第14話
雨の音が、ぴたりとやみました。重いまぶたをあげると、空中で雨粒が止まっています。まるで時が停止してしまったかのようです。
――なんなの、これ。いったいなにが起きたの――
あたりを見わたすと、清子に近づいてくる人影が見えました。それは、こしまで届く真っ黒な髪に、陶器のようにすきとおった肌をした女の子でした。清子と同じくらいの年に見えます。真っ白な着物を着て、雨粒の中をくるくるとおどっています。からだの線が、わずかにぼやけて見えるのは気のせいでしょうか。そして、その目は、さっきのひとみと同じ、血のように不吉な赤色でした。
「これほど強い気持ちをこめて、うそをついたのは、あなたが二人目だわ。ちなみに最初の一人は、あなたのお父さんよ」
女の子が清子に親しげに話しかけてきました。清子はとまどいながらもたずねます。
「あなたはだれ? それにその目は、さっきのひとみちゃんと同じ……」
「わたしはあなたたちに呪いをかけた者よ。生前の名前は美也子。とはいっても、あなたにはだれかわからないわよね」
美也子は歌うような口調でいいました。混乱しながらも、清子はさらに聞きました。
「ひとみちゃんはどうなったの。それに、どうして雨が止まっているの」
美也子は長い髪の毛をゆらしながら、雨粒の中をターンします。雨粒が真っ白な着物にあたり、きらきらとしぶきをあげます。思わず清子は見とれてしまいました。
「ひとみちゃんって、さっきの女の子ね。それなら知ってるでしょう。あなたがつくうそは、本当になる。つまり、彼女は消えてしまったのよ。この世界から」
美也子はおかしそうに笑いました。見た目は顔立ちの整った美少女なのに、その笑いはどこか人間離れしていて、ぞわぞわといやな寒気を感じます。
「うそでしょ、ひとみちゃんが、消えちゃうなんて」
「わたしはうそなんてつかないわ。あなたたちと違ってね。それより、ほら。見てみなさい」
美也子が指さした先を見て、清子は目を疑いました。右うでが、手首から肩にかけてまで、木へと変わっていたのです。
「もうすぐあなた、人形になってしまうわよ。でも、そうなって当然よね。お友達の存在を消してしまうような人なんだもの。そんな大うそつきの悪い子には、ふさわしい罰だわ」
清子はがくりと、その場にすわりこんでしまいました。雨粒の中を、美也子が楽しそうにダンスを続けます。
「清子……悪い子だ。おじいちゃんのいいつけを、守らないどころか、ひとみちゃんまで」
「そうね、あなたは悪い子だわ。悪い子で大うそつき。ひとみちゃんじゃなくて、あなたこそこの世から消えてしまうべきなんじゃないの」
美也子はフィギュアスケートの選手のように、くるくるっとジャンプしました。きっとそこだけを見たら、無邪気な妖精のように思えたでしょう。
「清子は、清子は、消えてしまうべきなの?」
かぼそい声でたずねる清子に、美也子はそっけなく答えました。
「ええ」
「ひとみちゃんのことをうそにしてしまったように、清子のこともうそにしてしまわないと、いけないの?」
「そうよ」
「そうすれば、清子は、清子は許されるのかな。悪い子じゃなくなるのかな」
「さあ。でも、罰は受けないと」
髪をなびかせる美也子を見つめながら、清子は立ちあがりました。髪の毛がバチバチと逆立ちました。さっきと同じ、こめかみがぎゅうっと押しこまれるような痛みも感じます。舌がびりびりとしびれ、痛みで涙があふれてきました。
――悪い清子は、いなくならないと――
清子は祈るように手をにぎりあわせました。舌の痛みでつっかえながらも、心をこめて、自分にうそをついたのです。
「清子は、悪い子の清子は、この世界にもういない――」
その瞬間、清子は頭が割れんばかりの頭痛におそわれました。頭痛だけではありません。からだじゅうに激痛が走り、今にもちぎれてしまいそうです。それなのに、からだはぴくりとも動きません。それどころか、清子のからだはじわじわと二つに分かれていったのです。
――あれは、『わたし』――
清子のからだから分離したのは、もう一人の清子でした。その清子は、全身が真っ黒で、まるで影絵を見ているかのようです。恐ろしさにさけぼうとしても、のどがしめつけられているようで、声が出ません。
――なにが起きているの――
真っ黒な影の清子が、ゆっくりと美也子のほうへ歩いていきます。美也子は、影の清子を見ると、両手を大きく広げました。二人はドラマのワンシーンのように、お互いを強く抱きしめたのです。そのとたん、まるで二人を祝福するかのように、空中の雨粒たちが、細かくふるえだしました。
