二章 Kriesforgis Lucleids (目覚め)-1
見上げれば土、見回せば土。どうやら自分も土の上に寝転がっていて、更に鉄で出来た頑丈な格子が自分を囲っている。そんな状況の理解に至るまでの約三十秒、リドムは空白の中、頭痛だけで自分の存在を認識していた。
音はなく、空気は滞留して重々しい。片手で自分の服を引っ張ると、上着だけが脱がされているのだがなんとか凍えずに済んだようだ、眠るには寒いにしろ、人体で耐えられないほどではない。
足には鎖、正面の壁は格子。失敗したと心底後悔した。
「……?」
リドムはどうしてこうなったかという事については既に理解していたが、何かつかみかねるように上を見上げたり、左右をきょろきょろと見回している。
その視線は何か脱出に使えるモノを探すという目的は無く、ただ異音がするから気になるという理由で行われているようだ。
「異音じゃなくて……あんたの声だよ。誰だ?」
リドムは遠くに尋ねるように声を挙げる。問いかけに答える相手などいない。声が響く作りからしてその牢獄はまだ広がっているらしい。別の場所に誰かが囚われているのかもしれない。
リドムは入口付近に置かれた水と調理されていない穀物を一緒に口に含んで返事を待った。
「なんだ……? 誰なんだ……?」
リドムは頭を抑える。ずきずきと頭痛が止まらない事で、ひょっとして幻聴でも聞こえているのではないかと自身を疑いながら牢屋内で壁を叩きながら「おい、おい」と誰かに呼びかけるように歩き回った。
「誰かに呼びかけるようにって……聞こえてないのか……?」
少しするとザクザクと足音が近づいてきた。
「おぉおぉ、起きたか糞野郎。二日も眠りこけやがって。くく、今のうちに首を洗ってるんだな」
見回りに来た野盗の一人がリドムの様子を確認して楽しそうに去っていった。
彼のボスは拷問マニアでもあり、しっかりと意識のある対象にあらん限りの苦痛を与えるのが楽しみなことを知っている。だからリドムが起きたことを伝えてボスがはしゃぐのを見るのが今から楽しみだった。
リドムはいよいよ焦燥感を覚える。これまでの旅の中でももっともまずい状況であることは間違いなかったのだが、リドムはいまだに状況を掴みきれていないのか、周囲をきょろきょろ見回していた。
そんなことをしているうちに半笑いの野盗のボスが顔をのぞかせる。
「はっはぁ! 起きたか旅人! いやぁ待ってたぞぉ~、最近は良いおもちゃがなくてなぁ! お前みたいな強い奴は久しぶりなんだぁ!」
「おい」
はしゃぐボスに対し、リドムは右手で頭を支えるようにしながら尋ねた。
「この声は誰だ。この、俺の事を話す声は……」
「は?」
野盗たちは何のことだとお互いを見合うと、誰かが笑い始めたことでみんな同じ答えに至ったらしい。
「お前! ワンボさんのパンチで頭イっちまったんだろ!」
がはははと下品な笑い声が頭に響く。イライラしてきたリドム。
昔故郷にいたころにも同じような笑い方をする奴がいたが、そいつは簡単にのしてやったのに、今それが出来ない事に煮えるように腹が立つ。
魔法で攻撃することも考えたが、空腹と頭痛で集中できないし、野盗のボスが拳銃を片手に持っているのを確認している。魔法じゃ一撃で仕留められないし、この状況で撃たせる口実は作れない……リドムは気持ちを押し殺して黙ろうとし――「なんでわかったんだ……?」――たが、何か小さく呟いた。
その言葉を聞いた野盗が更に大笑いする。
「はははは! ボス! こいつ完全にイカれちまってますよ!」
リドムは気が気でなかった。この野盗たちは自分と同じ場所に立っていないのではないかと思うほどに。それとも自分は本当におかしくなってしまったのか? そんな疑問に支配され、これから受ける拷問の事など微塵も考えられない。
ただ自分が自分でいられなくなるのかという事が怖くてたまらない。それだけだった。
「黙れ! だから誰なんだお前は!!! 俺は俺だ!!」
下っ端の野盗が笑いをやめた。シャレにならないほどいかれちまってやがる。そんな表情を浮かべるが、ボスだけはニタニタと笑って部下に顎で「連れてこい」と指示する。
牢から連れ出されるリドム。出た先でやっとわかったが、自分の居た牢は奥から二番目。出口に向かって横目に別の牢を確認しながら歩いた。
その一つの牢の奥に一つの小さな影が見えた時、「お前か!?」とリドムは声を挙げる。返事はなかったものの、その影はじっとリドムを見つめたような気がした。
地下牢から階段を上がり、通路に出る前に別の扉を目指す。その扉の足元はどす黒くなっており、それが変色した血液であること明確であった。
リドムは頭痛の事を一度考えないようにし、なんとかここを脱するための算段を立てる。幸い、牢屋を出る時に足枷は外されていて不自由なのは両手のみだった。
だが武器も無しにどう戦うか。まず手枷を外さなければ。だが頑丈な手枷を破壊するほどの筋力は無い。その時にあの『ワンボ』とやらだったら破壊できそうだなと、強敵の存在を思い出した。
「なんで……俺の考えが読まれ……」
リドムは再び呟いた。もう野盗はイカれた男として気にも留めていない。だがリドムの左側に立つ男だけはリドムをちらりと見た。これはリドムが知る由もない事だが、その男は手枷のカギを左胸のポケットにしまっていたのだ。だからその野盗だけは人一倍リドムを警戒している。
「か、ぎ……?」
リドムは何かを言いかけて左の男を見た。その野盗と目が合って、野盗が警戒を強めて身をのけぞらせたことでリドムは何かの確信を得たように踏み込んだ。