「好きな人と手を繋ぎたいと思う。この気持ちは変ですか?」
「好きな人と手を繋ぎたいと思う。この気持ちは変ですか?」
私は同性愛を変だと決めつけていた
だから隠すことで、誰にもバラさないことで、
ずっと平和のなかにいられると思った
幸福のままでいられると思った
たとえその恋が実らなくても
そんな幼い日の思い出をまずは語ろう
まずは始まりの物語
同性愛者であることに気づくときまで
まず、私の始まりを語るうえで、忘れられない日がある
それは、物心ついた日
五歳のころ、よく晴れた昼下がりの寝室
誰もいないその部屋で私は目を覚めした
それより前の記憶は、ない
自分の名前も、家族も、そこがどこかもわからなかった
ただ、起き上がるときの「体」の重さに驚いた
まるでいままで「体」を知らなかったように、新鮮な重量を感じた
しかし言葉はわかる
自分がしゃべらなくても、居間にいた女性は私のことを話した
自分の名前が「マリ」であることも、ここが家であることも、その女性が母親であることもすぐにわかった
だからその日より前の記憶がなくて困ったことはない
その日を私は物心がついた日とした
そんな始まりを迎えた私は、思考と記憶をもて余していた
頭がよく回る子だったのだろう
やけにいつも何か思考に耽っていた
あまり年相応とは言えないことばかり考えていたと思う
死ぬこととはなにか
生きることとはなにか
愛することとはなにか
知識も技術もないのに、仮説さえ自分で立てては崩していた
考えても答えのでない哲学的な問答を自分のなかでいつも繰り広げていた
あまりに回る頭には、保育園の生活は退屈すぎた
これは退屈しのぎではなく癖だが
物心ついた日からのすべての時間を覚えていた
何日前にどこでなにをしたのか
すべてをひとつのストーリーとして思い出せた
日付の感覚は弱かったが、あの日から数えて何日目かは簡単に思い出せた
ちなみに、この傾向は小学四年生まで続いていた
ほかにも、この頃の特長として、私には友達はあまりいなかった
姉妹の仲はよかったが、それでも人と話すことを嗜好しなかった
人との接し方がそもそもわからなかった
でも、文字を読むことがとても好きだったので、
どんな町中の看板の文字も読もうとして、読み方を母によく尋ねた
本も擦りきれるほど読み返し、母が新しい本を買おうと本屋へ連れていってくれることが楽しみだった
無口で、けれど決して無表情ではなく、子供らしく笑う子だった
そして、やさしい子だった
そんな私も時が経って、お受験をして私立の小学校に入学した
進路に関して希望など持っている年齢ではなかったが、姉が入ったのでそこに入ることにした記憶がある
休み時間もトイレに行って教科書を用意して静かに席に着き、
教科書の先を読みながら待っているような少女であった私にも、友達ができた
しかし、それは決して良い友達ではなかった
少なくとも、本来の私の性格から言えば似つかわしくないタイプだろう
クラスでも派手なグループに属する人達だ
そこからは辛い日々の始まりだった
私の小学校はイジメが日常だった
それは明確に誰かトップがいるわけではなかったが
未熟なコミュニケーションゆえに生じた微少なかすり傷を原爆で返しあうような関係だった
暴力さえなかったが、相手の不利益を最優先に考えていた
いま死者が出ているイジメほど激しくはなかったが
当時の私には人とぶつかること自体初めてで、どうしたらいいのか分からず怯えていることしかできなかった
きっと大人からみれば「こどものケンカ」で済む話だろう
毎日仲のいい子が一人は泣いていた
私も自分を守るためにウソをついて傷つけて傷ついた
笑顔を貼り付けて、繊細な心はいつも泣いていた
毎日ひとりで泣く場所を探す、恋も友情もない戦場
いちばん辛かったのは
母の買ってくれたシャー芯をすべて私の目の前で折ったことだ
怒る方法も抗議する方法も知らない私は薄笑いをすることしかできず
それを見て彼女たちは喜んでいるとつけあがった
他のどんな悪口より、母に申し訳なくて悲しかった
その日からシャー芯を学校に持っていかないことにした
シャーペンのなかにも芯を余計に入れないようにした
望むことはこの日常から抜け出すことだけ
逃げられるなら、と死を思わない日もなかった
ストレスの捌け口も分からずに自慰だけに癒しを求めた
行為の名さえ知らなかったのに、小三のころに始まり、小五には完全な中毒になっていた
これぐらいしか、気を他に向ける方法がわからない
それさえも生き残るためのただの作業
自慰にさえ私は偏見を持ち、なんて汚いことをしているんだと自分を責めつづけた
人と比べて初潮が遅いことも、来る回数が少ないこと、これが原因ではと不安に感じていた
そのためなおいっそう自分を責めた
止めようと何度も自制したが、失敗が募るばかりだ
毎日毎日、友達と自分との責め苦に、ギリギリで生き延びるだけの毎日だ
私は怒りを知らなかった
