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SIVA  作者: 三本指
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束の間の邂逅



これは時空の果ての物語――――。


力が全てを支配する世界。

歪んだ世界の悲鳴が限界を迎え、終わりを迎える。


その崩壊の刹那の、物語。








老人は言った。

「あれは機械だ」と


女は言った。

「彼女は人間だ」と


少女は言った。

「貴方は子供だ」と


人々は言った。

「奴は悪魔だ」と


悪魔は言った。

「君は獣だ」と


彼女は名乗った。

「私は化物だ」と―。









凍え固まったような暗闇が、静かに、息をひそめて、その巨大な容器を満たしていた。




それは証明の全て落とされた、一筋の光明も差さない長方形の広大な部屋。


明らかに個人の所有物でないことが誰の目にも確然としている、馬鹿馬鹿しい程に、いってみれば仰々しい規模の“それ”。

その部屋に窓は無く、そのわずか一辺に強靭さという肯定の言葉にはもはや収まりきっていない、異様さすらを感じさせる分厚く冷たい鋼鉄の扉と、それらに比べれば本当に申し訳程度に小さな通風孔が一つ、ついているだけである。

おそらくは地下だろう。

今現在、人間には部屋の中に一切の明かりが無いため実質視認できない状態なのだが、客観的なただの事実として、この室内の壁は一箇所を除いて無機質な白色で完全に統一されており、主観的にはその着色からここが何らかの科学的行為を目的とした施設であるらしいと読み取ることができる。

特に部屋の内外を問わず全てに漂っている薬品の刺激臭から、少なくともこの部屋の属する区画は医療もしくは生物学に関する研究実験施設ではないかという感覚を受ける。

そして、この馬鹿げた部屋の空間を満たしている澄んだ暗闇の中には、もう一つ、別の匂いが混じっている。


誰もがよく知る、鉄と、塩分と、特有の生臭さが混ざったそれは……血の、匂いだ。


ほんのわずかにだが明らかに他と別種の匂いを漂よわせ、この胸を微かに掻き毟るような、決して快いとは言えない感覚をもたらす原因となっているものは、扉の真逆、部屋の最奥部の壁に保管されていた。


その配置がどこか、けれど、ひどく……恣意的なものを感じさせた。


それは、そう――――まるでそれを可能な限り、本当に本当に出来得る限り、ほんの少しの距離でも、より外界から、部屋の外に広がる自分たちの世界から遠ざけようとしているような意志だ。


