15 仕事の一環ですので
「え、そうなんですか」
「そうなんだよ」
わたしの目の前で溜息をついているのは凍砂さん。いつもの優しげで癒されるオーラがちっとも出ていない。
「また特別授業ですか」
「うん」
特別授業なんてつい最近やったばっかりな気がする。でも、そんなにテンション下がることかな?
「だってさぁ……」
凍砂さんが不機嫌そうに言う。
「行くのが超貴族学園のアンビシャス学園だよ? あの揃いも揃ってつまらなそうに授業を聞いている顔! 三分の一は寝てるし、なんのために行ってるんだか」
わたしは凍砂さんの顔をじっと見つめた。珍しい、凍砂さんが愚痴を言うなんて。
でもその気持ちも分かる。だって、あのアンビシャス学園でしょ? 金と権力に物言わせてるえっらそうで我儘な坊ちゃん嬢ちゃんたち。伯爵家とはいえ慎ましやかなシャネリア家はそんな馬鹿な学園行きませんけどね。我が兄妹たちは無理矢理にでも学校に行きたかったら王立に行かされてるし。賢いのは良いことだよ。
わたしの口からも溜息が零れ出る。
「はぁ……」
「はぁ……」
でもまぁ、再来週のことだからとりあえず現実逃避ってことにしよう? という風に言われ、わたしは了解して自室に戻った。課題とかはこなしてあるから当分は休める。
わたしがふかふかベッドの上でゴロンゴロンしていると、汐音が驚いたように入ってきた。
「流華様!? いったい何をなさっているのですか?」
「えー? いや、自堕落な休日を満喫?」
真面目にそう答えたわたしに、汐音が手を頭に当てて唸る。どうしたの?
「調子が悪いんなら休んでていいわよ。別に、今日は適当に過ごすつもりだし」
親切心でそう言うと、なぜか哀れみの目を向けられた。何? よくわかんないけど何か理不尽。
「残念ながら、本日自堕落な休日は満喫できません」
汐音が溜息とともに吐き出す。
「なんでー!」
「急遽、王立大学の方から流華様に古文学科の臨時講師をしていただきたいと要請が来ております」
「え!」
思わず動きを止めたわたしに、汐音が笑顔で言った。
「教授がしばらくは授業もできないということで、一ヶ月ほど……」
「……」
「勿論、これは仕事の一環ですので強制ですよ?」
はぁ。今日は溜息が多い日である。
重たい体を引きずって大学に辿り着き、重たい足を引きずって講堂に入り、重たい頭を揺さぶって授業を行った。人が多くて慄いたけど、みんなちゃんと聞いてくれてよかった。どちらかというと問題はそっちではない。
生徒がみんな、わたしより年上なのです。
当たり前だ。わたしは高等学校生の年齢なのだから。
だからやりづらいったらありゃしなかった。最初はみんな目が不審だったもん。まあそうだよね、こんな小娘が授業するんだもんな。
授業が終わって思わずへたり込むと、ひとりの男子生徒が近づいてきた。
「…流華ちゃんだよね」
「ん」
顔を見上げる。あ、
「学人さん!」
学人=リスペクト。わたしの元同級生である。なぜ同級生なのにまだ大学を卒業していないのかというと、留年とかじゃない。同級生だったのはわたしが一年生だった時のことで、そのあとわたしが飛び級したのだ。学人さんも今年は卒業だろうけど。
年上の元同級生は嬉しそうに笑いかけてきた。
「今日は何で授業してたの?」
「ああ、ちょっと学者団の上の人に頼まれて。急遽教授の体調が悪くなったとかでね」
「そうなんだ。分かりやすかったよ」
「えへ。ありがとう」
正直に嬉しかったのでお礼を言うと、いやいやぁ、と学人さんが照れた。何でだよ。
「いやー、でも久しぶりに流華ちゃんに会えて嬉しいな。もう会えないと思ってた。学者団に入っちゃったし」
わたしと学人さんは結構仲が良かった。学年は一つ下になっちゃったけど、よくみんなでご飯を食べたり一緒に勉強した仲である。何だかんだ言って面倒見がいいのでわたしもみんなも信頼している。
「学人さんは卒業したらどうするの?」
わたしは首を傾げた。
「それなんだけど……」
ん? 悩み事? 彼にもあるのか、悩み事? でも勉強系じゃないよね。しっかりしてるし、ちゃんと勉強してるし、心配事なんて無さそうだし。
「一応リスペクト男爵の次男坊だし、そこそこの職には就きたいんだよね。だから高等学校の先生になろうかと思ったんだけど…」
「だけど?」
「うちの親、根っからの貴族じゃん? 貴族っつっても端くれなのにさ、プライドだけは高いんだよね」
「ああ……」
わたしは曖昧に頷く。確かにリスペクト男爵は貴族にありがちな、高慢ちきなオジサンである。
「だから、教師なんて低俗な職になんか就くな! って。ほら、教師って割と生徒と同等かそれ以下の扱いってイメージが強いらしくて、うちの次男がガキどもの尻に敷かれてたまるか! 我が男爵家の恥だ! とね」
「うわぁ……」
酷い。酷いぞそれは。世の中の教師に失礼だ!