いや、むしろ怒りの表現方法を知らなかった
たとえ怒ってもその感情の吐き出し方がわからなくて、
よく知っている悲しみに変換して塩水として体外に排出するしか知らなかった
涙のない夜はないから、朝は必ずまぶたを氷で冷やして学校へ向かった
男子への嫌悪感を持ち始めたのも小学四年くらいだった
イジメにはなんの関与もしないことは言わずもがな、
このころ「セックス」とう言葉を覚え始めた男子は駅構内でもその単語を連呼していた
下品さに閉口していて、一切の交流を断っていた
女子を見れば「キショイ」としか言わない姿にもひどく胸焼けがした
まともに男子と話すようになるのは中学二年生からの話になるのでここは後述する
この学校から逃げるために陰でこつこつ積み上げた勉強は
誰も知っている人のいない遠くて高い場所へ私を導いた
そこだけが救いだった
中学の合格通知をもらった日から
私は中学で生まれ変わるために話術を学び始めた
私には、自分のおもしろくない真面目さが気にくわなかったし、
コミュニケーションの下手さがなにより腹立たしかった
このままでは同じ時間の繰り返しかもしれないと焦って、
必死に話のうまい人間を観察し、家では学びを取り入れた会話の練習をした
笑って笑わせてそつなく楽しく世渡りできるようにと
小学校も中学校もブレザーなので新鮮味はないが、
やはり行きたかった学校の新品の制服は感動を覚える
母の代わりに入学式の送迎と参列にきた祖母は、早起きして待っていた私の髪を結ってくれた
祖母が嬉しそうに編んでくれた丁寧なみつあみを肩に乗せ、
何百年とあるのではと思える見事な桜の木の花吹雪をくぐり、
もうほとんど席の埋まっている教室に入った
いまだに覚えている
最初の席順で、私はど真ん中の列の後ろから二番目だった
男女が隣になる列の配置なので私の後ろであり、入学早々教卓から一直線の一番後ろの席を得られたのは、当然女の子だった
楽しく話す話術を多少は身に付けた私は勇んでいて
「まずは自分から声をかけて友達を作ろう!」と心のなかで決めて、
その目星を後ろの女の子に勝手に決めていた
そして後に初恋をすることになる相手もその女の子だった
入学したてのこの頃の私は、幸福の絶頂にいた
友達もすぐに作ったが、休み時間もたまにしか話さなかった
イジメが発生するくらいなら近付きすぎないほうがいいと多少距離をとっていたが、それも許容してくれる友達だった
いつ話しかけても話しかけなくてもいい、ほどよい距離感だった
多少の話術を心得た私は、面白いヤツという良いポジションまで手に入れていた
私にとって気持ちのいい居場所だった
小学校のときは、いつ仲間外れにされるのかとビクビクしていたが
別に友達といることがすべてではないのでは、と私は気付いた
友達の代わりに、私には校庭の美しい桜があった
帰り道の川沿いの自然が好きだった
自転車で駆け抜ける風が私を癒す
こんなに穏やかな景色と心があることを初めて噛み締めた
この自然を表したいと、文章を書きはじめた
もらいたての携帯電話に、思い付いた自然賛美の言葉と自分の爽やかな感情を書きためた
物語を書きはじめたのもこの辺りからだ
絵も私はもともと描くほうで、
小学校低学年のころから隠れてマンガ絵も描いていた
ただ、見せて僻まれ無視されている子がいたので、家族以外の誰にも言っていなかった
マンガ絵も、まだ隠すところはあるけれど、伸び伸び描けるようになった
そういった創作好きな友人がだんだん集まり、当時の女子六人のグループが形成された
そのなかに、あの後ろの席の女の子もいた
名前はルナとしておこう
ルナと初めて話した言葉は大したことはない
入学式でわりと遅めに教室に着いた私は、机に置かれていたプリントの内容確認をしただけだった
だが、そもそもそんな知らない人に話しかけること自体、私には初めてで少し緊張していた
ルナもそんなかんじの返しだった
おそらく、ルナは私と同じような動機でこの学校を選んだタイプだ
小学校の人と誰にも会いたくなかったのだろう
私より遠くからバスと電車で通っていた
一度だけルナの家に行ったとき、とても遠かったのを覚えているが、それはまた別のときに話そう
最初、ルナは大人しいイメージしかなかった
私はかわいいとは思っていたが、クラスで目立つほどではない
つり目で、人を拒むような顔立ちと、長い髪で少し顔が覆われがちだった
ルナは休み時間も授業中も一人でよく絵を描いていた
それをこそっと後ろを向いて誉めていた
そして部活つながりやクラス内での雰囲気で、
最初の、席が近いからや出身校が同じメンバーで作られていたグループも、自然と変わった
私は別に創作好きなアピールをした記憶はないが、自由に一人でいる姿とルナの絵への興味からこのグループに入っていたのだろう
このグループではよくマンガや小説の話をしていた
それから描いた絵を披露しあった
