龍の谷 其ノ参
どうぞ!
龍の谷の中心に位置する大樹。そこにはある魂が宿っていた。すべての龍の祖、初代龍王。
龍の谷に住むものたちはそれを谷の守り神として崇めていた。もとの名はユグルというが、今の名は森の神。
森の神は数千年以上の樹齢を持ち、様々な知識と膨大な魔力、鋭敏な感覚を持つもう一つの頂点とされていた。
現龍王と、森の神。二つの頂点があるのならば、自然に対立するかと思われたのだが、森の神は魔獣や人同士の争いを好まず、基本静観し続ける存在であったため、争いにはならず、魔獣たちとはお互いに助け合う良好な関係を築いていた。
アギルはシウバと共に森の中心へと向かっていた。
黒い龍は一旦洞窟に戻し、アギルの妻であるマルクに任せた。
出産直後だったため、マルクは弱っていたが、自分の息子と娘を守る気概はあったので、何かあったときのためにカレンとディズを護衛としてつけた。
しばらく歩いた先に開けた場所があった。
そこには大木、森の神だけが強大な存在感を持ちながら佇んでいる。
「久しぶりよの、アギル」
しわがれた老人のような声が大樹のどこからか漏れる。
「ああ、久しぶりだな、森の神」
アギルは森の神に歩み寄り、程よい位置まで来ると座り込んだ。
シウバはその後ろで佇んでいる。必要以上に口を出すつもりはないようで、アギルに任せるつもりでいるようだ。
「フォフォ。シウバ。お主も来たか」
「ええ、当事者ですので」
普段あまり笑わないシウバが森の神ににこりと笑いかける。
シウバは知識を得るために森の神の元に何度も足を運んでいるので森の神とは顔なじみなのだ。
「森の神。あなたに相談したいことがあってここに来た」
「ふむ。何となくだが理解しておるよ。強い魂の輝きが、この森に落ちたのを見たからの」
「魂の輝き、ですか?」
「そうじゃ。もうすっかり小さくなったが今も空には異界を繋ぐ黒き渦が漂っておる。恐らく人間どもが何かしたのだろう。瞬間的ではあるがわしに匹敵するほどの魔力を消費した何らかの魔術によってこの世界と別の世界を繋ぐ扉が開いてしまった。そして空から別の世界の人間が呼ばれたようじゃな。じゃがその中に生きた人間ではなく死んだ魂が混じっていたようでの。その魂はこちらの世界に呼ばれた瞬間弾かれ、見当違いの場所に飛んでしまった」
「その魂が、今息子に宿っているものだと言うのか?」
「恐らくは、の」
アギルは考える。人間たちが行った何らかの魔術、儀式、外法によって異世界の人間を呼び寄せられていた。
すると気になるのがそのようなものを使って何をするか、である。
「人間たちは異世界の人間を呼び寄せて一体何をするつもりなのだろう」
「想像はつく。異世界の人間はこちらの人間より高い魔力の素質と戦いの才能を持つとされている。以前にもこちらの人間が異世界の人間を呼び寄せたことがあり、そのものたちと戦ったことがあるからの」
「戦った……攻め込まれたのか?」
森の神はその性質上動くことはない。戦ったというのであれば敵が龍の谷に進行する以外ありえないのだ。
「そうじゃ。そのときは軽くあしらってやったがの。恐らくは今回も同じじゃ。ただ異世界より呼ばれた数は前回の三倍以上になっておるがの」
人間と龍や魔獣の戦い。アギルは父に聞いたことがある。
かつて人間が魔獣の森に攻め込んだことがあったのだと。一度目は人間側もそれほど強いわけでもなかったので軽く追い返したが、二度目は急に力をつけていたという。三度目には谷の中心、森の神のところまで攻め込まれてしまった。
このときアギルの父を中心とする王龍たちは別の場所に出かけていなかったが、幸い森の神の力でやってきた勇者に対処することが出来た。
森の神がいなければ今頃この谷はなかっただろうと聞かされたのだ。
「なぜ人間はこの谷まで攻め込んでくるんだろうか」
「推測になるが、珍しい魔獣や龍を捕まえて奴隷にするか、皮や角や肉を売り物にしたいというものじゃろうな。外にはいない魔獣、ましてや龍はここにしかおらんしこの谷の中でならば普通に生活しておる。例えばシウバは両方に該当するじゃろうな。人間好みの容姿をしておるシウバを奴隷にしたがる人間は多いじゃろうし、あらゆる病に効く霊薬の材料となる角を持つケンタウロスでもあるからの。ケンタウロスは外では乱獲され、今ではこの谷におるほんの一握りしかおらん。人間どもにとってこの谷はある意味で宝の山に見えておるのじゃろうな」
「迷惑な話です」
シウバはため息をつきながらそう漏らした。
「まったくだの。さて、話を戻そう。まだ推測でしかないが人間たちはこちらを攻めるための戦力として異世界の人間を呼んだのであろう。そしてその数も前に比べると三倍以上。こちらの戦力も前に比べて増しておるが、心もとないのも確かじゃ。さてこのような状況であのもの……お主の息子をどう扱うか」
森の神は一拍置いて話し出す。
「一つは殺してしまうこと。一番分かりやすく被害も少ないじゃろう。そして二つ目、こちらの戦力にする。異世界の人間はさっきも言ったとおり魔力の素質が高く、戦いの才能も高い。うまく引きずり込めれば十分な戦力となろう。そして三つ目。放逐してしまう。その後敵に回るかも知れんが少なくとも内部に抱え込んで後で面倒なことにはならずに済む」
どうする? と言うように森の神はアギルを見る。アギルは悩んだ。一つ目の方法は取れそうにない。いくら他の人間の精神が宿っているとはいえ、自分は息子を殺すことに耐えられないだろうとアギルは判断していた。
