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『君に出逢えてよかった』




この手のひらに何が触れても、わたしはただぼんやりとしているだけ…


この眼に何が映っても、この心は微塵も動くことなく、ただ静寂に佇むだけだった。


わたしはそれでいいと思っていたわ。

世界ってそういうものだと、ずっとそう、思っていたの。




世の中は、醜いもので溢れているでしょう?


でもわたしは、そんなものさえ眩しいと思ったわ。


だって、何もないよりうんとマシだもの。


何かが存在することは、誰かが生きている証拠(あかし)


誰かが、()きている証拠。


空っぽのわたしにとって、この世界の全ては遠い遠い存在で──


少しだけ、近づきたいと思っていたの。




わたしは、わたしのことをよく知らなかったわ。


ただ、微笑み方は知っていた。


どんなふうに笑えば相手が喜ぶかとか、どんな仕草で接すれば相手の気を害さずに済むかとか、そんな打算だけは、常に隣にあったの。


相手に喜んで欲しかった、のかもしれない。

相手を傷つけたくなかった、のかもしれない。


でも実のところは、ただ穏便に波風を立てずに安息を保ちたかった…

きっと全ては、わたしのためだったのね。


己の保身さえできれば…か。


ああ、なんて浅ましい行為かしら。


わたしは微笑みながら、実のない虚ろな心を隠して相手と楽しそうに会話をしたりしていたわ。


──愚かね。




──わたしは、生きるためにわたしを捨ててきたわ。


涙も、怒りも、喜びも全て。


らくになりたかったの。

らくに生きたかったのよ。


わたしは、わたしを捨ててしまえば、生き易くなることを知っていた。


周りのみんなの所望するような「わたし」を演じれば、呼吸(いき)をしやすくなると知っていたの。


どんなに怖いことも怖くなくなったわ。


だって、「わたし」は笑うことしか知らないのだから──。




微笑み続けるわたしの日々は静かで、心地よかった。


だけどいつしか、きしりと何かが軋み始めたの。


それが心だということを、当時のわたしは気づきもしなかったわ。


何か病気にかかったのかと思ったけれど、違和感はすぐに消えてしまったから、それからも平然としていた。


──季節(とき)を刻む砂時計が、凍ってしまったことも知らずに。


わたしは、笑っていたわ。




それからしばらくして、わたしは立ち上がることができなくなってしまったの。


お医者さまにかかったけれど、原因はわからなかった。

首を傾げていたわ。


仕方なく椅子に座る日々を過ごしてね、窓の外を見ていたの。

何もできないわたしを、誰も責めなかったわ。

日向(ひなた)では、ね。


日陰では、尖った鋭利な刃のような言葉が飛び交っていた。


けれど、わたしには届かないのよね。

聞こえないもの。


──聞こえていたのでしょう、って?


そうね、聴覚は全く異常なかったわ。

ただ、流れていってしまうの。

全て、身体を通り抜けていってしまうのよ。


だから、何もないのと同じなの。




わたしは遠い世界を眺めながら、日に日に弱っていったわ。


ついには起きることもできなくなって、食べることもできなくなって。

水だけを少しずつ飲みながら、ベッドに横たわって──


……この世から居なくなることを、ぼんやりと願った。


わたしを演じられないわたしなら、要らないと思ったわ。


わたしの代わりなど、たくさん居るのだから、とも。



『──お姉ちゃん』


痩せ細った腕を眺めていたある日、どこからか、声がしたの。


……透明な声だったわ。


『聴こえる?どうか返事をして……』


子供のようだけれどどこか大人びた、不思議な響きで。


「誰……?」


殺風景な部屋を見回しても、誰もいなかった。




もともとわたしの部屋にはあまり人は寄り付かないものね。


わたしは、この家にとって──


「この家に、とって……?」


考えようとすると、ずきりと頭が痛んだ。

思考を停止させようとするかのような痛みだったわ。




『お姉ちゃんは、考えるのが怖いのね』


柔らかな声が響くと、不思議と頭痛はなくなっていたの。


わたしは彼女に訊ねた。

あなたは誰なの、どこにいるの、と。


彼女はくすっと笑い声を漏らしてから、ゆっくり答えてくれた──。




『──知っているはず。わたしの名前も、姿も、お姉ちゃんはみんな知っているのよ? でも今はそうね、こうして会いましょう?』


ふわりと、綿に包まれたような感覚とともに、いつの間にかわたしは闇の中に……。


しん、と静まりかえった闇の中、ひとつだけ灯火みたいに光っている場所に吸い寄せられるように、歩いて行ったの。




そうしてわたしは「彼女」と会ったわ。


彼女は純白のドレスを着ていたの。

背丈は五、六歳くらいの子供と同じくらいだった。


足は裸足で、よく見ればドレスも切り刻まれたように至るところがほつれてボロボロになっていたわ。


それでも彼女は穏やかに微笑んでいたの。




少しくすんだ金色の、ふわふわの長い髪。

瞳は澄んだ青だったわ。


わたしが近づくと、彼女は言った。




『待っていたよ、会いたかった』


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