――『わたし』が、飲みこまれていく――
影の清子は、美也子の胸の中へと吸いこまれて、吸収されました。雨粒のふるえがおさまり、再びあたりは静けさにつつまれました。のどのしめつけも弱まり、清子は苦しそうにせきこみます。何度か深呼吸して呼吸を整えると、清子は美也子を見つめました。ぼやけていた美也子の輪郭が、さっきよりもはっきりと見える気がします。
「いったいなにが起きたの。清子は、清子がいなくなるようにうそをついたのに」
「それはね、清子ちゃん。あなたが自分の悪い部分を、うそつきな部分だけを、うそにしてしまったからよ。真っ黒な清子ちゃんが見えたでしょう。あれがあなたの心に潜んでいた、うそつきの清子ちゃんよ」
「そんな、清子は、うそつきじゃないよ。確かに今日は、うそをついたけど、でも、それまでは一度だってうそなんて」
清子の言葉をかき消すように、美也子がドスの聞いた声でどなりました。
「だがお前は、今までずっとごまかしてきたじゃねえか。うそをつかない代わりに、秘密とごまかしで生きてきた。決して自分の本心を出さずに、都合が悪くなると押しだまる。そうやって自分にうそをつき続けてきただろ」
さっきまでの鳥がさえずるような口調ではなく、男の人のような声に、清子は固まってしまいました。美也子のからだが、全身真っ黒に変わっていました。それはまるで、さっき見たもう一人の清子そのものでした。
「なぜ驚くんだ。このあたしは、お前の影だ。お前がうそをつかない代わりに、ずっとおまえ自身がだましてきた影だ」
真っ白だった着物は黒に染まり、陶器のようなすきとおった肌は、いまやカラスのように黒くなっています。しかし、目だけはあの、血のように赤い色のままでした。その目でにらみつけられて、清子はあっけにとられます。と、ふいに真っ黒なからだが、もとの真っ白な色に変わったのです。それとともに、今度は美也子が、親しげにしゃべりかけてきました。
「わかったかしら。あなたの代わりにこの世界からいなくなったのは、あなたの影よ。まあ、正確にいえばいなくなったんじゃなくて、わたしが吸収してあげたんだけど。」
「吸収って、じゃあ、あなたは今、美也子ちゃんでも、影の清子でもあるってことなの?」
「そうよ。でも良かったじゃない。こんないやな影を、あなたは消し去ることができたんだから」
再び美也子が、真っ黒な影の清子へと変わりました。きつい目つきで清子をねめつけ、威圧するような声でいいます。
「しかし、代償はいただいたぜ。お前の呪いはこのあたしが引きついだ。あたしがつくうそは、全て本当のことになる」
清子は身じろぎ、思わず聞きかえしました。
「どういうことなの、清子の呪いを引きついだってことは、清子はもとに戻るんじゃないの」
影の清子がくるっとその場で一回転すると、そのすがたは真っ白な美也子に変わっていました。美也子は楽しげに指をふります。
「残念ね。あなたがついたうその罰は終わっていないわ。だからあなたのうではそのままでしょう。それにね、彼女が奪ったのはあなたの『うそが本当になる』という力だけ。だからこれからも、清子ちゃんはうそをつけば木に変わっていくわ」
「そんな」
絶句する清子を見て、美也子がくすくすっと笑いました。
「じゃあ、そろそろお別れのようね」
「安心しろよ、お前の呪いは、このあたしがしっかり使わせてもらうからな」
美也子と影の清子が、交互に笑い出すのを見て、清子はたまらずさけびました。
「待って、かえして、ひとみちゃんをかえしてよ!」
「おいおい、かえしてはないだろう。お前があいつを消したんだぜ。あこがれのひとみちゃんをよ」
清子の顔が恐怖にゆがみます。影の清子はふりむいて、意地の悪い笑顔でいいました。
「お前、あいつのことが好きだったんだろ。白馬の王子様ならぬ、白馬のプリンセスか。いじめられてたお前をかばってくれたもんな。そんなあこがれのひとみちゃんを、なかったことにするなんて、お前は本当に悪党だな」
清子はへなへなと、その場にすわりこんでしまいました。影の清子は美也子のすがたに変わって、清子にひらひらと手をふりました。
「それじゃあまたね」
美也子のすがたは雨のしずくにかき消されました。次の瞬間、再び世界の時は動き出して、清子は全身に雨のつぶてを受けたのです。しかし清子は、立ちあがることも、かさを拾うこともできませんでした。じっとすわりこんだまま、肩をふるわせておえつをもらすだけでした。
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