第1話
梅雨まっただ中のじめっとした空気が、六年三組の教室を重苦しくつつんでいます。その重苦しさを切りさくように、どなり声がひびきました。
「いいから、いうとおりにしなさいよ」
放課後の教室には、女の子が四人残っていました。パステルブルーのワンピースを着た、背の低い女の子が身をちぢめています。髪が長く、色の白い、おとなしそうな女の子です。その女の子のまわりを取り囲んでいたのは、活発そうな三人の女の子でした。
「でも、うそは、うそをつくのは、よくないよ……」
そのおとなしそうな女の子、日野清子が、うつむいて視線を合わさないようにしながら口ごもりました。三人組のリーダー格である姫川百花が、おどすように低い声でいいました。
「なにガキみたいなこといってんのよ。あんまりわたしを怒らせると、この間みたいにトイレに閉じこめるよ」
ふふんと笑い、百花は楽しげに清子をにらみました。ほかの二人もくくくと面白そうに笑っています。放課後の暗く不気味なトイレの中を思い出して、清子はぶるっとふるえました。
「理科室のとなりのトイレなんかどうかしら。あそこはほとんど誰も使わないし、もしかしたらあんた、もう一生誰にも見つけてもらえないかもしれないわね」
「あ、それありそう。だってこいつホントおどおどして、クラスにいてもいなくても、全然気づかないって感じだもんね」
「むしろこいつもそれのほうがいいんじゃないの? どうせあんたのことなんて、誰も心配しちゃくれないわよ」
三人がそろって高笑いします。一通り笑ってから、百花が清子を射抜くようににらみつけました。
「で、どうなの? いうとおりにするの? しないの? わたしたちも暇じゃないのよね。さっさと決めてもらわないと。どうするのよ?」
ずいっと百花がせまってきました。ぱっちりした目は、男子ならきっとアイドルに見つめられているかのように感じるのでしょう。しかし清子にとっては、恐ろしく、まるでえものを狙う肉食獣の目のように思えました。がくがくとふるえながらも、清子は上目づかいで百花の顔を見あげました。
「なによ、いいたいことがあるならさっさといってよね!」
百花に気おされながらも、清子はどもりながらぶつぶついいます。
「だ、だって、うそをついたらだめだって、うそをつくことは悪いことだって、おじいちゃんからいわれたもん。おじいちゃんのいいつけは、ちゃんと守らないといけないもん。おじいちゃんのいいつけを守らない子は、悪い子になっちゃうって、おじいちゃんからいわれたもん」
三人は顔を見合わせ、それから再びそろって笑いだしました。まるであざけるような笑いかたに、清子は少しだけ顔をあげましたが、すぐにうつむいてしまいました。
「アハハ、あんたホント面白いわねぇ。『おじいちゃんのいいつけを守らない子は、悪い子になっちゃうもん』だって、アハハハハ!」
百花が清子のしゃべりかたをまねて、それを聞いた他の二人がまた笑います。三人の笑い声が反響して、誰もいないはずなのに、教室全体が笑っているように聞こえてきます。清子は下を向いてぶるぶると身をふるわせます。
「……へぇ、じゃあ悪い子じゃない、良い子の清子ちゃんは、お友達がどうなってもいいって思ってるんだ」
「えっ?」
ようやく笑い終わってから、百花が清子にたずねました。清子がハッと顔をあげます。上目づかいに見る清子を、百花はじろりと見おろしました。あわてて清子は目をそらしました。
「どうしたの? ほら、いつものぶりっ子ちゃんの目で、わたしを見なさいよ。ほらほら、どうしたのよ?」
ぐいぐいせまってくる百花から、清子は必死で逃げようと顔をそむけました。しばらくせまって逃げての攻防が続きましたが、やがて百花は動きを止め、再び清子を見おろしました。今度はなにをされるのかとみがまえる清子に、百花はにやにやしながら、しばいぶった口調で続けました。
「あなたがわたしのいうとおりにしないと、あなたの大事なお友達の、たった一人のお友達の、湯田ひとみちゃんが代わりにいじめられることになるんだけどなぁ」
「えっ、だめ、そんなのだめ!」
