第四章 Vartisile Acroheller (理解者)-4
バスルームの方へ耳を傾けるとセリーヌの声や鼻歌だけが聞えてくる。やがてバスルームの扉が開くと、袖や裾を少し濡らしたセリーヌがニコニコしながら出てくる。
「じゃじゃぁん! リドムさん、生まれ変わったリーシャさんですよぉ!」
その後ろからもぞもぞとした感じで出てくるリーシャ。首まで覆うで可愛らしい服に、グレーじみた色だった髪色は明るいシルバーを思わせる色になって、荒れ放題だった髪は綺麗に整えられ、太陽光が艶のある髪に反射してキラキラ輝いている。
「おぉ、見違えたなリーシャ。とっても似合ってるよ」
本当に父親みたいな気持ちでそう言うと、リーシャはまだ不安そうに俯いている。さっきまでとは大違いの自分の姿を見た時に、リーシャは信じられないという様子で自分の顔や髪を触っていた。
実際、着ている服も貴族の品であるし、肌はほとんど隠れている慎ましい清楚な服なのでパッと見れば姿は街の箱入り娘だろう。
そう変わった自分を見たことは恐らく嬉しかった。だが感情を表す方法をリーシャは知らず、その表情は晴れない。
「嬉しいと思った気持ちは感じたままに言っていいんだぞ、リーシャ。俺が作ったサンドイッチを美味しかったと言ってくれただろ。あれと同じだ。やった方も君が嬉しい事がわかるとした甲斐もあるってもんでさ」
その言葉をリーシャは目で聞いた。リドムの言葉には温かさがあって、リーシャでも背中が後押しされるような気分になる。
「せ、セリーヌさん」
「はぁい」
「言葉が、足りないんです、なんだか難しくって……」
リーシャにとって、今まで何が嬉しかったのか。飼い主であったご主人様には「嬉しい」と言う事を強制されたことは何度もある。嫌な事をさせられた上でそれがご褒美であるかのように嬉しいと何度も叫んだ。
「嬉しいって、少し、怖いです……」
人間の自分を見てしまったのだ。心はまだ奴隷のまま。辛い経験で感情を壊されたリーシャにとって、いつまた奴隷に戻るかという不安は心の奥で尽きていないし、だからこそ感情を再び呼び起こすことがどれほど怖いのか、他の人間には想像もつかなかった。
だがそれでももう見てしまったのだ。『人間の格好をしている』自分を‥‥‥だからリーシャは言った。
「でも……」
その一瞬だけは。
「夢のようだって、おもいました……」
リドムは頷き、セリーヌもホッとしながら「うん」と笑った。
リーシャの改造計画が終わると、今度はセリーヌが持ってきた大量のお菓子を食べ漁ることになった。
自分は料理が出来ないからと、市販のお菓子や飲み物を振舞うのがセリーヌの仕事らしい。
なのだが、馬鹿なのかと思うほどにどっさりと持ってきて、リーシャに「遠慮しないでねぇ」と、どんどん食べるように促しながら、やれ肉付きがやれ発育がと熱く語りながらケーキを大きめに切ったり、チョコチップクッキーなんかをどんどん皿に盛っていく。
リーシャは自分の体つきの事など全く気にしたことがなかったのでセリーヌの話には首を傾げていた。
だが自分の目の前に置かれたケーキなどに対してはリドムに許可を求めるようにアイコンタクトをして、小さな口でパクパクと食べ始めた。
リーシャの口に運ぶお菓子の一口一口は小さいのだが、その手は止まることを知らず甘いものを食べ続ける。最初こそ食べた事のない味に感動しているのだと思ったリドムだが、さすがに三十分食べ続けている時点で少し恐れを芽生え始めていた。一時間弱でやっとスプーンを置いたときには確信に変わっている。
「リーシャ、今までの食事、どうしてたんだ……?」
一度に口に運ぶ量がそもそも少ないので本当に大量に食べているわけではないのだが、それでも切り分けられたケーキがホールの半分は消えているし、お菓子も何袋か開けられていてるし、先日まで少し食べるのにも困っていただろう子とは思えないほど食べている。
「あ……こんなには貰えませんでした。それに美味しくなかったですし……だから全然食べられなくて……でも、パパが作ってくれた料理やこのお菓子は美味しいから……」
見た目に笑顔があったわけではないのだが、そこにいたらリーシャのトーンが明るい事に気付くだろう。だから少し茶化そうと思っていたリドムもしんみりと聞いてしまうし、セリーヌも「まだ食べられるかな」と手元のお菓子を見ている。




