「あちらのお客様からです」と何故か女子大生バーテンダーが怪しい店の名刺を滑らせてきます
野良犬の遠吠えやカラスのゴミ漁りの音が響くアーケード街の裏路地にある大人の雰囲気に満ちたバー。今宵も疲れた大人達が、かりそめの癒やしを求めて足を運ぶ…………。
──カランカラン
「へいらっしゃい!!」
落ち着いた青のコートを羽織ったOL風の女性が、入る店を間違えたのかと入り口の看板を二度見した。
「愛ちゃん、挨拶が違いますよ?」
鼻の下に少しダンディーなヒゲを蓄えたナイスミドルなマスターが、静かに謎挨拶の主である女子大生へと声を掛けた。
「えっ? すみません。お寿司屋さんのバイトのくせが! では気を取り直して……あ、らっしゃいませぇぇ!!!!」
店にいた客達が、突然の大声に驚き、OL風の女性は入る店を間違えたのかと入り口の看板を三度見した。
「愛ちゃん?」
マスターの眉がピクリと動く。しかし笑顔は絶やさない。この道35年、マスターはこの程度の事では動じない域へと達していた。
「ハハ、すみませんガソスタのクセが」
「すみません、こちらへどうぞ」
見かねたマスターがOL風の女性を席に案内した。コートをハンガーへとかけ、一つため息をつくと、女性は「マスター、いつもの……少し濃いめでお願い」とネイルサロンへ行ったばかりの綺麗な爪を見せるように手を曲げた。
「愛ちゃん、レッドアイを少し濃いめで」
「合点承知!!!!」
その大声に、またしても店に居た客がビクンと驚いた。そして皆が一つになるように、ある考えが頭を過った。
(なんのバイトだろう……!?)
愛ちゃんと呼ばれた女子大生がビールを半分注ぎ、トンと置いた。そして冷蔵庫からコーラを取り出し、コップに半分注いで自分で飲んだ。
「ビールお待ち!!!!」
ドンと出されたグラスに半分だけのビール。マスターが慌ててその手を引っ込めた。
「愛ちゃん愛ちゃん!? 何か忘れてる何か忘れてる……」
「あっ!」
愛ちゃんは何かに気付いたように、眉を上げ手を叩いた。
「すみません。この子、入りたてで……ハハ」
「…………」
OL風の女性が困惑しながらも、髪の毛をいじり、何とか冷静を保つように計らっていた。
「濃いめ濃いめ……」
愛ちゃんは、もう半分入れ忘れたグラスに──ビールを入れた。
「ビール濃いめお待ち!!!!」
「愛ちゃん!!!!」
マスターの大声が店内に轟いた。店にいた客はマスターが発する大声に驚き、そしてマスターは数十年ぶりに出した大声で喉がやられていた。
「ゴホッ! ゴホ! すみません……私としたことが」
「コーラ飲む?」
差し出された飲みかけのコーラを、マスターは素早く受け取り喉を潤した。それ程に喉が詰まってしまっていたのだが、冷静に見れば女子大生の飲みかけを進んで飲みに行くオッサンにしか見えなかった。
「愛ちゃん、レッドアイは私が作るからおつまみを……」
「あ、この前ドゥンキで買ったやつ?」
「言わんでよろしい言わんでよろしい……」
マスターは愛ちゃんに話し掛けるたびにヒヤッとし、愛ちゃんは話し掛けられるたびに脳天気に言葉を発するので、店内には常に謎の緊張感が漂いつつあった。
「マスターあのね……」
そんな空気の中、OL風の女性がマスターに話し掛けた。マスターは流れるような手つきでビールとトマトジュースで作ったレッドアイを女性へと差し出し、愛ちゃんがおつまみであるナッツを小皿へ乗せ女性へと──滑らせた。
「あちらのお客様からです」
マスターは無言で愛ちゃんの頭を押さえ、カクテルを作るようにシェイクした。そして「すみません……」と女性へと体を向け直した。
「あのね、この前一緒に来た彼が……どうも変な店に通ってるみたいで……」
女性が神妙な面持ちでマスターの方を向く。マスターも少し寂しげな顔で女性を見る。
「あちらのお客様からです」
シュルっと白いカードが女性の手元へと滑り込んだ。
「──?」
女性がそれを手にすると、それは一枚の名刺だった。
*ミルタンク喫茶 もぅもぅ*
天然牧場乳搾り日和!
PM 6:30~AM 2:00
休日 不定休
──スコン!
