龍の谷 其ノ弐
3話目!!!
今までぶれていたものが明瞭になっていく感覚を龍馬は感じていた。
何が、と問われるとわからないが、そうとしか説明がつかない。
目がゆっくりと開いていく。差し込む光は強くはなかったが、龍馬にその光は眩しく感じられて、思わず目を閉じてしまう。何度か同じようなことを繰り返して、ようやく龍馬は目を開いた。
薄暗い洞窟のような場所だと龍馬は思った。だが岩肌は綺麗に整えられており、人の手が入ったような印象を伺わせる。
身体を起こそうと思ったが、思うようには動かない。何度か繰り返しているうちに、自分の姿が目に入ることになり、龍馬は驚愕した。
龍馬には自分が人間であるという自覚がある。過去のことはあまり思い出せないが、それでも自分が人間であると憶えている。
だがこの身体はどうだろう。龍馬は自分の身体を改めて観察することにした。
まず黒い。全身に闇のように真っ黒の鱗が生えそろってている。そしてトゲの生えた細長い尻尾。挙げ句の果てには翼まである。次に自分の視野が狭いことに気付く。声を出そうとするが、出るのは声にならない動物の鳴き声のようなもの。二本の脚では不安定になる身体。
龍馬は気付いてしまった。自分の身体が人の身ではなくなってしまったことを。そう、この身体は龍になってしまったのだと。
アギルはシウバという名の ケンタウロスを黒き龍に会わせるために連れていた。
ケンタウロスは馬の下半身を持ち、人間の上半身を持つ魔獣で、額に小さな黄色い角があるのが特徴である。ケンタウロスは相手の精神を読む力を持ち、その角はユニコーンのようにあらゆる病気の薬となるので、人間や、同じ魔獣からも狙われやすい魔獣なのだ。
二人は森を抜け、洞窟へと向かう途中であった。
「闇のように黒い鱗を持つ龍……ですか。確かに聞いたことはないですね」
白い長髪と赤い瞳が印象的なシウバはケンタウロスの中でも特出した存在だった。豊富な知識量と龍王の心の奥をも見通す目。魔獣たちには人に対する美醜はわからなかったが、人としての容姿も優れていた。
シウバは魔獣たちの中でも良くも悪くも目立つ存在であったが、誰も彼女に手を出したりはしなかった。ありとあらゆる精神、感情の起伏や思考を読み取るケンタウロス。だがシウバだけは他のケンタウロスとは違い、読み取る力に特化し過ぎていた。本人の意思とは無関係に人の記憶の奥底まで覗いてしまう。誰でも過去を覗かれるのはいい気分ではない。ましてやそれを他人に知られたら……
龍の谷の魔獣全てがシウバを恐れていた。
そしてまた、龍の王であるアギルでさえ、シウバを恐れている。
「もしかしたら王龍の亜種か何かかとも思ったが、シウバ殿が聞いたことがないのならばそうなのだろうな」
「そうですね。今の所そのような情報は聞いたことがありません。とすれば考えられるのはやはり何かが憑いているのだろうと思いますが、人間たちの間でそのような技術が開発されたという話は聞いたことがありませんし……ん?」
シウバが歩みを止める。アギルもつられて足を止めると、そこには生後まもないはずの黒い龍がゆっくりと、だが確かに歩いているではないか。
「そんな……いくら王龍とはいえこんな短時間で動けるようになるはずが」
「シウバ殿、頼む」
アギルの声に応じ、シウバは黒い龍の心を読み取ろうとした。
龍馬は自分の新しい身体を確かめるように歩みを進めた。
動かすごとに人間としての感覚が、龍としての感覚に作り変えられていくのを感じる。
龍馬はまずこの身体を掌握することを最優先に考えることにした。いろいろなことを考えるのもそれからでは遅くないだろうと判断してのことだ。まさか、読んでいたラノベのような、しかも人でなくなるなんてことを想定するはずもないのだし。
歩くごとに理解する。龍としての感覚を掴もうと必死で歩く。時折つまづき、倒れそうになるが、踏ん張りながら、あるいは倒れても立ち上がっていく。
無我夢中で歩く龍馬の頭には今までの、前世の記憶が鮮やかに流れていく。一般家庭の長男として生を受け、居場所のない、詰まらず退屈な、何の変哲もない学校生活を送り、そして死んだ、いや、殺された。押してきたあいつに何かしただろうか……
ささやかな楽しみや幸せを求め、前も見えず勉強していたあの頃。
ぱちん、と何かが弾ける音がした。龍馬は人としての自分が死んだのだと理解した。そして龍としての自分が目覚めたのだと。
龍馬はふと気付いた。自分を見ているものがいる。
顔を上げると、そこには自分の数十倍もの大きさを持つ金色の龍と、幼い少女の上半身を持ち、馬の下半身を持つものがいる。
「……あなたは」
少女――シウバは視ていた。龍馬が走馬灯のように思い返していた過去を。幸せなどなく、ただ消費するだけの生活を。居場所が欲しいと、幸せでありたいと願いながらも、叶えられることなく死んでしまった龍馬の記憶を。
ちくり。シウバの記憶を彼の記憶が刺激する。忘れたい、だけど忘れてはいけない、大切な記憶。
「別の世界の人間、………なのですか」
男はなぜ少女がそのようなことを知っているのかわからなかったが、無意識に頷いていた。
直後龍馬はふらりと倒れこむ。踏ん張ろうとしていたようだが身体のどこにも力が入らないようでそのまま倒れてしまった。シウバが読んでいた思考も遅くなり、やがて止まった。
「……シウバ殿?」
アギルはじっと黙っていたシウバに声をかける。シウバは少し考えた後言った。
「この人は……こことは違う世界に住んでいた人間……のようです。それもまだ子供。彼は何らかの外法でアギル様の息子に危害を加えようとしたわけではなく、死んで、ただ気付いたら今の身体に入っていたようです」
「……それは、どういうことだろうか」
アギルは考える。この世界の人間が外法を使って自分の息子に憑こうとしているわけではなく、他の世界の人間が死んで、偶然世界を渡り、偶然自分の息子の精神に入ったという。
ありえない。アギルはそう考える。一体それがなされるのにはどれだけの偶然を重ねる必要があるのだろうかと。
非現実的すぎるとアギルは思う。だが心のどこかで胸騒ぎがするのだ。きっとこれは偶然ではないのだと。何かが起ころうとしているのではと。
「仙龍様に判断を仰ごう」
アギルは考えた末、シウバにそう言った。シウバも頷いて同意を示した。
龍と竜は区別しています。詳しくはお話で………