第六十四話 刺客
ユシアは本能でなにかを感じたーー後ろからブーツが石畳を蹴る音が聞こえてきた。
咄嗟に振り向き、背中の〈エルスパーダ〉に手をかけた。
すると、曲がり角から黒いローブにフードを被った人物の姿が現れた。
脳裏に過ったのは〈灰人〉だったーーマルバーラの近くと宿屋で何者かの視線を感じていたーーしかし、今ユシアの目の前にいるのは〈灰人〉ではなかった。
「誰だ!」
ユシアは叫んだ。
あの時感じた視線はこの人物のものだったのかと思ったが、すぐに違うことに気がついた。
なぜなら、あの視線はもっと不気味で邪悪そのものだったからだ。
「よく気づいたわね......感心、感心」
黒いローブの人物がフードを脱いだーー長い黒髪に妖艶な紫の瞳と唇をしていた。
そして雪のように白い肌ーーそれは女性だった。
女は腰にかけてある剣に手をかけ、引き抜いた。
「あなたたちの正体は知ってるわよ。ユシア......そしてエリーセ王女様」
女はいやらしい笑みを浮かべた。
正体を見抜かれているーーユシアは剣を抜き、魔法剣を発動させた。
暗い路地を溶岩の明かりが照らしている。
「綺麗ねぇ......魔法剣〈エルスパーダ〉。〈デュナミス〉の使い手だけに許された特殊な魔法剣」
女は剣を前に掲げると、剣身が緑の光に包まれた。
その瞬間、女は目にも止まらぬスピードでユシアへと臆せずに向かってきた。
「〈エルスパーダ〉で叩き斬ってやる!」
ユシアには自信があった。
怪物を討伐し、シェルプール川で帝国軍、グレンデルの森で〈灰人〉、ドレモス砦ではオークと戦ったーーそして、王都ミナリスでは神獣サラマンダーやシヴァンとも戦った。
そこらへんの相手には負けないーーいつしかそんな自負を無意識のうちに持つようになっていた。
「それはどうかしら?」
ユシアの〈エルスパーダ〉と女の剣がぶつかり合ったーーしかし、溶岩の剣を持ってしても、女の剣は斬れなかった。
「......なっ、なんだとっ......!」
ユシアが力いっぱい足を踏みこみ、両手に力をこめても、女が持つ緑に光る剣は溶岩を纏う〈エルスパーダ〉でさえ、切断することができなかった。
「どうしたの、坊や? 自慢の〈エルスパーダ〉はそんなものなの?」
女はこの状況を楽しんでいるようだった。
「なんで切断できないんだっ! その剣、どうなってる!」
「ーーさぁね!」
女はユシアの魔法剣をはじくと、素早い剣撃を次々と浴びせてきた。
ユシアは受けるのが精いっぱいで、防戦一方になっていた。
「反応が遅すぎるわよ、ユシア」
そう言うと、女はユシアの胸の前に手をかざしたーー掌に風の渦ができ、一気に放出された。
その波動は波打つように全身へと広がっていき、ユシアは後方へと吹き飛ばされた。
受け身を取る余裕もなく、地面に打ちつけられると、その衝撃で一瞬呼吸が止まった。
「神獣を倒したって聞いたから、どんなものかと思ってみれば、この程度とはね。それとも、わたしが女だと思って見くびっているのかしら?」
「お前、何者だ!」
ユシアは起き上がると、呼吸を整え、女に向かって行ったーー〈エルスパーダ〉で振り払うと、女は軽い身のこなしでユシアの頭上を舞い、背後を取った。
ユシアはすぐに身を翻し、女の剣を受けた。
再び目にも止まらぬ斬撃が飛んでくるーーじりじりと追い詰められ、後退させられていく。
ユシアの額から大粒の汗が頬を伝うーー対照的に女は汗一つかかず、笑みを浮かべ、涼しい顔で剣を振るっている。
「なんで〈エルスパーダ〉が効かないんだっ......!」
焦りと戸惑いがユシアの頭の中に広がっていたーーそれが次第に思考を鈍らせ、判断力を曇らせていた。
今のユシアには冷静に相手の行動パターンを分析することなど不可能に等しかった。
「〈赤銅の剣〉ご自慢の〈デュナミス〉も所詮はこの程度かーーそろそろ本気で行くわよ!」
女の目つきが鋭く変わったーー剣を振るう速度は増し、力もぐっと上がった。
ユシアは耐えられなくなり、斬撃から逃れるために後方へと跳び、間合いから離れた。
「あら、もうお手上げ? 神獣を倒したのはマグレだったようね」
女がユシアとの距離を縮めようとしたその時、突如女の背後から蒼白い稲光が路地に轟いたーー咄嗟に反応した女は緑に光る剣で稲妻を受けると、それを払いのけた。
ユシアは呆然と立っていたーーその稲妻を放ったのは、女の背後にいたエリーセだったからだ。
「エ、エリーセ......! 今の魔法、お前が......?」
「言ったでしょ、ユシア? 魔法も使えるのよーーわたしも少しは役に立つでしょ?」
エリーセが得意気な顔をしている。
「これは王女様......〈雷光〉の魔法を使えるとはーー素晴らしい」
女が油断した一瞬の隙をユシアは見逃さなかったーー一気に跳びかかり、〈エルスパーダ〉を女に振り下ろした。
女は僅かに反応が遅れ、溶岩の剣が太腿を掠めたーー溶岩の熱で一部が溶け、焦げた。
一瞬、苦痛に表情を歪めた女だったが、ユシアを見ると口元に笑みを浮かべた。
「効いたーー」
女の持つ、緑に光る剣にはまるで効果がなかったのに対し、肉体には通用するようだった。
「今の攻撃は素晴らしかったわ、二人とも。戦いの最中に油断したのなんて、いつ以来かしら」
女は満足そうにユシアとエリーセを見ていた。
「なにが目的だ。お前はいったい、何者なんだ!」
「ーーいいわ、答えてあげる。わたしは〈ブラッドオーダー〉のヘルガ・ネッツァー。サラマンダーを倒したと言う、あなたに興味があってね」
「ブッ、〈ブラッドオーダー〉! シヴァンは生きているのか!」
「もちろんよ」
神獣を倒したあの日ーー〈アストラル〉の光に包まれ、ユシアは気を失い、気がつくとシヴァンの姿はなくなっていた。
奴は必ず生きているーーそんな確信めいたものがユシアの心の中にはあった。
「あなたとはもっと楽しみたいわーーユシア!」
ヘルガが剣を構えユシアに向かってくる。
その時、路地の影から気配もなく手に剣を持ったベルドが姿を現し、両者の間に割って入った。
「ベルド!」
ユシアが叫ぶと、ベルドはヘルガの斬撃を自らの剣で受け止めた。
「〈ブラッドオーダー〉かーー失せろ! お前の相手をしている暇はない」
ベルドが相手の剣をはじいた。
ヘルガは微笑みながら跳躍し、建物の屋上へと着地した。
「残念。今日はここまでのようねーーまた会いましょう」
そう言うと彼女はユシアたちに背を向け、走り去って行った。