情に厚いと言えば聞こえは良いが、アギルはどうにも身内には甘い傾向があるのだ。直そうと思って直るものでもない。
二つ目。確かに王龍という谷でも最上位の種族の性能に加え、森の神が言うとおりの素質があるというのであれば確かに重要な戦力となるだろう。
だがそうなるとアギルの息子に宿った異世界人がどのようなものなのかが重要になってくる。この森にはそぐわないものであれば、三つ目の放逐を選ぶほかない。
甘いな、とアギルは自戒する。だが今までそうして生きてきたのだ。そして多分これからも。
「わたしは二つ目を、選ぶべきだと思います」
今まで簡単な受け答え以外は口を挟まなかったシウバが突然言い放つ。
その言葉にアギルだけはなく、森の神も驚いた様子を見せた。
シウバは寡黙な少女であり、自発的に意見を言うことなど今までになかったからだ。
「どうしてそう思うのかね、シウバ」
「はい。わたしは彼の記憶を見ました。偶然見てしまったと言ったほうが正しいですね。彼はわたしたちが異世界と呼ぶ世界で暮らしていました。とても進んだ文明の世界です。飢餓に怯えるでもなく、殺しに怯えるでもなく、住む場所にも恵まれていました。普通ならば幸せでしょう。ですが彼は一度も幸せを感じたことがなかったのです。それは彼が孤独であったから、世界がつまらなかったから、そして何より自分の居場所がどこにもなかったから」
シウバは落ち着いて深呼吸をする。どうにも熱が入ってしまっている。精神を読み取ったばかりなので、彼に対する強い共感が残ってしまっているのだろう。
だがシウバはそれでも言葉をやめない。恐らく冷静になった自分でもこうするだろうと理解しているからだ。
「彼が欲しかったのは自分がいてもいい、楽しく幸せに暮らせる居場所でした。わたしは彼の感情を読み取り、強く強く共感してしまった。分かってくださると思います。だってあの人は少し前のわたしだから。居場所を探していたわたしだから」
アギルははっとした。シウバの出自を思い出したのだ。
シウバはケンタウロスとして生まれた。ケンタウロスは人間に乱獲されたため生存数の少ない種族であり、人間たちの間では希少種とされている種族だ。
彼女はこの森で生まれたのではなく、外から森に逃げ込んできたケンタウロスである。
森に住むケンタウロスは外から来た彼女をあまりよく思っていなかった。
もし彼女が力のないただのケンタウロスだったら良かったかもしれない。
だが彼女は他の同類より飛びぬけた力を持っていた。それこそ心を読む魔獣として遠ざけられている同類すら恐れるほどの力を。
シウバはただ孤独だった。襲われることはなかったが、ずっと無視され続けた。シウバが近づくと回りの魔獣たちは逃げていく。心を読まれないように。
このままずっと孤独なのだろうか。
シウバは毎日考える。確かにここでは命の危険はないのかもしれない。飢餓に怯えることもなく、住む場所もちゃんとある。だがそれだけだ。
シウバは死を考えた。
生きているのも死んでいるのも変わらないこの生活に耐えられなくなった。
そんな時だ、アギルがシウバに出会ったのは。
アギルはシウバを恐れてはいたが、遠ざけることは決してしなかった。
すると最初のうちは遠くから見ていた他の竜たちも自分達の王がそうするのであればと次第に彼女が近づいても逃げないようになった。
彼らの中でも奇特なものは自分からシウバに近づいてきた。アギルの側近とも言える三竜王、フレミー、ディズ、カレンは特にシウバを可愛がった。
いつの間にかシウバには居場所が出来ていた。楽しく幸せに暮らせる場所が。
それを理解したシウバは気付かずに泣いていた。偶然近くにいたアギルに声をかけられたことでどうしようもない感情が爆発したのだろう。今まで無表情でしかなかったシウバはアギルに飛び込み、泣き散らした。
どうしていいのか分からなかったアギルはそのままさせるがままにした。
後にこの光景を三竜王ーーーアギルは三馬鹿と呼んでいるが彼らとアギルの妻であるマルクに見られ、シウバが泣き止んだ後一日中弁解する羽目になったのだが。
「わたしは、この人を助けてあげたい。わたしがしてもらったのと同じように、この人の居場所になってあげたいんです。彼もただそれだけを求めていたから……!」
思い出してしまったのだろう。シウバは目元に薄く涙を浮かべる。
これに困ったのが男二人。アギルと森の神である。
可憐な少女の涙は場を変える力があるとよく言われているが実際に直面してしまうとなるほど確かに、と感じてしまう。
というかどうしていいのかわからなくなってしまった。
アギルはため息つく。自分が下した決定に甘いなと自嘲する。
だがそれが自分の生き方だと誇りを持って生きてきたのだ。
「そうだな。居場所になってやろう。彼は今新しく生まれたんだ……そうだな。名前はライがいい。再誕を意味する古き言葉だ、一度死に、生まれ変わった彼には丁度良い名前だろう」
「フォフォフォ。甘いのう、アギル。じゃがわしもその決定に賛成しよう。わしら二人が生かすと決めたんじゃ。誰にも口を出させたりはせぬよ」
感極まり、シウバは涙をこぼしてしまう。ありがとうと言ったつもりだが言葉にはならなかったかもしれない。でも言いたいことは伝わったはずだ。
シウバは思う。もうあんな悲しい記憶は残させない。自分たちが彼の居場所になってやるのだから。
(覚悟しておいてよね……!)
空を見上げたシウバは強く思う。ここまで決意させたのだから今更引き返したりはしない。彼を幸せにしてやるのだ。全力で。
同時刻、龍馬はくしゃみをしていた。