第5話 婚約破棄ケース2~泥棒イタチの追い払い方③~
――時間が動き出す。
同時に、音も人の心も動き出した。
記憶の一部を失くした観客者達は、ロゼルを取り囲んでいた事を不思議に思いながら、それぞれの場所へ散っていった。
魔法を解かれたロゼルは、目の前にいるリーフィアの元へ駆け寄る。
「リーフィア、すまない。また俺は……。いや、ありがとうと言うべきだな」
「……」
「――リーフィア?」
「少し……休みたいわ、ロゼル」
「分かった。空いている部屋を貸してもらえるよう、手配する」
ロゼルはリーフィアの様子がおかしい事に気付いた。
記憶に乱れが生じ、数分前の事が朧気にしか思い出せない時は、大抵厄介事が起きたのだと知っている。
その厄介事の原因が、ロゼル自身にあるという事も。
しかし、いつものリーフィアはここまで酷い顔をしていなかった。
何かあったのかと問いかけたくても、ロゼルはリーフィアの事を考えると口を閉ざすしかなかった。
リーフィアを抱きかかえ、そっとロゼルは大広間を後にした。
その2人の姿を見守っていたアデルもまた、2人の後を追い人知れず消えていった。
◇◇ ◇◇
ロゼルの腕の中で、リーフィアの瞼が重くなる。心地よい揺れは、リーフィアを夢と現実の間に閉じ込めていた。
そんな中で、リーフィアの耳はロゼルの言葉を聞く。
「絶対に見つける。絶対に――」
滅多に怒る事のないロゼルが、焦りと苛立ちを見せている。
(ロゼル、大丈夫よ。呪いを解く方法を私も絶対見つけ出すから)
言葉にして伝えたいのに、口は動かなかった。やがて意識は落ちていく。
ロゼルはリーフィアをソファに寝かせると、ドアの外にいるアデルを部屋に招き入れた。
「アデル、教えてくれ。俺に魔法をかけた令嬢の名を知りたい。記憶が朧げで思い出せない」
「フン。仕方ないとはいえ、俺は腹立たしいと思う時があるよ。そのロゼルの令嬢ホイホイ体質が」
「なんだ急に……。まあ、いつもリーフィアの傍にいてくれるお前には感謝している。アデル」
「……俺にリーフィアを取られる心配はしていないんだね。そういう所が嫌いだ」
「ハハッ……。俺がいつまでも優しいままでいると思っているのか? アデルは」
普段の様子と全く違うロゼルを見て、アデルはそれ以上何も言えなくなった。
心の中にある闇は、冷たくてドロドロしていて、内側から食い尽くすような凶暴さを兼ね備えている。
そんな闇を持っているのは自分だけだとアデルは思っていた。
しかし、それは違うのだと悟る。双子の片割れであるロゼルも、同じ闇、いやそれ以上の闇を持っているのだ。
深淵は生まれた時からアデルと隣を歩いていた。
「手荒な真似はしたくない。もう一回聞く。令嬢の名を教えろ――」
「……クロム卿の一人娘だ。ロゼルにベタベタと触っていた露出の多い女性だった。名前は覚えていない。でも、ロゼルのデレデレ顔は覚えているよ」
「忘れろ……。あと、ありがとな」
「その人の所へ行ってどうするの? 魔女は真実を話さないんじゃない?」
「話すさ、俺になら。アデルはリーフィアに付き添っててくれ」
自信満々な狂犬は、最後まで自分勝手だった。
それでもロゼルの頼み事は断れない。普段のロゼルは優しい事を知っているからだ。
こんなにロゼルが怒る事は、天変地異でこの世が終わるくらいに珍しい事も。
ロゼルが部屋を出て行ってから暫く経つと、リーフィアはゆっくりと目を開けた。
ぼやける視界の人影がアデルだと分かり、よたよたと上半身を起こした。
「あ……」
「目が覚めた?リーフィア」
「うん、ロゼルの声がした。珍しく怒っていたわね」
「ああ、リーフィアに婚約破棄を言い渡す時よりも、怒ってた」
「そう……なの? それはそうと、アデルには迷惑ばかりかけているわね。いつもありがとう」
「いや、俺は……覚悟が出来てるだけだから」
「覚悟」とは、あの日の事を指すのだとリーフィアは分かっていた。
だから、余計な隠し事をするべきではない事も。
リーフィアはおそるおそる口に出した。
「ムーリエに……言われたのよ。泥棒猫だって……正体がバレちゃった……」
「――放っておけばいい。記憶と魔力を奪ったのなら、真実を知る者は3人しかいない」
「うん、そうね……。あ、そう言えば、ロゼルはどこへ行ったの?」
「何でもクロム卿の一人娘に話したい事があるとか――」
コンコン。
ドアを叩く音とロゼルの声がした。
ロゼルの顔は、先程よりも柔らかくなっている。
「俺ならもう戻ってる」
「早いね……」
「ロゼル、ムーリエは大丈夫なの? 命まで奪ってないわよね?」
「そんな事はしない。それよりリーフィア、おいで」
ロゼルが両手を広げて、リーフィアがそこにおさまるのを待っている。
リーフィアに向けた優しい笑顔が、一瞬だけアデルを見据えた。
その視線の意味を知っているアデルは、何も言わずに部屋を出て行く。
2人だけの部屋で何が行われるのか、簡単に想像が付いたアデルは、壁にもたれ掛かり苦痛の顔を浮かべた。
アデルの中で、固く結んだ糸が解けようとしていた。
ヤバい――そう思ったアデルは、その場から逃げるように走り去った。
◇◇ ◇◇
2人になった空き部屋では、リーフィアはロゼルの膝の上に座らされていた。
その様子は、まるで肉食動物に食べられる為に供えられた小動物のようだった。
「もしかして緊張してるのか? 昨日あんなに愛し合ったのに」
「今日のロゼルは意地悪ね。まだアデルが近くにいるかもしれないのに、そんな大声出すなんて……」
無理やり組み敷いて昨日の続きをしたいと考えながらも、ロゼルはまだ理性を手放していない。
本来なら何の問題もなく、リーフィアと結婚しているはずだったからだ。
結婚という形態がとれないだけで、ロゼルはリーフィアを妻であるかのように接している。その証拠に、毎夜2人は仲が良い。
だから、野獣のようにがっつく必要もなかった。
ただ悲しい事にそれだけ愛し合っても、2人は結婚出来ない理由があった。
だから毎回ロゼルは令嬢たちに狙われる。
「……ここではしないわよ」
「何を?」
「わ、私に言わせるなんて、ロゼルの卑怯者」
「では夜会を抜け出して、屋敷で続きをしよう。朝までコースはどうかな?」
「ひゃっ」
ロゼルに抱かれて、2人は夜の闇の中へ消えていった。
2人が屋敷に着いて何をしたかは、神のみぞ知る。