第5話
ひとみにほおをつつかれて、清子はびくっと顔をあげました。
「あはは、清子って、面白い反応するよね。面白いっていうか、かわいい反応」
「あうう」
うつむく清子のほおを、ひとみはさらにつつきます。
「でも、ホントになにもなかったの? 先に下駄箱で待っててほしいっていうから、すぐに来ると思ったのに。こんなに遅くなるなんて思わなかったよ」
清子はやはりうつむいたままだまっています。ひとみはニカッとえくぼを作って笑いました。
「ごめんごめん、そうだった。また舌がびりびりしちゃいそうなんでしょ。大丈夫、いわなくったっていいからね」
「うん……ごめんね」
靴をはきかえるひとみに、清子は消え入るような声でつぶやきました。
「あーあ、それにしても梅雨ってホントいやだよね」
ひとみに話しかけられて、清子はハッと顔をあげました。
「もう、早くしないとおいてっちゃうよ」
「ご、ごめん、待ってよう」
あわてて靴をはき、ひとみのあとを追います。
「うわ、すごい」
ひとみのいうとおり、外はどしゃぶりでした。どろだらけの校庭に、水たまりがいくつもできています。
「この靴お気に入りだったのに、これじゃぐしょぐしょになっちゃうよ」
はあっと大きなため息をつき、ひとみはパンッとかさをさしました。清子もかさをさそうとして、あっと声をあげました。
「どうしたの、清子?」
けげんそうな顔をするひとみに、清子はおびえたような顔でつぶやきました。
「かさ、ないんだった」
「えっ、梅雨なのに、持ってきてなかったの?」
ひとみに聞かれて、清子は首をふります。
「ううん、持ってきてたけど、姫川さんが――」
清子は言葉を飲みこみました。本当は百花たちにかさを隠されていたのです。探しても見つからないから、しかたなくそのまま教室を出たのです。清子は盗み見るようにひとみに目をやります。ひとみは首をかしげて、くりくりした目で清子を見ています。どうやら聞こえていなかったようです。清子はそのままだまりこみました。
「もう、しかたないなあ。ほら、こっちおいで。あたしのかさ、けっこう大きいから、いっしょに入ってもぬれないよ」
ひとみが手招きしますが、清子はおどおどしているばかりです。
「もう、早くしないと置いてっちゃうよ」
「あっ、待って。置いてかないでよ」
清子は飛びこむように、ひとみのかさの中に入りました。ひとみの髪から、雨のにおいとは違う、いい香りがただよってきました。
「ごめんね、ひとみちゃん」
「えっ? ああ、大丈夫よ。そんなあやまらなくたって。それよりぬれない?」
清子の右手に、ひとみが左肩を寄せてきます。そんなひとみを、清子はあこがれのまなざしで見つめます。
――やっぱりひとみちゃんはすてきだな。うそつきで悪い子の清子とは大違いだよ。でもよかった。ひとみちゃんの秘密を、清子はちゃんと守ったんだから。ああ、でも、もし清子が心をこめずにうそついたって、姫川さんにばれちゃったら、ひとみちゃんもいじめられちゃうんじゃ――
一度考え出すと、不安はどんどん大きくなっていきます。清子はたまらず、かさを持って鼻歌を歌っているひとみに声をかけました。
「ひとみちゃん、あの、姫川さんになにかいわれなかった?」
「百花に? いや、別に」
百花と名前で呼ぶのを聞いて、清子の胸がちくりと痛みます。
「あのね、変なこと聞くけどね、ひとみちゃんは、姫川さんとも……友達なの?」
「ああ、そっか。清子、百花のこと怖がってたもんね」
うつむく清子をよそに、ひとみは続けます。
「百花とも友達だよ。もちろん清子とも。あたしってほら、結構みんなと仲良くなりやすい性格だから。って、そんなの自分でいうなって話よね」
ひとりでおかしそうに笑うひとみに、清子はぽつりとつぶやきました。
「姫川さんに、いじめられるかもしれないのに……」
「ん、なにかいった?」
目をくりくりさせて、ひとみが清子をのぞきこみます。清子はびくっとからだを硬直させました。いつものようになにも答えず、じっとうつむいたままでいます。しかし、ひとみも首をかしげているだけです。どうやら雨の音で聞こえなかったようです。少しほっとする清子に、ひとみの悲鳴が聞こえました。
「きゃっ! 清子、その手、どうしたの」
「えっ」
ひとみが真っ青になって、清子の左うでを指さしています。わけがわからず、自分の左うでを見て、今度は清子が悲鳴をあげました。
「きゃあぁぁぁぁっ!」
清子の左うでは、指先から手首のところまで、人のうでではなくなっていたのです。木目のついた、それはまさに木のうででした。関節は木と木を組みあわせて作られていますが、自分の意思では動かすことができません。まだ無事だった右手で、清子は木になった左手をさわりましたが、乾いた木は、なんとも頼りなく、そして今にも折れてしまいそうでした。
――お人形さんになっちゃうんだ。ミーヤみたいな、お人形さんに――