28 砂糖菓子
王宮に戻ってきたわたしには、あと5日休暇が残っていた。
「お帰りなさい、流華様」
いつも通りの挨拶をしてくる汐音にも懐かしさを覚える。
「なんだか、スッキリしたお顔をされていますね。実家で何かあったのでしょうか?」
「そうかしらぁ?」
わたしがとぼけると、汐音は不意に深刻な表情を覗かせた。
「…やっぱり、実家に戻られて本当に良かったです」
その言葉にハッとする。
汐音は、わたしのことを本当に心配してくれていたのだと改めて思い知る。
「ありがとう」
わたしは、胸の思いは秘めたまま、くすりと笑った。
本当にわたしにはもったいないくらいの侍女である。
「流華様が帰省されている間にわたくしもお休みをいただいて、その間に港町オリエルへ行ったのですが……」
わたしの髪を結いながら、鏡越しに汐音が思わせぶりに目を細めた。
「何?」
わたしが訊くと、嬉しそうに汐音は続きを話し始めた。
「オリエルでは、ちょうど東の方からの異国船が来ていてですね、すごく綺麗なものを見つけたんですよ!」
そこまで言うと、汐音はパパッとわたしの髪をまとめると、ポケットから小瓶を取り出した。
「見てください!」
汐音は、わたしにその瓶を渡した。
「わぁ……綺麗。宝石?」
瓶の中に入っていたのは、透け感のあるカラフルな、小石大のキューブだった。光に反射してキラキラと輝いている。これ、高かったんじゃないの?
しかし、汐音の返答は意外なものだった。
「違いますよ。食べれるんです」
「え!?」
わたしはもう一度、瓶の中のものをしげしげと眺めた。こんなに透明で綺麗な色をした食べ物を、わたしは知らない。
「食べてみてくださいよ」
鏡の向こうで、汐音がにやにや笑っている。「不味かったら怒るわよ」と言ってから、わたしは瓶の蓋をそうっと開け、薄ピンク色をしたものを口に入れた。
「………甘い!」
口の中に入れると、それはシャリッと崩れ、中はゼリーのようにぷるんとしていた。しかも、痺れるほど甘い。
汐音は嬉しそうに微笑んだ。
「琥珀糖、っていうらしいですよ。原材料は、主に砂糖です」
「すごい……」
わたしはもう一つ、黄色の琥珀糖を口に入れた。甘みが口に広がり、外側がカリッと崩れ、つるりとした食感が表れる。
わたしが小瓶の蓋を閉めて返すと、汐音はまたにやりと笑った。
「まだほかのもありますよ。あとで取ってきますから、楽しみにしていてください」
何それ。気になるじゃないの!
――あ、その琥珀糖はくれないんですね。ちゃっかり蓋してますが。がっかり。
わたしにとって、図書館塔に行くことは躊躇われた。心の準備のできないまま会うのは嫌だったからだ。
わたしは、大事に棚の中にしまっておいた本を取り出した。
――西川麻里『眠り姫』
わたしが風邪を引いたとき、わたしが祐樹様にキスされたあの日、祐樹様が置いていってくれた本だ。
なんだかんだで読む機会を逃し、その後は読みたくても開けなかった本だった。
でも、今のわたしは少し成長したのだ。今まで通りとは言わない、それでも一歩前に進んだはずだから。
表紙の上半分には、天蓋付きのベッドで安らかに眠っている、金髪の美女が描かれている。部屋の窓は開けはなたれ、清々しい青空が広がり、窓枠には小鳥が二羽並んで止まっている。
下半分には、暗い木々に囲まれた湖畔に美しい魔女が立っている絵が描かれている。その瞳は邪悪で、見るものをおぞましい気持ちにさせる。
わたしはゆっくりと表紙を捲った。
「るっかっさっまっ!」
ハッと顔を上げる。
朝、汐音に琥珀糖をもらって、『眠り姫』を読み始めてからどれくらい経ったのだろうか。
本は3分の2を過ぎている。
部屋の中に、西日が差し込んでいた。
あ、夕方だ、と認識すると同時におなかが空腹を訴えた。
ぐぅ。
……めちゃくちゃ恥ずかしいです。
「朝言ってた砂糖菓子です。いかがですか?」
汐音は、琥珀糖が入っていたのと同じような小瓶をわたしに見せた。
わたしは、それをしげしげと観察する。
琥珀糖と同じように、カラフル。小さい。丸いのに、たくさんの突起がある。汐音から瓶を受け取って傾けると、シャラリと軽い音がした。
汐音の目を見て、食べていいの? と上目づかいで尋ねると、なぜか汐音はほっぺたを真っ赤にして、両てのひらで押さえた。その様子が意味不明で、コテンと首を傾げると、コクコクと頷かれた。
……よくわからない。
わたしは恐る恐る瓶の蓋を開けると、傾けて出てきた黄緑色のそれを口に入れた。
それは、ほんのり甘くて優しい味がした。口の中で転がすと、歯に当たってカランと音を立てる。
「金平糖です」
