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「なるほど。夏目は父のような純文学ではなく、彼のような大衆小説を書きたいということか」
部長は、彼女の発言でフリーズした秋に代わり、詳しい話を聞き出そうとしていた。
有能な部員が入る事は、もちろん大歓迎だ。彼女はおそらく即戦力として、部の役に立ってくれるだろう。
だが、部長は確信していた。
夏目は大きな騒動を巻き起こす。
裏付けも、根拠もない。ただの直感にすぎないが、それがほぼ外れない事を部長は知っていた。
「…はい。 そういうことです」
身を縮こまらせ、全身で自分を警戒しながら返答する夏目の姿。これは代打が必要だと悟った部長は、香夏子に視線を向けた。
「…困惑。私が聞けと?他力本願ないい部長ね。……夏目さんの執筆経験はどれくらいかしら?」
「純文学なら父に指導を受けていて、小学生の時から作品を書いています。ですが、それ以外の分野となると1度もありません」
部長の予測通り、香夏子が話しかけると夏目の表情は、幾分柔らかくなった。それでも、まだ硬さが残っているように見えるが、それは初対面で緊張しているからだろう。それは、活動を重ねていけばいいだけだ。
問題は、自分への態度だが… 果たして、何がいけなかったのか?
「うーん、夢じゃなかったか…。えと、褒めてくれるのは嬉しいんだけど、優希ちゃんの方が上手く書けると思うけどな」
「とんでもない!秋さんのような、生き生きとした文章なんて、書けないですよ。堅苦しい文を書くことしか、私にはできませんから」
元に戻った秋が会話に入った瞬間、夏目の表情がパッと明るくなった。アタフタと手をバタバタさせて、秋の言葉を否定する姿に、先ほどまでの面影はない。
年下は対象外とはいえ、妬けそうになるほどの変わり様だ。
「何故にここまで対応の差があるのだ…?」
「絶句。まさか本当に分からないんですか?すいませんね、夏目さん。部長の脳みそがここまで手遅れだったとは思ってなかったの。代わりに謝らせてもらう」
香夏子が呆れた顔で、相変わらずの毒舌を吐いてくる。
夏目も冷たく、自分を睨んでいた。その大きな瞳は気のせいか、少し潤んでいる様に見えた。
果たして夏目の機嫌を損ねたのは、父親の事を聞き過ぎたからか?それとも、『純文学によくある「濡れ場」は必要か否か』、という命題への意見を求めたのがいけなかったのか?
ぐるぐると頭を回る問いをしばらく考えた後、部長は大きく頷いた。
(まあ、分からんものは仕方ない。これから、接し方を学べばいいさ)
夏目が入部してから、二週間が過ぎた。
部長の指導の下、秋たちは次の部誌に載せて恥ずかしくない実力をつけるべく、今も励んでいる。
上の階から漏れている吹奏楽部の演奏を聞きながら、部長はこの二週間を振り返っていた。
最初に提出してきた作品で、絵文字や顔文字を乱発していた巡には驚かされたが、今では何とか小説としての体裁はとれるようになった。
香奈子と北条の二人も、成長したが、一番伸びたのは秋だろう。
物語に入り込みやすい柔らかな描写や、自分の感性を相手に届け、共感させられる表現力は、大きな武器になるに違いない。
もっとも、感覚で思いつくままに書いているせいか、話の構成が悪く、せっかくの魅力が半減してしまっているのだが。
それより、問題は夏目だ。
目をやると、十分前から変わらず同じ姿勢の夏目の姿が映る。
「夏目さん、大丈夫?さっきから、天井を見つめているけれど。幽霊でも張り付いてる?」
「うう、何か違う…。書きにくい…」
父親の指導の賜物か、本人が長年努力した成果か、夏目が提出してくる作品はどれも素晴らしい。…無理に自分の文体を変えなければ。
「やっぱり、優希ちゃんが普段書いてるように、やった方がいいんじゃないか?」
「それじゃ、この部に入った意味がないんです!私は、秋さんのように書くために、ここにいるんですから」
