二章 Kriesforgis Lucleids (目覚め)-3
リドムは自身のする奇妙な問いかけに返答が無いことにがっかりしたり、何かを考える時間は無い。寝ていたワンボを起こしたボスが、既にリドムの元へ向かってきているのだ。
今全力で走ればもしかしたらこの穴倉を脱出できるかもしれないという考えはあったのだが、剣を取り戻したいのか、それとも何か別の理由からか、リドムは歩いて穴倉内を行く。
ボスの部屋ならば高いところか奥か。この穴倉に二階は無いだろう、以前通った通路に合流するも出口ではなく奥へ進む道を通る。
ここで立ち回った時の血痕は消えていたが、まだ掃除しきれていないのか飛び散った血液も残っている事にリドムは気付きようもなく駆けて行く。
「……血……」
やがて向かう先からまたあのズンズンという足音が聞えてきた。頭が痛むまま、再び凶悪な怪物男であるワンボとまみえる事になってしまったのだ。
リドムは仕方なくナイフで応戦せざるを得ず、小さくない分の悪さを感じていたが、その分の悪さの大半は愛用の剣が使えないという理由ではなく頭痛のせいだろう。
「違う、お前のせいだ」
対峙し、その言葉を聞いたワンボが首を傾げる。
「おまえ、なにいってる。おらはちがわない。ボスのいうことしたがってるから、ぜんぶただしい」
「違う、お前の事じゃない……くっ、声が響いて止まらない……どうなってるんだ」
左手で頭を摩りながら、リドムはナイフを構える。野盗のボスが「やっちまえ~!」と応援しつつ片手には銃を持っている。
だが普段から戦闘をワンボ任せにして、銃弾は空になっているのに気付いてからリロードをするので弾薬切れという概念をなかなか体で覚えていない彼の銃は、既に弾倉が空であることに気付いていない。
ワンボが奴を捕まえたら撃ち殺してやる、と思っているボスだが、現状でそれが果たされることはありえなかった。
リドムはナイフの先に四人の敵を視認する。ワンボとボス、有象無象。リドムの中で敵は既に一人に絞っている。
ワンボは呼吸を整えたり、対峙するという緊張感を考える頭が無いのか、呼吸もタイミングも無く猛ダッシュで襲い掛かってきた。
だがリドムもタイミングより出来るときにやるタイプだ。同じ轍を踏まないよう、大振りのラリアットを避けながら肉を削ぐような浅い攻撃のみで距離を取る。やはりというべきか、相変わらずワンボはぱっくりと肉が割れようとも動じなかった。
どうしたものかと見据えながら、相手の一撃はどこに貰っても確実に致命傷になるだろうとリドムは高い緊張を持って戦っている。
それもそうだろう、前回の頭部への一撃はボスに「殺すな」と言われたために手加減されたものであり、今回はそうはいかない。
一撃、どこかに打たれるだけで骨が砕かれるか内臓が破裂するか、運が良ければぽっくり死ねるかなんて考えながら、弱点を探す。
こういう時は目か急所を狙うべきだが、敵の目はひょろ長い身長のせいでナイフで捉えるには大きな隙をさらす必要がある。
多大なリスクを伴ってしまうし、現在の身体状況で上手く削げる自信もいつもの三分の一だって持てない。
急所も狙うには難があり、極めて布地の小さな服を着ているにも関わらず股間部分は手に付けているような金属のパンツをつけていた。趣味の悪い装備ではあるが理にはかなっている。
そしてもう一つ、心臓。一度削ぎ撫でたはずの心臓だ。だがワンボはこうして元気に動き回っているし、前回の時点で手ごたえがあったにもかかわらず懐に潜り込んだせいでカウンターを貰って沈んだリドムはその選択肢を選びようもない。
しかし、心臓を突かれても死なないワンボの恐ろしいまでの不死身性にはボスしか知らない秘密があったのだ。
奇形児として生まれたワンボは親からも恐れられてしまうほどだった。
その奇形は人体としてみれば奇跡的なバランスで構築されており、歪んだ脊髄は大半の痛覚を遮断し、学習能力も含め脳機能も成長が停滞している。
そしてリドムが貫いたはずの心臓も中央左寄りではなく、完全に右位置にあったのだ。それも異常に発達した肋骨によって守られており、前回リドムが切り裂いたのはただの脂肪に過ぎない。
通常の人体であれば確実に到達していたであろう切っ先が到達しないほど、ワンボの体は異常という奇跡を起こしていた。
だがそんなワンボにも弱点はあった。それは防御力が前方のみに集中していることだ。敵を倒すことしか知らないワンボはこれまで逃げるボスを守るのみで、自分が逃げることはしたことがなく、誰も突いたことのない背中こそ彼の弱点である。
見たもの全てが畏怖するであろう背骨が浮き上がった背中は通常の人間と同じような作りであり、脂肪の壁も浅い。
そして何より、通常胸側で示されるであろう心臓の位置が背中寄りだったのだ。これまで前に立つ敵を倒しつくすことしかしてこなかったワンボの、自身も知らない弱点だった。
「……背中……? 右……」
リドムは小さく呟きながらナイフを構えなおす。野盗のボスは半ば戦いを見るのを楽しんでいた。奴はやっかいだからと、せめてワンボが奴をなぶり殺しにしてくれるのを願いながら地元の万年全勝のチーム対新参弱小チームのスポーツ観戦でもするような気持ちで拳銃を振り回して応援している。
裸足で土の床を踏みしめるリドム。穴倉というだけあって片付いているにも関わらず土という足場は、裸足のリドムに不利には働かなかった。
適度に湿って踏ん張りも効く、動きはぶれない……! 見据えたワンボが奇声とよだれを振りまきながら迫るタイミングで左手に閃光魔法をチャージし、敵が振りかぶった瞬間にリリースする。
一瞬の視界不良の中でリドムは身を反らしながら体勢を低く構え、躱したワンボの腕の方向へ身をひるがえしながらナイフを逆手に持ち、それをそのまま背中に突き刺した。
脊髄右側、骨をも削るような力で穿ち裂く! 念のために二回、いや三回! ザクザクザクと瞬連の刃が目にも留まらぬ速さでワンボの背中を突き穿ち、切り裂いた。
「うぶッ!」
呻くワンボ。長年面倒を見てきたボスでも聞いたことのない声に表情を強張らせている。リドムは今度こそ手ごたえを感じたが、前例に倣ってナイフを抜くなり即座に距離を取った。
ここで倒れるか? 倒したはずだ……リドムは不安の中にある。なぜならワンボは倒れていない。それどころかのそのそと動き、リドムの方に振り返ったのだ。