第四章 Vartisile Acroheller (理解者)-3
リドムがリーシャを見ると、彼女は不安そうに俯いて片手は人形を抱き、もう片手でリドムの布団を掴んでいる。さてセリーヌはこう言ってくれているがどうしたものか、とリドムは悩む。
「……俺は良いと思うよリーシャ。この人はいい人みたいだし、君に酷い事はしないよ」
リドムは起きたばかりでほとんど情報も得られていない中、何を根拠にセリーヌをいい人だと言ったのかはわからない。彼の直感だろうか。
だがリーシャはその言葉に「許可」を感じたようだ。――「俺の許可なんていらないんだ。やりたい事をすればいいんだから」――リーシャは人形をどうしようか迷っているとリドムが大事に受け取って、それからセリーヌが部屋の奥にあるバスルームにリーシャを誘導しようとベッドの脇を外れてそちらの方向に立っていたのでリーシャもトテトテ歩いていく。
「それじゃあ行きましょうぅリーシャちゃん。リドムさん、覗かないでくださいよぉ?」
そう言ってリーシャと入っていったバスルームの扉が閉まった。元気のいい人だなぁ……とリドムは一息ついて、まだ陽の高い窓の外をベッド上から眺めながら、リドムは自分が腹をすかせていることに気がついた。ベッドの脇にはパンやミルクが置かれている。
「セリーヌさん、ここにあるパンとか食べても良いモノですかー?」
バスルームに聞こえるように少し声を大きく言うと「どうぞぉ~」と返事が来たので、もそもそと食べ始めた。
その頃バスルーム内では、服を脱いだリーシャの体を見てセリーヌが吐息を押し殺していた。十五かそこらの少女とは思えないほどの酷い傷の数々。
セリーヌは奴隷の境遇についてある程度の知識は持っていたが、実際にここまで酷い状態の少女の体を見るのは初めてだった。――「なんで俺に関係ない事まで聞こえるんだ……?」――
セリーヌはリーシャに石鹸を泡立てたモコモコのスポンジで優しく「痛くないですかぁ?」と気遣いながら体を洗っている。リーシャは小さくうなずく程度に反応をして、ここに来てから初めて意思疎通が取れたことにセリーヌは顔をほころばせた。
「実はね。……わたしのお母さんは奴隷だったのですよ」
スポンジで体を摩りながら、シャンプーで髪を撫でながら、セリーヌはそんな話を始めた。
「お母さんは奴隷をしながらわたしを産んだんだぁ。赤ん坊のわたしを狭い部屋であやしながら、酷い事をされるのを我慢してきた。わたしが生まれてから二年もですよ? ……それである日、その家の主だった人が騎士団に粛清された。当然奴隷も粛清された。お母さんは騎士団に殺されたんだ。……でも閣下はわたしを守ってくれた」
その事をセリーヌは覚えていない。うっすらと記憶の陰に暗い部屋の光景はなんとなく思い浮かべる事が出来るが、それは単に自分が寝る前に電気を消した部屋のイメージを重ねているだけかもしれない。
母親の顔も思い出せないセリーヌにとってはその記憶自体はどうでも良い。だがクロスはその光景を今でもよく覚えている。まだ若かったクロスは自分の所属する隊の隊長が奴隷を手にかけた時に抵抗したのだ。
そのせいでクロスは一人、奴隷の遺体の事後処理を任された。狭い奴隷の部屋に残されたクロスは部屋を見回した時に部屋の違和感を見つける。
その奴隷は騎士団の踏み込む音を聞いて自分が死ぬことを悟ったのか、部屋の壁の板を剥がした裏の空洞に小さなセリーヌを寝かせていた。
それはもしかすると少しでも温かいところにと毎日やっていたことだったのかもしれないが、その奴隷、つまりセリーヌの母が死んだ瞬間に小さな愛の辿った道筋は立ち消えている。
でもその空洞と、その中にいる子供の存在にクロスだけが気が付いた。彼は巧妙に騎士団を出し抜き、その少女を自宅で保護したのだ。
「わたしが大きくなった時、その時の話をしてくれて……だからね、うーんと。リーシャちゃんみたいな子を見ると、わたしはお母さんに恩返しができるような気がするんですよ。勝手に思っているだけですけど……もしお母さんが逃げ出せて、自由を掴んでいたらって思って……うーん、全然人に話したことないから、まとまっていなくてごめんね。リーシャちゃんにとっては、迷惑な話かなぁ……」
セリーヌはリーシャを洗う手つきを弱めながら呟いた。そこにリーシャは首を横に振って、小さな声で返事をした。
「……きっと、あなたのお母さんも、あなたに髪を撫でられたら、うれしいと、おもいます」
初めて喋ってくれたリーシャの言葉にセリーヌはどこか胸の詰まる想いを感じる。生まれてから迷惑しかかけられないまま死んでしまったお母さんをほんの少しだけ救えたような、そんな気がしたのだ。「そっかぁ……」と感慨深そうに髪をジャージャーとシャワーで長めに流して、リーシャの体中を綺麗にしたところで、水に濡れた髪の様子を見てセリーヌが一つ提案をした。
「ちょっと髪の毛整えましょうかぁ。きっと可愛くなりますよぉ」
「……?」
可愛く、というのがよくわからないリーシャだったが、目を瞑るように言われて静かにしているとチョキチョキと背後でハサミの音が聞こえる。リーシャはその音が自身に向けられたハサミの音だとわかっていたが、不思議と怯えなかった。
「リドムさーん、リーシャちゃんの髪の色、明るくしても良いですかぁ」
リドムは少ししんみりした表情でお菓子を食べながら「全部聞こえてるんだよなぁ」と呟きつつ、今度は部屋の向こうに聞こえるような声で「可愛くしてやってくださーい」とお風呂場に伝える。
それを受けて「よぉし」と張り切るセリーヌは一時間以上の時間をかけて自分が満足行くまでリーシャをいじり倒し始めた。




