第12話
日記はそのまま、八月六日で終わっていました。八月七日には、ただ、儀式の日とだけ書かれていて、それ以降は白紙でした。ノートから目を離して、清子はおじいちゃんを見あげました。
「いったい、なにをしようとしたの? お父さんとお母さんは、どんな儀式をして、そして、いったいどうなったの?」
おじいちゃんは無言で、ノートをぱらぱらとめくっていきました。最初のほうのページを開いて、おじいちゃんはそれを見るようにうながしました。
「これは、赤ちゃんの絵? もしかして、清子と、それにお人形さん?」
そこには複雑な字が書かれたお札の上に、二人の赤ちゃんが寝かされている絵が描かれていました。余白には、お札の位置や書かれている文字について、くわしい説明が書かれています。しかし清子の目がくぎづけになったのは、ノートのはしっこに書かれた走り書きでした。
『うその呪いにうそをつく』
「おじいちゃん、これって、いったいどういうことなの?」
「わしも、くわしいことはわからんが、二人が行った儀式とは、どうやら清子と、清子にそっくりのからくり人形を用意し、清次がからくり人形にうそをつくというものだったらしい。清子に対して、『お前は清子じゃない』とうそをつき、からくり人形に、『お前は清子だ。お前は呪われている』とうそをつく。そうすれば、そのうそは本当のこととなり、呪いは本物の清子ではなく、作られたからくり人形に受け継がれるということじゃ」
清子の顔が青ざめました。タオルケットをぎゅっとつかんで、自分の胸を抱きしめます。
「そうじゃな、恐ろしいことを考えたと、わしも思うよ」
おじいちゃんの言葉に、清子はなにもいえませんでした。お父さんがついたといううそを、清子は心の中でもう一度思いかえします。
――お父さんは、清子に『お前は清子じゃない』ってうそをついた。そして、お人形さんに『清子だ』って。でも、それじゃあお人形さんが清子になるの? じゃあ、清子は、『わたし』は清子じゃないの? 『わたし』はいったいだれなの――
「清子、大丈夫か。少し休もうか、またあとで話をすれば」
「ううん、大丈夫、大丈夫だから、続けて」
おじいちゃんは清子を不安そうな目で見ていましたが、やがて話を続けました。
「清次と陽子さんは呪いを解くために儀式を行った。この絵と同じように、お札の上に清子とからくり人形を乗せて、身を清めた清次がうそをついたんじゃ。清次の呪いは一族のだれよりも強いものじゃった。だから呪いにさえも、うそをつけると思ったんじゃろう」
「でも、お父さんとお母さんは」
おじいちゃんはくやしそうにこぶしをにぎりしめました。
「もしわしが儀式のことを知っていたら、絶対に止めたのに。儀式の結果、呪いをだますことはできなかった。いや、だまそうとしたことに対して、呪いが暴走してしまったんじゃ。ものすごい音がして、急いでわしが寝室にたどりついたときには、すでに二人は人形に変わっていた。そして、二人が用意していたからくり人形が、ひとりでに起きあがり、わしにしゃべりかけてきたんじゃ」
おじいちゃんはしかめっつらのまま、ぎゅっと目をつぶりました。そのからくり人形は、おじいちゃんにこういったそうです。『清美の血を引くものたちよ。わたしの名前は美也子。お前たちに呪いをかけたものだ。うそつきの血を引くものたちよ、悔いるがいい。一度ならず二度までも、このわたしにうそをついた報いを受けろ。この娘には、お前たちよりもはるかに強い呪いをかけた。大切なものが苦しむさまを、己の無力さとともに、じっくりと味わうがよい』と。そういって、そのからくり人形は、ガラガラと壊れてしまったそうです。清美さんの前に現れた、焼け焦げた人形と同じように。
「これが話の全てじゃ。だからわしは心に誓ったのじゃ。息子とその嫁さんを守ることができなかったなら、せめて清子だけは守ろうと。じゃが、結局清子まで、こんなひどいことになってしまった。全部わしのせいじゃ。わしがもっとちゃんと話しておけば、こんなことには……」
うなだれるおじいちゃんのうでを、清子がつかみました。
「そんなことないよ。おじいちゃんは清子のことを守ってくれたもん。悪いのは清子だよ。おじいちゃんのいいつけを守らなかった、清子が悪いんだ」