百花の意地悪な顔を見あげて、清子はぶんぶんっと首をふりました。長い髪がその勢いでなびきます。百花たちは、くすくす笑うだけで、なにも答えませんでした。清子は必死で頼みこみます。
「お願い、ひとみちゃんにだけはひどいことしないで。ね、お願い」
今にもすがりつきそうな勢いの清子を見て、百花が鼻先でふんと笑います。取り巻きの女子たちも、くすくすと笑い出しました。
「じゃあ、良い子の清子ちゃんなら、どうすればいいかわかるでしょう」
百花の言葉に、清子は自分をかばうように、両手でぎゅっと胸を抱きしめました。
「ああ、そう。じゃあひとみちゃんがどうなってもいいのね。友達より、おじいちゃんのいいつけとやらのほうが大事なんだ」
「違うよ、違うけど、でも」
おどおどしている清子に、百花がチッと舌打ちします。
「だからはっきりしろっていってんのよ。あんた、そんなだからいじめられてるって、わかんないの」
「だって、清子は、清子は……」
ぼそぼそとつぶやく清子を、百花は能面のような顔でにらみつけます。清子はヒッと息を飲みました。
「はぁ? 前から思ってたんだけど、あんたなんで自分のこと、『清子』なんていってんの。かわいこぶってるつもり?」
百花が清子にせまります。あわてて清子は首をふりました。
「そんな、違うよ、清子は」
バンッと百花が、清子のうしろの壁をたたきました。びくっと固まる清子の耳もとで、百花がささやきました。
「続きはトイレでしようかしら。この前みたいに。でも、この前と違って、今度は都合よくお友達が助けに来てはくれないかもよ」
「いや、それはいや……でも……」
がしっと百花にうでをつかまれて、清子が顔をゆがめます。百花の手をふりほどこうとしますが、三人に取り押さえられました。
「バカね、わたしたちから逃げられると思ってるの? さ、連れて行くわよ」
「やだ、わかったよ、わかったから、だから許して」
首をふりながら叫ぶ清子の手を、百花は乱暴にひねりました。
「痛いっ」
「痛い思いしたくなかったら、さっさということ聞きなさいよ、このグズ」
百花にどなられて、清子はついに泣き出してしまいました。背中をふるわせてぐずる清子の髪の毛を、百花ががっしりつかんでひっぱりあげました。
「痛い痛い、痛いよ」
「じゃあさっさというとおりにしなさいよ。まだ痛い目にあわされたいの?」
清子は必死で首をふります。百花は清子の髪の毛を離しました。
「それじゃあ、早くいいなさい。『姫川さんと高倉君はつきあっている』って、心をこめてうそをつくのよ」
「ちょっと、ちょっとだけ待って。あの、姫川さんに一つだけ聞きたいの」
百花は清子を無言でにらみつけます。清子はめげずにたずねました。
「あの、どうして、清子がうそをつくと、それが本当のことになるって知ってるの? 清子とおじいちゃんと、ひとみちゃんしか知らないはずなのに」
清子が持つ不思議な力。それは、心をこめてうそをつくと、それが本当になってしまうというものでした。
――うそをつこうとすると、舌がびりびりしてすごく痛くなるの。でも、そのびりびりをがまんしてうそをついたら、それは本当になってしまう。びりびりをがまんしてまで、願ったうそだから、本当になってしまうんだって――
おじいちゃんの言葉を思い出し、清子はぶるるっとみぶるいしました。
「この間あんたたちが話してるのを聞かせてもらったのよ。ひとみの声ってよく通るから、まる聞こえだったわ」
百花にいわれて、清子は目をむきました。
「やっぱり気づいてなかったんだ。それで秘密だっていってるんだから、笑っちゃうわ。ホントあんたって、正直だけがとりえのバカよね」
「うう、ひどいよ」
しゃくりあげる清子を無視して、百花は楽しげに続けました。
「でも知らなかったわ。あんた、呪われてるんだってね」
『呪い』という言葉を聞いて、清子の顔がひきつりました。幼いころに、おじいちゃんから聞いた話が、頭の中によみがえってきたのです。
お読みいただきありがとうございます。
本日から6/11までは、基本的に2話ずつ投稿する予定です(夕方と夜を考えています)。
最後までお楽しみいただければ幸いです。
また、他にも作品を連載していますので、もしご興味がございましたらそちらもどうぞ♪