人間の女性の体が一つ。自分達の暮らす世界から遠ざけ……まるで忘れさろうとするように部屋の最奥部の壁の中央に、鎮座していた。


少し波打ち、蒼色がかった銀の髪を持つ、神話の住人のような筆舌に尽くしがたい美女の体がそこに、一糸まとわぬ露な姿で。

そこには人間の尊厳を守るための何の気遣いもルールも存在しなかった。

何故なら呼吸も止まる静謐の中、それはいわゆる“磔”にされていたのだから。

……壁に整列した穴に、金属製の杭のようなもので手足を打ち込まれている。



まるで、王の恐怖を買った聖者のように。

まるで、聖女と崇められながらも悪魔と裁かれた戦士のように。

あるいは最低な裏切り者のように。

あるいは人間性の欠片もない人殺しのように。


最悪の罪人のように。


自分達を脅かす者達の心を支える者など、恐ろしい以外の感情を抱けるはずもないと言わんばかりに。




女性の体は通常なら、苦悶に泣き叫んでいても何らおかしくない状態なのは間違いない。

だが磔にされた彼女は、目を閉じ、ぴくりとも動かない。ともすれば亡骸のようにも見える。

深い眠りに落ちているのか、……それともこれは既に本当の骸なのか――。

あるいは安らかに見えるほど感情の無い表情で瞳を閉じ、彼女は沈黙を保っていた。


体の背後にある壁には女を中心に、滑らかな真紅で大きな円が描かれており、文字とも紋様ともつかない奇妙な模様が円の内と周囲に敷き詰められている。

一見無秩序にも見えるそれは、しかしよく見ればその緻密さに誰もが息を呑むほど、確かな規則性に基づいて描かれていた。

この奇妙な背景の正体は“魔法陣”。

今や幻想でも何物なく――――発展を極めた科学の一つの成果と成った――――魔法と呼ばれていた分野の一種の制御法にすぎない。

それは世界に刻む制御規則プログラム。連綿と続けられてきた研究と、圧倒的な科学によって確立された技術。


かつて“ルリエの裏魔法陣”と名付けられた、この魔法陣の用途は……『封印』だった。

本来は理を以て世界から力を引き出し扱うことが魔法陣の目的だが、これは逆なのだ。理を以て対象の力を封ずるのがこの魔法陣の目的にして――――“裏”魔法陣と呼ばれる由縁である。


対象自身の力を利用して、本来外に放たれるべきエネルギーを歪め、螺旋を描いて螺子ねじのように、深く、鋭く、より強く、対象の力をしまい込む。

力が強ければ強いほど、それが己に返ってくる。要約すれば、この壁に施されている細工はそういうプログラムだ。

これだけ苦痛を伴う状況に置かれながら彼女が何の反応も示さないのも、実は当然と言えた。五感も思考も、およそ“人間”としての活動を司る分野はまったく機能を果たしてはいないだろうから。

彼女は自分自身の力によって、いわばコールドスリープのような状態に落ちているのだ。


……けれどそれにしても、この魔法陣はすでに研究された当時の、あるべき姿からは程遠かった。

言ってしまえばもはや効力だけがそれと証明する、別物と言えるほどに――――かなりの、大幅な更新が加えられている。

本来ならばもっと巨大な陣であり、原理から言ってもたった一人の人間を封印するのに使うことなど考えられない規模のもので、その規模を縮小するためにこれは本来の陣を驚くほどに効率化している。

使っている文字や配置は大きく変更され、円を小さくしても意味があるようにされていた。それはもはや元が辛うじてわかるぐらいの変更で、故にこれはもう、むしろ別物と呼べる次元に達していると言っているのだ。

複雑で無駄のないと言われたあの陣に、これほどの改変を加えてみせるとは、……もしかすると生み出した人間以上の、いや、製作者の思考の程をあざ笑うほどの天才の御業と言ってよいだろう。


これほどの研究成果を、誰が、何の為に、それもたかが女一人を封印するために扱うのか――?


研究の規模と用途の規模が大きく矛盾していた。


……機械の作動する音。

重量からは考えられないほど静かな音と共に、重々しい鋼鉄の扉が左右に開かれた。

そこに立っていたのは、この怜悧な空間に不釣り合いな、まだ幼さの残る少女だ。

白く長い髪を持ったその少女顔立ちは、壁に磔にされている美女によく似ている。こちらの方が可愛らしい顔つきをしてはいるが、まるで血の繋がった姉妹のようだ。


少女は無言で部屋に入ってきた。

同時に扉が閉まり、非常灯だけが点灯する。冷たい部屋が、やはり暖かみの感じられない青白い薄明かりに包まれた。

少女はゆっくりと女性の体がある壁の前まで歩き、感情の伺い知れない瞳で真っ直ぐにそこを見上げた。


『これが……“あのひと”、……か。』


感嘆するように、ふっ、と漏らした少女の声は、信じられないほど美しかった。

天使の声帯を奪い取って少女に移植したかのように、その声は論理を超えて人の魂を無防備にさせる。

一言一言が、……まるで神託のごとくすら聞こえる。そんな、理屈の枠の外にある声。

少女は小さな首を後ろに倒して間近から女性の体をずっと観察している。

その瞳には別段、熱がこもっているというようにも見えない。が、ただ、静かにではあるが、飽くなき興味も感じられた。放っておけば少女はいつまでもそこに立って彼女を見ているような。


『案外脆そうなんだ……。』


小さな溜息をつくようにもらすと、少女は大きく手を伸ばし、女性の顔に指を近づける。

そして通じるはずもない彼女に、囁くように語りかけた。


『貴方は思い出さなければいけない。眠りから覚めなければならない。たとえこの眠りが貴方にとって、唯一の安息だとしても。』


至上の声で歌うような言葉を紡ぐ少女の手が、慈しむように女性の頬に触れた。

そこに、微細な紫電が走る。


『どうか、私のために――。

     世界のために――。

     貴方のために――。

     

