彗星は突然に
1週間後。俺達文芸部は校門の前で刷り上がった部誌を配布していた。俺にとって初めての部誌だ。
新学期が始まって一息ついたちょうど今頃は、例年、新入生勧誘が始まる。
部誌を発行したと言っても、廃部の可能性が潰えた訳では無い。更に下の代の部員を獲得する必要があった。そこで、北条さんが提案したのが「校門前でのプロモーション活動」だった。
「文芸部でーす!よろしくおねがいしまーす!」
声を張り上げ、目の前を通る生徒に部誌とチラシを手渡す。…とは言っても受け取ってくれる人はわずかで、殆どが目も合わせてくれずに通り過ぎていく。
「はぁ…」
時計は8時30分前を指していた。まもなく予鈴が鳴る。そのチャイムまでが活動可能時間になっていた。
自慢ではないが、俺は残念ながら人前に出ることが得意な方ではない。むしろ苦手だと言える。そんな俺は、朝からの精神的に応える業務を終えられると言うことで深くため息をついた。
「あの…」
余った部誌をダンボールに詰めなおそうと屈んだとき、俺の後ろから声がかかった。
見た事のない女子生徒だった。…もっとも、別に生徒全員の顔を知ってる訳では無いが、少なくとも見かけたことのない顔だった。襟元を見れば、学年色は緑色。つまり新入生という訳だ。
「あ、どうかしました?」
「あの…その…」
もじもじとして、なかなか話を切り出さない。こころなしか、視線はダンボールに向いている。
ダンボールがどうかしたのだろうか?
「えっと…その…部誌…貰えませんか…?」
…なんと。
スルーされるのが当たり前だったというのに、この娘は自分から貰いに来てくれたというのか。
「もちろん!どうぞ、友達の分まで持っていっていいですよ!」
「ほ…ホントですか…!ありがとうございます…!」
若干余り気味の袖口をパタパタさせて喜んでいる。小動物みたいで可愛いな。
そんな事を思っていると、ちょうど予鈴が鳴るのが聞こえた。
「もし良かったら今度感想聞かせてよ」
俺は変に格好つけ、ダンボールを抱え校門を後にした。
放課後。ホームルームの後、俺は部室へ直行する。
まだ、興味を持ってくれただけで入部するかどうかはわからないが、彼女の話をしようと思ったのだ。
「部長!報告です!」
部室の扉を開いて勢いよく飛び込むと、
「……」
そこには魂の抜けた部長が転がっていた。
「なにがあったんですか……」
「どうやら、新入部員の子にセクハラしたらしいのよ」
「違うぞ!断じて違う!デタラメだ!」
「うわぁ…」
北条さんもその場にいたわけでは無いのではっきりとしたことはわからないらしいが、どうやら入部を希望して部室へやってきた1年生に失礼をはたらいたらしい。
流石、尊敬する作家にウラジーミル・ナブコフをあげるだけはある。
「で、その新入部員って…」
もしかして今朝の…
「あ!今朝の…」
後ろから声がかかる。振り返ると、そこにいたのは紛れもなく今朝の1年生だった。
「秋さん、ですよね!作品読みました!面白かったです!」
「お、おう…」
あれ?この子こんなに元気良かったっけ?
「特に中盤でわかる、最初のシーンの秘密!綿密に組まれた構成にもう…」
いや、別にそんなつもりで書いた訳では無いのだが…
「まさか、缶詰がなかなか空かない、っていうのがラストの伏線だったなんて…凄すぎます!」
「あ、あのさ!ちょっといいかな?」
流石に俺は口を挟まざるを得なかった。
「そんなに考えて書いたわけじゃないんだけど…」
「え!?無意識であそこまで高度なものを!?」
あ、ダメだこりゃ。逆にややこしくなる。
「失礼。そろそろ自己紹介してください」
「あ、ごめんなさい…香夏子ちゃん」
さっきまでとは打って変わって、声のトーンが下がる。
「申し遅れました…。私は夏目優希と申します」
「え…?夏目って…もしかして」
「はい…父はこの間芥川賞をとった夏目漱です」
嘘じゃろ…。まさか、この娘がそんなに凄い人の娘さんだなんて。
「そうだと聴いたら、作家の端くれとして紳士的な対応をするのは当たり前だろ?」
「否定。あれは明らかにセクハラ」
「ぎゃあああ」
おいおい…。そんなんで大丈夫なのか…?
にしても、そんな芥川賞作家の娘からお褒めの言葉を貰えるなんて。流石に嬉しくないと言えば嘘になる。
「で、正式に入部するんですね?」
北条さんが優希から入部届を受け取り、記載内容をチェックする。
「あの…はい…。宜しく…お願いします」
ぺこりと頭を下げる動作に、さっきまでの勢いは完全に無く、今朝見たような小動物ぽさしか残っていなかった。
「わかりました。では、顧問の先生に渡してきます。秋君、部活の紹介の方よろしくお願いしますね」
おどおどする優希とは対照的に、嬉しそうな北条さん。北条さんは部長とは違う意味でかなりの変態さんである。余計な事考えていないといいが…。
「…きっと、手錠や首輪も似合うわね…」
「この部には変人しかいないのかチクショウッ!」
「アンタも大概よ…」
いつの間にか部室に来ていた巡に、鋭い指摘を受ける。
「そんなことより、優希ちゃん。これからよろしくね」
「よ…よろしくお願いします…」
巡が差し出した手を、優希は弱く握り返す。
それで満足したのか、巡は俺の方を振り返った。
「じゃあ、秋。あとは頼んだわよ」
「え?お前、どこ行くんだよ」
「それは少女の秘密ってやつよ」
お前、少女って…自分で言うかよ普通。
そんな事言ったら何されるかわからない。賢明な俺は口をつぐんだ。
取り残された俺には、部の説明をする以外にやることはない。
「じゃあ、優希…ちゃん?でいいかな?」
「あ…はい。お願いします…」
「おけ。じゃあ優希ちゃん。改めて文芸部へようこそ!いきなりで、悪いんだけどさ。なにかやりたい事…目標って決まってるかな?」
俺も入部する時、こんなことを聞かれたものだと思い出す。そういえば、あの時俺はなんと答えたんだっけか。
さて、優希ちゃんはなんと答えるんだろうか…。
「…私は!父のようにはなりたくないんです!」
帰ってきたのは、俺の予想の斜め45°を行くものだった。
「え…?と言うと…?」
「父のような作家にはなりたくないんです!…私は貴方の文章に恋をしました!貴方のようになりたいんです!お願いします!」
…どうやら、また面倒な事になってしまったみたいだ…。
俺は自分自身の運命を呪うしかなかった。