マスターの手からホットカクテルを作る為のミルクパンが放たれた。ミルクパンは愛ちゃんの頭部へとクリーンヒットし、愛ちゃんの頭には特大のたんこぶが出来た。
「ちょっと捨ててきますので……」
ズルズルと引きずられていく愛ちゃん。しかしOL風の女性はその名刺を真剣な眼差しで見つめていた。
「すみません、あの子は今日でクビにしますので……」
「いえ、マスター。あの子にお礼を……きっとココだわ」
「そ、そうですか?」
マスターが分かりやすく戸惑いの眼差しを向ける。外のゴミ箱に入れられた愛ちゃんは、野良犬に脚をなめられカラスに頭を突かれていた。
「だってあの人……巨乳好きだから」
女性はレッドアイをゆっくりと飲み干すと、お札を一枚マスターへ手渡し、落ち着いた青のコートを羽織って外へ足を向けた。
「また来るわ」
女性はポカンと口を開けるマスターに別れを告げ、店から階段を降りて外へと出た。すると、偶然にも足下のおぼつかぬ程に酔っている彼氏と鉢合わせた。
「……どうしたのよ。こんな場所で」
「お前こそ……」
「私は仕事帰りに寄っただけ……あなたは大分酔っているみたいね?」
「し、仕事の付き合いだよ」
女性は疑いの眼差しを向け、彼氏に近付き、そして服の匂いを嗅いだ。服からは酒、香水、煙草、そして化粧品のような普段なら決して着かない臭いが放たれており、女はそれが件の怪しい店であることを確信した。
「嘘ばっかり……私知ってるのよ!!」
女性が先程の名刺を彼氏の目の前へと突き付けた……!!
「──!!」
あからさまな動揺。視線は泳ぎ、手は落ち着かず、貧乏揺すりが始まる。女はその仕草の一つ一つに普段の嘘と重なる部分を見ていた。
「やっぱりココね……最低な人!!」
女性が名刺を投げ付けた。しかし男は何も言わず沈黙だけが流れる。
「う、うん……? あれ、あれれ?」
店の外にあったゴミ箱から、愛ちゃんが立ち上がった。頭はたんこぶが出来ているうえにカラスに突かれすぎて酷く乱れており、脚には野良犬がガジガジと齧り付いている。そして目の前で険悪な雰囲気の男女を見るなり、愛ちゃんは手を叩いて眉を上げた。
「あっ! こないだのお兄さん!! 紹介したお店はどうだった!? 最高だったかな? な?」
──シュッ!
階段からミルクパンが飛来した。
──スコンッ!!
「ぐえっ……!!」
ミルクパンが愛ちゃんの頭にヒットすると、新たなたんこぶが雪だるまのように膨らみ、愛ちゃんは再びゴミ箱の中へと意識を失った。
「この人が紹介したの?」
「き、聞いてくれないか!? 実はこの女に名刺渡されて友達と興味本位で行ってみたら、牛柄のビキニを着た太った熟女達に襲われるように拉致された上に変な酒飲まされて法外な値段を請求されて……俺、払えないって言ったら『オカマに襲われるか定期的にウチに来るか……どっちがええ?』って脅されて……俺! もう──」
──ギュッ
女は彼氏の言葉を遮るように、そっと強く抱き締めた。しつこい香水と化粧品の臭いがコートへと染みるのを躊躇うことなく、彼氏の身を案じた。
「バカな人……律儀にそんなお店行かなくて良いのに……」
「……ゴ、ゴメン」
二人は抱き合うように肩を寄せ合い、そしてバーへと入っていった。
マスターは二人を見て、店の外の看板を『Clause』へ直し、そしてゴミ箱を回収した。
「……ふぇっ? あ、マスター」
「すみません、ウチのバイト娘がとんだご迷惑を──」
マスターが頭を下げると、二人が慌ててそれを止めた。
「良いんです良いんです! 俺がアホなだけだったので……!!」
「えっ? マスター何の話?」
三人が事情を説明すると、愛ちゃんは手をポンと叩いて全てを理解した。
「ああっ! アレいっぱい落ちてたのを拾ったから皆に配ってたんだけど、あそこボッタクリなの!?」
「言わんでよろしい言わんでよろしい……」
愛ちゃんが珍しくも申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
「お詫びに一杯作ります!!」
一杯どころでは済まされない程に迷惑を掛けた自覚を微塵も持ち合わせていない愛ちゃんだったが、マスターはそれを黙って見届けることにした。この程度でいちいち怒っていたら、とてもではないがバーのマスターは務まらないからだ。因みにミルクパンは二度の投擲で少し凹んでしまった。
「じゃあ……レッドアイを」
「レッドアイ入りやしたー!!!!」
心配そうに見つめるマスターを他所に、愛ちゃんはグラスを二つ取り出し、片方にビールを、もう片方にトマトジュースを入れ──二人へと滑らせた。
「あちらのお客様からです」
二人の頭に?マークが八分咲き程になったがすかさずマスターが「やりたいだけだから気にしないで」とフォロー?を入れた。
「これ、半分しかないけど……」
彼氏が二つのグラスに戸惑っていると、愛ちゃんは頭のたんこぶをコーラのボトルで冷やしながら説明を始めた。
「お互いのグラスを行き来させて、二人だけのレッドアイをお作り下さい。それが私からのプレゼントです」
ドゥンキで買ったナッツを皿に山盛りで渡し、愛ちゃんは静かに笑った。それを見たマスターは口笛を一つ鳴らし、そして凹んだミルクパンの修理を始めた。
レッドアイはビールとトマトジュース1:1だったり入れる順番逆だと名前変わったり色々ありますが、細かいことはダイナマイトで吹き飛ばしておきましょう。
(*´д`*)