まだ赤みの残る頬をさすりながら、汐音が言った。「琥珀糖もいいですけど、金平糖も金平糖で別の美味しさがありますよね」
わたしは頷きながら、もうひとつ金平糖をてのひらに出した。今度のは白色をしている。口に入れて、歯で噛んでみる。ジャリっと音がして歯の間で金平糖が砕けた。同時に、さっきより強い甘みが広がる。
「これも砂糖でできているの?」
わたしが訊くと、汐音は頷いた。
「そうですね。あと、もうひとつあるんですけど、見ますか?」
「もちろん!!」
次のは、瓶詰めではなかった。
汐音が取り出したのは、四角い箱。白地に黒で流線の模様が書いてある。
中が見えないので、興味をそそられまくる。
「何、何!」
わたしがわくわくしながら訊くと、汐音はたっぷり間を取って、本日何回目かもわからない憎い笑みを浮かべた。
「さぁ。流華様、どんなものか当ててくださいな」
「む」
そう言われるとあんまり引けないのが、悲しいかなわたしの性である。
わたしは今日見たふたつの砂糖菓子を思い出してみる。
まずは琥珀糖。透明でカラフル。キューブ型で、食べると外側は固くて内側は柔らかい。
次が金平糖。カラフルで、小さいけどたくさんの突起がある。
う~ん……。
「カラフルなんじゃない?」
わたしがビシッと言うと、汐音は曖昧な表情を浮かべた。
「色の種類はいろいろありますが……琥珀糖や金平糖ほど可愛らしい色ではないですね」
「え~~」
わたしはまた考える。どんな形をしてるんだろう。今までがキューブと丸っぽい形をしてたから、今回も規則的な形をしてるだろう。また四角? 丸? いや、六面体とかだったら素敵だな。
突然、
「ブー! 時間切れでーす!」
汐音がいい笑顔で言い切った。
何度も言うけど、汐音の笑顔が今日はたくさん見れますね。
わたしはわくわくして、汐音の持つ箱を見つめた。
「では行きますよー…はいっ」
「うわぉ!」
そこには、想像を絶する美しいものが入っていた。
薄橙色の繊細な花。散りばめられた葉。蝶。そんなものが、箱の中にぎっしり詰まっていた。
「か…可愛い…」
確かに色の種類はあまりない。ピンクも無いし、緑も無い。でも、すごく綺麗だ。琥珀糖より金平糖より芸術的センスを感じる。
「これ、ほんとに食べれるの? 硝子細工じゃなくて?」
わたしが訊くと、汐音は胸を逸らせて偉そうに頷いた。
「もちろん、砂糖を原料として作られていますから」
わたしはもう一度箱の中を覗き込む。花は綺麗すぎて触りたくない。蝶の羽も壊してしまいそうで嫌だ。だから、たくさんある茶色っぽい葉っぱを取った。
…触ってみても、硝子細工で通じる。
そっと口に入れると、優しくて上品な甘みが広がった。
わたしがそれを堪能していると、汐音が言った。
「これは、有平糖ですよ」
名前を聞くのも忘れていた。
それより――それより、まさかとは思うが、まさかとは思うが、これだけ試食させておいて、まさかわたしに何もプレゼントしてくれないなんてことは、まさか、まさか無いよね……?
だんだん不安になってくる。
「ねえ、しお――」
「あっ! そうです! 忘れてました! 東の殿のお茶請けの余り物をいただいたのですが、いかがですか? 余り物を主に捧げるのもどうかとは思うんですが、お茶請けですので最高級の菓子なんです! 流華様、召し上がられます?」
「あ、うん! もちろん!」
そして、美味しすぎるシフォンケーキと李のパイをいただいてしまい、砂糖菓子はうやむやになってしまった。もう今更言い出せない! 汐音、そんな人だったの!
汐音は夜が好きだった。
冷たい夜空。白銀の月。煌めく星。涼やかな風。生き物の悲しげな鳴き声。
目を凝らし、肌で感じ、耳を澄ます。そんな時間に、ほっと息をつくことができた。
そんな、〝夜〟を感じながら、汐音は使用人棟から学者棟までの道を歩いていた。夏になり、長くなった草が踏むたびにさくさくと音を立てる。
汐音の右手には、紙袋があった。中には、可愛らしい砂糖菓子が入った小瓶がふたつと、硝子細工のような砂糖菓子が入った四角い紙の箱がひとつ。昼間、主に渡しそびれたものだった。
サマーパーティーの後、汐音の主はおかしかった。だから、主が里帰りをしている間に何か元気づけられるものを買ってこようと思ったのだが、帰ってきた主は何か吹っ切れた様子で、自分の心配が杞憂に終わったことに微かな安堵を覚えた。
ただ、本人は気づいていないかもしれないが主はやはり奇妙なところがあって、この可愛い砂糖菓子をあげようと思ったのだった。
聡明で、勉強や読書に没頭していても、甘いものには目が無い。主は、不器用な少女なのだ。