「そういうわけで、どうしようかなと」
わたしは首を傾げた。
「領地に戻るのは?」
その途端、学人さんが思いっきり顔をしかめた。
「それはぜっっっったいに嫌だ。あの親父の下についているのを想像しただけで反吐が出る。幸い、兄は親父に協力的だしね」
「……ごめん」
軽率な発言だった。学人さんに〝反吐が出る〟と思わせてしまった。そんなに父上が嫌いなんですね。でもわたしも両親がそんなだったら嫌だなー。
ふと時計を見ると、今日のもう一つの講義が始まる時間だった。危ない危ない。ここですっぽかすとわたしの給料と汐音の機嫌に大いに関わってしまう。
「ごめん、また今度!」
わたしは学人さんに謝ってから次の教室へ向かった。
夕日が傾き始めている。
王宮の前で馬車から降ろしてもらい、くたくたになったわたしはよろよろしながら学者棟へ向かった。そんなに遠くないはずなのになかなか着かない。なんでー。
ふらふらしながら果てしない道のりを辿り、学者棟に入り、階段を上って、自室に入った瞬間わたしはベッドに倒れ伏した。
「るっ、流華様?」
汐音の慌てた声が上から降ってくる。心配させて申し訳ないけど、ここはちょっくら寝かせてほしい。もう限界だ。これ以上動いていると、明日に差し支える。
「おやすみぃ…」
わたしは死んだように深い眠りに落ちた。
目が覚めると、部屋は真っ暗だった。手探りで時計を探し、窓際に持って行って微かな月明りで文字盤を読み取ると、もう夕食の時間もとっくに過ぎていた。何時間も眠っていたようだ。
しかし、起きてしまうとお腹が空いていることに気がついてしまった。それはそうだろう、授業の合間に軽く昼食のサンドイッチをつまんだだけなのだ。
しばらく布団の上でごろごろ転がっていると、控えめなノックの音とともに扉がゆっくりと開いた。顔を覗かせたのは汐音だ。
「失礼いたしま――あ、起きていらっしゃったんですね。でしたら声を掛けて下されば良かったんですけれど…」
「大丈夫、たった今起きたばかりだから」
わたしが手をひらひら振ると、安堵したように息を吐き出し、汐音は電気を付けながら部屋に入ってきた。
「小腹が空いた頃かと思いまして、夕食を少し持って参りました。全てというわけにはいかなかったので、持ってこれたものだけなんですけれど、良かったら召し上がってください」
そう言って、ミニテーブルにプレートを置く。
「ありがとう、頂くわ」
わたしは勿論、ガッツリ全部食べた。
翌日も、その翌日もわたしは大学に通って臨時講師を務めた。最初は訝しがっていた皆さんもわたしに慣れてきたようで、今は普通に講義を聞いてくれている。休憩時間には、学人さんやその他学友たち(年上&9割男性)と楽しい時間を過ごせた。お互いの近況報告や、他愛もないニュース。久々によくしゃべったなあと思う。慣れてきたのか、一週間もしないうちに自室に帰ってばったり倒れることもなくなった。
問題は、実験室にも研究室にも顔を出せないこと。きっと、臨時講師の仕事が終わったらまた、オールで籠もることになるんだろうな。
でも、それまでは臨時講師を頑張らないと。
わたしの一ヶ月の奮闘は、残り半分ほど。