    終わらせる……ために。』


決然と、瞳と声に澄んだ意志を込めて、少女は告げた。

その言葉に反応したように、少女と女性の周囲が輝く。その光は限りなく強く、眩く、視界を失くす程に部屋全体を覆っていく。

光は既に白い闇へと変わり、眩く、けれど暗い暗い底へと意識を引きずりこんでいく。


『私と共に還りましょう。貴方が何者であったのか、もう一度、思い出すために。』


哀れむように、愛おしむように少女は続ける。

その声は輝く闇の中で、夢の世界の出来事のように、距離感も方向もつかめない。


『………姉さん……。』


声は、そこで途切れた――――。








不夜城のように煌々と夜を照らすビル群の隙間から除く空を、爆発のそれの如き滞空音を立てて巨大な鉄の塊が疾走する。

上へ、下へ。一歩間違えば操縦する力を失いそうなアクロバティックな動きで銃弾をかわしていくのは、黒光りする塗装に包まれたわずか一機の装甲ヘリだった。


「こちら”ケージ”、もうすぐ目標地点に入る。護送目標を投下し離脱する。」


『了解。投下直後に拘束を解除する。報告せよ。』


緊張感はあれど、狙い撃たれる焦りは感じさせない冷静なパイロットの声が状況を伝え、通信の相手から感情のない反応が返ってくる。


「時間だ。」


パイロットは振り返りもせず、後部の座席に座る影にそれだけを伝えた。


「――――投下。」


若干の間の後に続けた男の言葉と同時に、ヘリから何かが飛び出す。


人間だった。


少なくとも、―――その姿は。


その人は歩みに何の躊躇いもなく、何の頼りもない空へ身を投げ出したのだ。

その行為はきっと、誰が見ても冗談のような光景だっただろう。


高度約百メートル。仮にパラシュートを使うにしても速度を落とす時間が足りず、人間が落ちれば、当然即死する高さだ。そしてその人間は、特別な装備など一切身につけていない。己の身一つ以外は。


それにも関わらず、それは躊躇の欠片も見せず身を放り出した。

だから冗談だと、このように表現している。

たとえ絶対に安全という自信をもっていたとしても、一瞬の思考時間もなく、階段を一段登るように躊躇なくその行為を行えるなら、そんな人間は頭の螺子が何十本と吹き飛んでいるだろう。

そんなものはもうとうくの昔に、勇敢という概念を軽々と踏み越えて、異常の領域に到達している。

賛美を超えて、畏れを抱かせる領域だ。


視界の届く範囲にいる兵士達もその瞬間ばかりは落下物を、空を仰ぎ見、そして何が落ちているのかに気づき目が離せなくなっていた。


何だ?何が起こった?考えるのはその一点。


あまりに無駄な行為に過ぎないが、これを攻撃と捉えると着地とほぼ同時に自爆する可能性もないわけではない。が、落下速度を考えればそれを狙撃するのは高速走行中の車両の運転席を狙い撃つようなもの。周囲を固めているのがいかな反射神経や動体視力が常人の比ではない強化兵といえども、これはあまりに唐突な事態であり、思考の虚を点く行動であり。そこまでの対応をするのは流石に無茶な話、絵空事というものだろう。

むしろ普通の人間では、”人が  落ちた ――何だ?     ……死んだ。”と、この程度の認識しかできないだろうから。


投下から数瞬。


落下する人物が地面に叩きつけられ、無意味な肉塊が生産されようというその時、遠巻きに状況の推移を眺める兵士たちのほとんどが現実感のない光景に呆然とした。


人影が、着地したのである。


綺麗に、淡々と。

二本の足で、五体満足で。


それはまるで羽毛のように。あまりにも軽い衝撃をもって、ふわり、という擬音を添えられるような、ある種優雅ですらある様で地上に降り立ったのだ。







その、美しく、傲岸で、この世のありとあらゆる力の粋を、ありとあらゆる論理を使って人という箱に詰め込んだような女は。





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