もちろん普通な話もしたが、最近の芸能人の話題などには私はからきしなので黙っていた
しかし、このグループで集まることに何より私は幸福感を抱いていた
気の合うおもしろいメンバーでいられることが楽しくて仕方なかった
小学校での苦しみが嘘のようだった
自由に絵も物語もかける
作り笑いじゃない笑顔が作れる
自然を愛でられる
部活はやっていなかったので、放課後はみんなを送り出した夕暮れの教室で一人で幸福な文章を書いていた
その時間を満ちたものにできるのも、友達のおかげだった
そんな日常で、
会話の中心にいる人はあまり定まってはいなかったが、わりとルナかヒメだった
ヒメはグループ内では一番かわいいうえに、話上手だった
ルナはツッコミが得意だったので、よくこの二人が話題の提供をしていた
この小説を書く上で、あまり登場人物を増やすつもりはないが、一応ヒメのことも少しだけ記述する
ヒメはオタクで変態なのにかわいいため、クラスでの恋愛ゴトには巻き込まれることが多い子だった
しかし、基本私はその詳細を耳にすることもなかったので、この話にも出てくることはないだろう
グループ内でのポジションとしては、一番ルナと仲がよかった
私のポジションは基本的に聞き役か話題を拾う役
必要に応じてイジられてあげた
グループで一番仲がよかってムーミンに関しても、この小説では割愛しよう
彼女とも思春期特有のケンカを何度もしたが、それはまた別の話
ここまでの話を簡単にいうと
私とルナの距離はグループ内では遠いほうだった
だが、私は彼女の話のうまさや顔のかわいさで、気づくと一番ルナを見つめていた
当時の私は、それには特に意味を見出だしていなかった
すごいなーくらいの感想だった
ただ、その憧れから、もっと話したいという気持ちもあった
彼女はブログもやっていた
無料だったのて、みんなひとつはブログを持っていた時代だ
ルナはゴスロリやV系の世界が好きな子だ
ブログのデザインもそんな雰囲気のものが多いし、聞いている音楽もそうだった
私も幼い頃からゴスロリに夢見ていた
なのでそういう趣味の人が聞く音楽があることを知ったときの関心もひとところではなかった
もともと音楽に関心のない私に、好きなアーティストを与えてくれたのもルナだった
彼女の影響で聞き始めた歌手の歌が好きになった
彼女は病んでいる曲が好きだった
中二病という言葉もあるが、それも確かに否定はできないが、他にも少し思い当たるふしがある
これは直接本人に聞いたわけではないが
おそらく彼女は精神障害もあったのだろう
よく昼食時にたくさんの薬を飲んでいる姿を見た
ブログにも、よく鍵をかけた記事があった
私はとても彼女のそんな裏の顔に関心を示した
もともと私は優しい子だ
自分が小学校のころに辛かった経験から、自分のように精神的に苦しんでいる人を救いたいという気持ちがあった
それをルナが望んでいないことは知っていたので
あくまで自分の好奇心で動いたとしか言えないだろう
彼女のことを理解したくて
ルナの悩みを覗きたいと思うようになった
ルナの弱いところをもっと見せてほしいと思った
そして、できれば私に寄りかかってほしいとも思った
ルナが見ているであろう世界を覗こうと必死になった
彼女が好きなアーティストも勉強し
メンヘラのブログを巡り
ゴスロリについても学んだ
私がルナの一番の理解者になりたかった
その気持ちを持ち始めたころから
ヒメがルナと仲が良いところを見ることが羨ましくなってきた
私がその位置にいれたら、と思うようになった
きっとヒメより私のほうがルナのこと分かるよ
だからそんなにヒメとくっつかないでよ
手なんて繋がないでよ
私にしてよ
独占欲に溢れるたびに、彼女の気持ちと私の理解に少しでもズレがあると許せなくなって、さらに勉強をした
彼女の心で世界を見ようとした
そこでふと気付いた
まともに彼女を見れないことに
彼女のことばかり考えていることに
否定しようとしても、
答えはもうあまりに近くにあった
ああ
私はルナに恋をしているのだ
それは喜びではなく、
圧倒的に不安と恐怖だった
小学校から抜け出してやっと手にいれた幸福を、もう失いたくない
こんな変な恋心は死ぬまで隠さないと
必死だった
自分の「こうしないと」をたくさん作った
この頃には、一時期ストレスフリーな生活から収まっていた自慰も再発していた
前は自慰のときに誰かへの思いなんて必要なかったのに、いまでは浮かぶ顔がある
あのころから変わらない自慰への偏見で、また苦しくなった
今度は好きな人を思い浮かべる自分に辟易とした
なんで好きになっちゃったんだろう
「恋」なんて言葉、なければいいのに
「好き」だけに留めていられればいいのに
loveもlikeも日本語では「好き」でまとめられるから
このあいまいさに身を委ねていられればよかったのに
この関係を壊すことが、なにより怖かった
隠さなきゃ
同じグループにいても、もうルナの顔をまっすぐ見れなくなった