「清子ちゃんが悪いのはわかってるけど、清子ちゃんの罪はそれだけじゃないでしょう」
突然知らない女の子の声がして、清子もおじいちゃんも、テーブルの上へ顔をむけました。
「ひっ、いやっ」
清子が悲鳴をあげました。ミーヤがテーブルの上に立っていたのです。木でできた両足でうまくバランスをとり、二人を見あげるように顔をかたむけています。
「バカな、まさかお前は」
清子をかばうように、おじいちゃんが清子の前に出ました。人形のはずなのに、ミーヤの顔が、にやにやしているように見えます。
「どうして、ミーヤが動いているの。ううん、あなたはミーヤじゃないわ。清子のお友達のミーヤは、そんな意地悪な顔をしていなかったもん」
「あら、つれないわね。清子ちゃんがさびしいときや、いじめられたとき、あれだけ話し相手になってあげたのに。そんないいかたするなんて」
ミーヤの人形は、くっくとくぐもった笑い声をあげました。笑い声はだんだんと大きくなり、ついには部屋全体にまでひびき渡りました。
「いいわ、そろそろ種明かししてあげましょうか。そっちのおじいちゃんは気づいたみたいだし。わたしは美也子よ。あなたたちに呪いをかけた、あの美也子よ。これからよろしくね」
ぺこりとミーヤのすがたをした美也子が、二人におじぎしました。人形のはずなのに、その動きは完全に人間そのものでした。
「どういうことなの? ねえ、ミーヤは? 清子のミーヤはどうなったの?」
「ああ、あの子ね。ずいぶん抵抗してくれたわよ。ただの人形だったら、簡単にからだをのっとることができるのに。ずいぶんと愛されていたようね、あの人形から。清子ちゃんは罪深い悪い子なのに」
ミーヤの顔で、美也子が清子を見あげます。悪意のかたまりのような視線に、清子の顔がゆがみます。
「これからよろしくねじゃと、ふざけるな、いったいなにが目的じゃ」
おじいちゃんがどなりつけました。しかし美也子はまったく動じず、その場でくるくるとおどりだしました。木の足がテーブルにあたるたび、コツコツとかわいた音がひびきます。
「そうね、人形とはいえ、せっかく現世に肉体を持って戻れたから、やりたいことはいろいろあるけど。でも、とりあえずわたしはお礼をいいにきたのよ」
「お礼?」
おうむがえしに聞きかえす清子に、美也子ははずんだ声で答えました。
「そう、お礼よ。だってわたしがこうして肉体を持つことができたのは、清子ちゃんのおかげだもの」
「どういうこと、いったいあなたは、なにをいっているの」
おびえる清子に、美也子はあきれたようにいいました。
「どうやら本当に忘れているようね。ま、それだからわたしが、こうして肉体を持つまでに、成長することができたんだけど」
美也子はじっと清子を見つめました。木に彫られた目が真っ赤に光っています。その迫力は本当に生きた人間の目のようでした。清子は視線をそらすこともできずに、ただただ立ちつくしています。
「まあいいわ。教えてあげる。あなた、お友達を消しちゃったのよ」
美也子が歌うような、軽い口調でいいました。耳鳴りとともに、ひどい頭痛が清子をおそいます。吐き気がして、思わずその場にしゃがみこんでしまいました。
「どういうことじゃ、清子が友達を消したじゃと。でたらめをいうんじゃない、清子がそんなことをするはずが」
「でたらめもなにも、全て事実よ。清子ちゃんは都合よく忘れちゃってるみたいだけど。ねえ、おじいちゃん。おかしいとは思わなかったの。いくら清子ちゃんにかけられた呪いが強くても、うでが両方とも、木に変わっちゃうなんて。今までに、うそをついて二か所も木に変わるなんてこと、あったかしら」
おじいちゃんは目をむきました。美也子を警戒しながら、ゆっくり清子のほうにふりむきます。
「清子、いったいどういうことなんじゃ」
「ほら、おじいちゃんが聞いてるじゃない。答えてあげないと。清子ちゃんがひとみちゃんにしたこと、ちゃんといわないと。あなたが消したのよね、ひとみちゃんを」
清子の脳裏に、あの雨の日の出来事がありありとよみがえりました。今まで忘れていた記憶が、思い出したくなかった記憶が――