13 爆弾投下
わたしが王宮直属学者団に入ってから二ヶ月ほどが経とうとしていた。
起きて外を見ると、小雨が降っていた。梅雨になってから毎日毎日雨が降っていて、気分も思わず下を向いてしまう。
「また今日も雨ね」
髪を梳かしてくれている汐音に言うと、
「そうですねぇ、本当にじめじめは嫌いです」
と返ってきた。そして、
「でも流華様の美しさはいつも通りお変わりありませんよ?」
と謎の台詞を吐いた。いつも思うけど、やっぱり汐音病院行った方がいいんじゃないかな? 主に眼科か精神科に。
「あっ、ところで流華様」
突然汐音が手を止め、鏡越しにわたしに微笑みかけてきた。
「なに?」
「わたくし、『古書市場』に行ってきたのです。そこで、あの『雨の憂鬱』の初版本を見つけたのです!」
「ええっ?!」
わたしは飛び上がりそうになった。
「嘘っ!」
「本当でございます! 高かったのですけど、つい手を伸ばして買ってしまいました」
『雨の憂鬱』は、優里亜=インヴィアタの作品だ。意外なことに恋愛モノではなく青春モノで、ジャンル的には似ていると言えば似ているけど、いつもの甘くて切ない感じじゃなくて、ミステリー要素が濃い。優里亜の読者さんの中では、異色なこの作品があまり好きではないという人も多いけれど、わたしはこれも大好きだ。図書館で何度も読んだ。あの爽やかさと恐ろしさの混ざらなさに優里亜の度胸を感じる。
しかし、そんな『雨の憂鬱』が出版されたのは、丁度戦争が酷い頃で、初版本の多くは焼けたり崩れたり。『硝子の瞳の少女』並みに少ないのだ。
「すごい、すごいわ! やったね、汐音! 素晴らしいわ! いつかでいいから、わたしにも見せてくれない?」
わたしが満面の笑みでそう言うと、
「そんなに可愛い流華様のお願いですから、明日にでも持ってきます!」
と汐音も笑顔で答えてくれた。お姉さんの方が美しいですよ。
起きてからそんな感じだったので、学者さんたち全員の朝食の席でも思わずにやついてしまうのを抑えられなかった。お皿と髪で顔を隠しながら朝食を終えたけれど、何人かには怪訝な顔をされた。「何でもないですよぅ~」と言ったけどあんまり信じてもらえなかった。嘘だもんね。
部屋を出ようとすると、ロレンスさんに呼び止められた。
「シャネリアさん、今日は実験室に来てくれないませんか? 上から課題が下りてきているので、みんなでやろうと思っているんです」
「わかりました。すぐ行きます」
わたしは頭を下げて、その場から立ち去った。
部屋に戻り、汐音に細々としたことを言ってから実験室に向かう。扉を開けると、リトポールさんと行き会った。
「あ、おはようございます」
「おはよう」
簡単に挨拶だけして歩き出す。行く先は勿論同じだ。
無言で歩いていると、隣から怪訝そうなリトポールさんの声が聞こえた。
「今日、なんかいいことあったのか? やけに上機嫌じゃないか」
「えっ」
わたしは口元を抑えた。ヤバい、今のは無意識! にやついてた? 鼻歌歌ってた? スキップしてた? わあどうしよう。
ひとりであたふたしているとますますリトポールさんが怪訝そうになる。いいえ、何でもありませんっ!
「ちょっと今朝、侍女の汐音と楽しいお話をしただけです」
とりあえず無難に答える。嘘じゃないよ。楽しいお話だもん。
なのに、
「へえ、何を話してたの?」
訊くな!
わたしが馬鹿みたいにはしゃいだことをポロッと言っちゃうかもしれないのに!
慎重に言葉を選びながら言う。
「本のお話をしていたんです。わたしも汐音も好きな作家さんの」
間違ってはいない。嘘じゃない。
「そうなんだ。その作家さんて誰なんだ?」
ヤバい。ボロが出る。わたしのキャラばれたら絶対引かれる。
「ゆ、優里亜=インヴィアタですっ」
これ以上訊くな! ああ、実験室はすぐそこだ。
「へぇ~~」
リトポールさんが感心したように何度もうなずいている。もういい?
