを通り越して呆れた。

「お前な——

 餓幽(がゆう)(とが)める言葉を言いさした真琴はにわかに別の疑問に思い当たった。彼はそれを先に聞くことにした。

「ってかお前由衣が殺されかけてるとき何やってたんだよ。お前強制的に由衣と入れ替われるんじゃなかったのかよ」

 餓幽(がゆう)は肩をすくめた。

「治療だよ。実は内側からこっそりマナを治療してた。俺がそうしなきゃマナはあの雷——

 餓幽(がゆう)は続きを話そうとしてやめた。真琴は(いぶか)った。餓幽(がゆう)の声のトーンが急に低く鋭くなった。

「おい、やべえぞ…」

 真琴は急に顔色を変えたマナを見て自身の顔も険しくなったのがわかった。真琴は恐る恐る(たず)ねた。

「やばいって、何が…」

 餓幽(がゆう)慄然(りつぜん)としていた。彼はマナの顔貌(がんぼう)に焦りにも怒りにも似た表情を浮かべていた。

「あいつら、始めやがった…」

 真琴は呆然とし(たず)ねた。

「だから、何を…」

 マナは鋭い目を真琴に向けて餓幽(がゆう)の声で言った。それは真琴の慮外の一言だった。

「人類の殲滅(せんめつ)だよ!」

 それをにわかには信じられなかった真琴は狼狽(ろうばい)した。

「誰が一体そんなこと…!!」

 餓幽(がゆう)は吐き捨てるように答えた。

「オーガだよ」

 真琴は愕然とした。

「そんな…」

 餓幽(がゆう)は付け加えた。

「オーガの王・韋太夫(いだゆう)だ。アイツらルクレティウスへ侵攻してる。多くのオーガを引き連れて」

 それを聞いて真琴は急いで立ち上がろうとした。しかし肩の痛みは彼の立ち上がる意志さえねじ伏せた。

「いてっ!」

 ベッドから出た彼はうずくまり、床に手をついてしまった。

「無茶しないで!」

 そう言ったのはマナの声だった。真琴は顔を(しか)めながらマナを見て言った。

「みんなが、危ないんだ…!」

 マナは真琴に言い聞かせた。

「だけど、こんな大怪我して、治ってないんだよ…!?」

 真琴はそう(さと)されてもなお痛みをこらえて立ち上がった。マナは焦った。

「ちょっと!」

 彼は出口に向けて体を引きずるように歩き出した。床に落ちていた自身の荷物を見つけると彼はそれをひったくるように持ち上げたが、その重みは彼の体の痛みをぶり返させ、彼はさらに(うめ)いた。

「ぐっ!」

 しかし彼はその鞄を勢い良く担ぎ上げて肩にかけるともたれかかるようにドアを押し開けた。

 マナはその背中に悲鳴にも似た声で嘆願(たんがん)した。

「無理だよやめて!」

 彼はそれに耳を貸さずに外へ出て行った。足取りは重かった。それでも、いやだからこそ彼は必死に前に向かって体を投げ出していった。マナも慌てて彼を追って外へ出た。

「やめて!」

 真琴は歩を止めて振り返ってマナに言った。

「急がないと…間に合わない…!!」

 マナはかぶりを振った。先日自身を守るためにグレンに傷つけられた真琴の姿を彼女は思い出していた。彼女は目に涙を浮かべた。

「やめて…。間に合ったとしても…真琴が死んじゃう…」

 マナの涙を見た真琴は驚いた。彼女がうつむけた顔を上げて真琴と目が合うと、それは片方の目から一筋こぼれた。

「由衣…」

 真琴はマナに掛ける言葉を探してうつむいた。思い詰めたように流すその涙を見て彼は申し訳なくなった。

「ごめん由衣…でも…」

 二人は再び目が合った。真琴は苦しそうな顔で少し言い(よど)んだ。しかし迷いを断ち切るように言った。

「俺が巻き込んだんだ。みんなを」

 マナは何と答えれば良いかわからなかった。彼は再びうつむいて硬い声音で言った。

「俺さ、自殺するつもりだったんだ」

 マナは目を見開いた。

「え…」

 真琴は言葉を継いだ。

「自殺するつもりで月見が原の樹海に入ったんだ。それをみんなが止めようと追いかけてくれて…」

 そのときの記憶を辿るように彼は話した。

「そしたら『たすけて』って声がして、体の周りが白くなって、その光に飲み込まれて…」

 真琴がこの世界に来た経緯を彼女が聞くのはそれが初めてだった。彼女はただ真琴の言葉に耳を傾け続けた。

「気付いたらこの世界にいたんだけど、みんなもそれに巻き込まれたんだ」

 マナには真琴が彼自身を責めていることが伝わってきた。彼女はどう声を掛けて良いかわからなかった。

「だから、俺のせいなんだ…」

 マナは否定しようとした。

「そんなの!…」

 だがそれ以上の言葉がうまく見つからなかった。真琴は絞り出すように言った。

「だから、俺が守らないと…」

 マナはためらうのをやめて言った。

「そんなの真琴のせいじゃないよ!」

 真琴は顔を上げてマナを見た。

「もう一つあるんだ」

 マナは唖然とした。

「え?」

「もう一つ俺がみんなを守る理由があって…。みんな、誰も俺を責めなかったんだ」

 真琴は目を閉じた。

「そんでみんなで約束してくれたんだ」

 彼は目を開けて力強く言った。

「『絶対にみんなで帰ろう』って」

「みんな」という言葉を口にした真琴の胸中には翔吾の姿が去来して彼を責め(さいな)んだ。マナは眉根を深く寄せた。

「真琴…」

 彼は自身のふがいなさに歯噛みしつつそれでも力強く言った。

「だから俺は守るんだ。命に代えても」

 マナはかぶりを振った。彼女は「命に代えても」という言葉を承服できなかった。

「だめ…」

 マナの思いを感じ取った真琴は心苦しさを覚えた。彼にはもう一つマナに言っておきたいことがあった。彼は少し逡巡(しゅんじゅん)してから重い声でそれを口にした。

「なあ由衣」

 マナは真琴を真っ直ぐに見た。

「もし、もしも…元の世界に戻る方法がわかったら…」

 マナは目に涙をいっぱいに溜めていた。真琴もマナを真っ直ぐに見た。

「一緒に帰ろう」

 マナは目を細めた。

「必ず俺が元の世界に戻る方法を見つけ出す」

 マナは元の世界のことを知らない。こんなことを言えばマナを混乱させて困らせるだけだとわかっていた。だがそれでも伝えたかった。真琴は返事のできるはずのない彼女から返事を取り付けるつもりははじめからなかった。困惑するマナをよそに彼は返事を待たずに別れの言葉を告げた。

「由衣、ありがとう。ごめん!」

 彼は(きびす)を返した。彼は森の中へと歩を進めた。マナはその背中に呼び掛けた。

「真琴!」

 マナはそれ以上何を言えば良いかわからなかった。彼女の声はほんの少し森にあてどなく残響して消えた。

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