夏目が苦労するのは、無理もない。同じ小説といっても、大衆小説と純文学の差は別物と言っていいほどに大きいのだから。
この二つの差を強引に例えるなら、 いま吹奏楽部が演奏している、流行りのJ-POPをアレンジした曲の演奏会と、ドレスコードがあるタイプのクラシックコンサートといったところか。
前者は、大勢に受け入れられる敷居の低いものだが、後者はある程度の知識が要求され、観客層が絞られている。
つまりは、読ませる対象が異なるのだから、当然書き方も変わってくるわけだ。
今の夏目は、純文学を無理矢理に大衆小説のように装わせているだけだ。
擬態させる事に集中し過ぎて、読者の心を掴む事に意識を向けていないのだから、独りよがりの作品にもなろう。
夏目には、大衆小説の読み手を意識して書くようにさせる必要がある。そのためには…
部長は数秒考え、思いついた中で最適な解を部員らに告げた。
「今回の部誌は、1ヶ月後の文化祭で配布するからな。皆に胸を張って配れるよう、いい作品を仕上げてくれ」
「えっ、そうなんですか?なんか、恥ずかしいな」
「初耳。そういう事は早くいうべき」
どうやら、部員らは前から決めていた事だと、勘違いしているらしい。ここで、単なる思いつきだと言っても、余計に怒られるだけだから、否定はしないでおこう。
「すまんすまん。代わりに、諸君らにチャンスをあげよう。配布する部誌で、『掲載された作品の内、どの作品が1番面白かったか?』というアンケートをするつもりでな。そこで見事、俺を抜いた者には良い品をあげよう!」
「良い品…ですか…?」
「あら、何を貰えるのかしら?」
胡散臭そうな表情を浮かべている者もいるが、関心は持っているようだ。
それでいい。
これは、夏目に部内という狭いコミュニティーではなく、より多くの読み手を意識させる絶好の機会となるだろう。
「それを言ったら、つまらんだろう。期待しているといいさ」
勿論、賞品の事など、まだ何も考えてない。
負ける気はしないが、一応用意はした方がいいだろう。万が一負けて、何も用意してないとなったら、夏目など二度と口をきいてくれなそうだ。
「え、優希ちゃんって、お父さんと喧嘩してるの?」
部長による、文化祭での部誌の配布宣言から二日後。
何故か、校内放送で呼び出された部長を除く全員が、部室に揃っていた。
やる事もないので、部室の机に顔を埋めている夏目に話しかけた秋は、初めて彼女の父である夏目漱の話を聞くこととなった。
「そうなんです!私がこの部活に入ったのを、どこかから知ったみたいで、馬鹿みたいに怒っていて。今すぐ、部活やめろって。ほんと、嫌になります!」
珍しく怒っている夏目の頬は、木の実を口に入れたリスのように膨れていた。それはそれで、可愛いらしい表情だ。
ニヤけると、巡にからかわれるから、顔には出さないけれど。
「確か、夏目さんのお父様は、この高校に多額の金を寄付しているはずです。パイプがあっても、不思議ではないでしょう」
どこから仕入れてくるのか、副部長の情報はいつも正確だ。今回も、間違ってはいないだろう。
意外そうに口を開けている、夏目を見るに、彼女も知らなかったようだ。
その時、入り口の扉が勢いよく開かれた。
現れたのは、テレビで偶に見る、着物姿の男。
「優希! あれほど言ったにも関わらず、またこのような場所に来ておるのか!さあ、私が稽古をつけてやる。早く家に帰るぞ!」
それは、夏目漱だった。
細身の体格からは想像できないほどの、声量に。そして、迂闊に話かければ殺されそうな剣幕に、身が竦む。
突然の登場に、部室にいた誰もが混乱し、言葉を失う中、いち早く立ち直ったのは夏目優希だった。
「お父さん!? 学校まで乗り込んでくるなんて、馬鹿じゃないの!? 言ったでしょ、私はやめないって!」
放送で呼び出され、何故か再び部の解散を勧告されていた部長は、部室の扉の前に立ち、ようやく事態を呑み込んだ。妙だとは思ったんだ。こんなに早く、2度目の勧告が来るのはおかしい。今回のは、夏目漱の圧力と考えるのが妥当だろう)