「そんなに面白いなら俺も読んでみようかな」
リトポールさんが小首を傾げた。
「そっ、そうですか! とても面白いので、おすすめです!」
逃げるように言って、わたしは実験室に駆け込んだ。あっ、意味ない。すぐ後ろからリトポールさんが入ってくる。そして、爆弾を投下した。
「じゃ、読んだら感想話そうな?」
わたしの顔から血の気が失せた。本省バレる。リトポールさんがにっと笑って、後ろ手に扉が閉められた。
中にはすでにアンゲアさんもロレンスさんもいて、「遅いですよ。待ちくたびれました」という優しいけど目が笑ってないロレンスさんの言葉に、わたしとリトポールさんはきっかり45度で揃って「すみませんでした!」と頭を下げた。
最初に上から降りてきた課題の説明をして、すぐに話し合いを行う。遠慮せずに意見を言い合って、あらかた意見が纏まってきたところで装置やその他を作り始める。その日は大がかりな『舞台設定』で一日を終えた。
それからは早く纏めたい一心で、五日連続で部屋にも戻らずろくに食事も睡眠も摂らずに実験室に籠もりきった結果、六日目にはレポートとして纏められるくらいにはなった。
「じゃああとはシャネリアさんとリトポールに頼んでいいですか?」
器具を片付けながらロレンスさんに言われ、わたしとリトポールさんは「勿論です」と答えて即行で空いている会議室を探した。五日前ぐらい前の借りは早めに返します。三つ目に覗いた小会議室が空いていたのでそこに入り、ふたりで話し合いながらレポートを作成した。
そうしてできたレポートは、嬉しながらロレンスさんにもアンゲアさんにも好評だったようで、すぐに上にあげられた。良かった、良かった。これで夏まで上からの課題はない。
数日ぶりに自室の扉を開けると、怒ったような顔をした汐音にかち合った。
「お久しぶりです、流華様」
なんだか棘があるように感じますよ、汐音様。怖い。睨まないで?
「えっと、久しぶりね。ようやくこのふかふかベッドで寝られてわたしは嬉しいわ?」
語尾に疑問符が付いてしまったのは仕方のないことだと思ってほしい。
汐音が溜息をついた。
「流華様、ソファーにお座りくださいませ」
わたしは大人しくソファーに座る。その前に、すかさず紅茶とクッキーが置かれる。
「あ、ありがとう」
「ゆっくりと休める成分を入れさせて頂きました。お召し上がりください」
淡々と汐音がカップを手で指し示す。優しいこと言ってるのに、怖い。怖いよ。なんかわたしが悪いことしたなら謝るからっ。ね、ね?
「わたくし、流華様がお戻りするのをずっとお待ちしておりました」
相変わらず冷たーい声の汐音。
「『雨の憂鬱』も用意して、早く流華様とお話ししたいなー、って」
それまで無機質にしゃべっていた汐音が、突然くわっと目を見開いた。
「それなのに、流華様ときたら! もう何日も何日も地下の実験室から出ていらっしゃらなくて! わたくし…」
汐音の勢いに慄いていると、今度はいきなりしょぼんとした。
「寂しかったですぅ……」
「……」
わたしの中で爆発が起きた。全部吹っ飛んだ。
……なっ、なに? 今の、なに?
かっ可愛い!!!
「汐音~~~!」
わたしは汐音に飛びついた。
「えっと、流華様?」
突然抱きついてきたわたしに目を白黒させる汐音に、
「汐音大好き~~~!!」
わたしは叫んだのであった。
〈汐音side〉
驚き桃の木山椒の木です。
今、わたくしは流華様に抱きつかれております。
ええ、ひじょ~~~~に嬉しいです。流華様はお可愛くていらっしゃるのに、それを盾に偉そうにすることもなく、優しくて素晴らしい方です。ついでに言うと、わたくしの憧れでございます。
でも、わたくしはひじょ~~~~に困っています。
嬉しいんですが、この声があの方やあの方に知られたら、とっても複雑な気持ちになるに違いありません。主に、俺にもそれやってー、みたいな意味で。
ああ、でもこんなに純粋で可愛い流華様が男の手に渡るなんて許せません。例えそれが皇太子の祐樹様であっても!
いっそのこと、わたしが流華様の心を鷲掴みにしてしまいましょうかね?
そういえば、祐樹様付きの侍女でわたくしの姉の佳音がイケナイことを言っていた気がします。ええと……祐樹様が流華様に心酔……いえいえっ! ダメです! 流華様はそんなこと望んでいません!
流華様はわたくしが心を込めて全力でお守りしなければ!
汐音の姉、佳音初登場です。祐樹に流華の情報を吹き込んだのはこいつですw
汐音がおかしな方向に全力疾走し始めてる……。