中で繰り広げられている、白熱した口論を盗み聞きしながら、事態の打開案を探る。
せっかく、文芸部が面白くなってきたところなのだ。ここで終わらせては勿体ない。
なるほど、大体の状況は掴めてきた。夏目漱は、娘をこのような素人の溜まり場ではなく、家で英才教育を施したいらしい。
どうしてもやめないなら、部活ごと潰す腹のようだ。
確かに自分は、ただの素人よりはまともに書けるつもりだが、芥川賞の作家には敵うまい。
作家を目指すなら、父親に従った方が……
「優希ちゃんの気持ちも考えず、よくそんな事を言えるな!」
「何だ、お前は。誰だか知らんが、私たちの家族の何を知ってるというのだ。口出ししないで、もらいたい」
扉の向こうから、秋の声が聞こえてきた。僅かに震えが混じる声から、勇気を振り絞っての行動だと分かる。
「あんたこそ、この部活の何を知ってるんだ!」
「少なくとも、創作者としての格は分かる。こないだ部誌を配布していただろう。それを読ませてもらったが、どれも凡作ばかりだったぞ」
凡作ときたか。
部長はその返答に、腹を立てる…どころか、ニヤリと笑った。
こういう、上から見下ろす輩を、突き落とすのは実に面白い事だろう。
ならば、どうするか?
決まっている。
夏目優希の退部を阻止し、そして自分たちの実力を見せつけるのだ。
閃き、そして扉を開ける。
「こんにちは、夏目漱先生。お初にお目にかかります。文芸部の部長を務めている者です」
「ふん。先ほどから、隠れていたと思えば、今ごろになって出てきたか。まあいい。帰るぞ、優希」
バレていた。芥川賞作家ともなると、観察眼まで違うということか。それとも、偶然か。
だが、そんな事で怯んではいられない。
秋ですら、根性を見せたのだ。部長の俺ができないわけがない。
「夏目漱先生。この文芸部と勝負をしていただけませんか?」
部員たちが、驚愕の目で自分を見る。自分が何を言い出すか、分かる者などいないに違いない。
「何?どういうつもりだ?」
「文芸部は近々行われる文化祭で、部誌を配布する予定です。その部誌には、『掲載された作品の内、どの作品が1番面白かったか?』というアンケート用紙を添えます。ですから、」
「つまり、私が書いた小説をその部誌に載せ、アンケートの結果で勝負すると?」
すぐに、夏目漱は提案の内容を理解した。
部誌を手に取る人のほとんどは、純文学に縁の無い学生だ。この条件であれば、大衆小説を書くこちらにも、勝機はあるかもしれない。
「その通りです。受けていただけますか?」
「………。この勝負に負けた場合、優希は大人しく私の言う事に従う。それを約束するか?」
この問いに、夏目優希はゆっくりと頷いた。
夏目漱ほどの男なら、この状況で無理矢理に娘を連れ帰っても、意味が無いと分かっているはず。
だから、この提案を呑んだ上で勝負に勝ち、娘を諦めさせる方が良いと判断する。
その考えは、幸いにも的中したようだ。
「いいだろう、受けよう。本職が相手だ、ハンデをつけてやる。文芸部全員の票数が、私の票数を上回れば、負けを認めようじゃないか。結果が出るまでは、優希は好きにするといい」
そう言うと、夏目漱は部室を静かに出ていった。
その時、部長には夏目漱の口元が微かに笑っていたように見えたが、見間違いだろう。
勝ち目があるのか?
と、秋と夏目優希が目で訴えてくる。
巡と副部長なんて、諦め顔だ。
純文学とはいえ、相手はプロ。高校生受けする文章を、書くことができないとは思えない。
一方、こちらで対抗できそうなのはどんなに贔屓目に見ても、精々俺だけ……と皆が思っているだろう。だが、それは違う。
「夏目優希、それと秋。二人には、合作で挑んでもらう」
秋の、読者の心を引き込む表現力に、純文学で培った構成力を夏目優希が足す。
互いの欠点も補えうる、けれど一歩でも間違えれば、文章が破綻しかねない。その賭けこそが、文芸部の勝利に導き、二人の成長を促す。
それが、部長の出した結論だった。