魔物の群れと、暴かれた密約
翌朝、俺たちはシャルロッテの冷ややかな見送りを受け、町を囲む深い森へと足を踏み入れた。
昨夜の雨を含んだ森の空気は重く、立ち並ぶ古木の幹には湿った苔が張り付いている。
見上げるほどの巨木が陽光を遮り、足元には腐葉土の独特な臭いが漂っていた。
奥へ進むほどに静寂は深まり、時折、遠くで鳥が鋭い声を上げる。
「……嫌な気配ね。魔物の数が多いというより、森全体が殺気立っている感じがするわ」
セレスティアが杖を握り直し、周囲を鋭い目で見回した。
その隣では、カティアが銀の胸当てを鳴らし、一歩一歩確かめるように進んでいる。
「エリス様、大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、エリスは俺の腕に添えた手に力を込め、小さく頷いた。
「はい。視界は閉ざされていますが、皆様の気配ははっきりと感じ取れます。……来ます、レオン様。正面、そして左右からも」
エリスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、茂みが激しく揺れた。
現れたのは、十数匹のゴブリンとオーク、数匹の巨大なオーガだった。
さらに後方からは、巨大な牙を持つワイルドベアまでが姿を現す。
国境付近とはいえ、これほど多様な魔物が群れを成して襲ってくるのは異常だ。
だが、俺の記憶にあるゲームのアストレア戦記でも、レベル上げのためにフリーマップで戦闘をすることはあったので、今は深く考えず目の前の脅威を排除することにした。
「俺が引きつける! 攻撃は任せたぞ!」
俺は一歩前に出ると、死霊術の魔力を一気に解放した。
「フレッシュゴーレム・アーマー!」
足元の影から這い出した黒い筋肉の繊維が、俺の四肢を、胴体を、そして顔の半分を覆っていく。
英雄王サルコフの遺骸から抽出したこの肉の鎧は、鈍い光沢を放ち、剥き出しの筋肉が脈打つような禍々しい外見をしていた。
その瞬間、魔物たちの目が一斉に血走った。
俺の放つ死霊術の不気味さと、この呪われた容貌が、奴らの理性よりも本能を激しく刺激したのだ。
「グアアアアッ!」
雄叫びを上げ、オーガが巨大な棍棒を振り下ろす。
だが、俺は避けない。
重い衝撃が肉の鎧に伝わるが、サルコフの強靭な肉体は棍棒を弾き返し、俺の体は微動だにしなかった。
衝撃を吸収し、逆に棍棒を握るオークの腕を痺れさせるほどの硬度。
構える必要すらなく、ただ立っているだけでよかった。
「みんな! 思い切り暴れてくれ!」
俺が叫ぶと同時に、エリスが凛とした声で唱えた。
「祈りを。皆様の刃が、迷いなく真実を穿ちますように」
エリスの周囲から淡い白銀の光が波紋のように広がり、俺たちの体を包み込む。
その瞬間、世界の解像度が上がったような感覚に陥った。
敵の動きが緩慢に見え、どこを突けば致命傷になるかが、手に取るように分かる。
「はあああっ!」
カティアが風を切り裂き、最前列のオーガへと突撃した。
彼女の剣筋は一切の無駄がなく、流れるような動作で魔物の喉元を切り裂く。
さらに彼女は空いた左手を掲げ、神聖な魔力を練り上げた。
「ジャッジメント!」
天から降り注いだ光の杭が、ワイルドベアの脳天を正確に貫く。
本来なら成功率が極めて低いはずの即死魔法が、祈りの命中率上昇補正によって必殺の一撃へと昇華されていた。
「これなら、いくらでもいけるわね! ルミナス・レイ!」
セレスティアの杖から放たれた白銀の光線が、密集していたゴブリンたちを一掃する。
逃げようとした個体に対しても、セレスティアは杖を振るうのではなく、自ら踏み込んで鋭い蹴りを見舞った。
光の魔力を纏った足先がゴブリンの胸を砕き、そのまま流れるような体術で次々と魔物を沈めていく。
俺は敵の真ん中で攻撃を受け続け、一歩も引かずにヘイトを稼ぎ続けた。
肉の鎧は魔物の爪や牙を嘲笑うかのように弾き返し、俺への攻撃が集中すればするほど、他の三人は自由自在に力を発揮できる。
一時間ほどの戦闘で、森の一帯にいた魔物は文字通り全滅した。
「……凄い。これほどの規模の討伐が、かすり傷一つなく終わるなんて」
カティアが感嘆の声を漏らし、剣の血を拭った。
エリスも少し疲れた様子ながら、満足げに微笑んでいる。
「エリス様の力、そしてレオンの戦術のおかげね。さあ、この素材を持ち帰って、あの高慢な令嬢の鼻を明かしてやりましょう!」
セレスティアが意気揚々と声を上げ、俺たちは魔物の素材を回収して町へと戻った。
町の大通りに入った瞬間、俺は冷ややかな空気を感じ取った。
広場に集まっていた住民たちは、俺たちが荷車に積んだ大量の魔物の角や皮を見ても、歓声を上げるどころか、疑いの眼差しを向けてきたのだ。
「おいおい、あんなに大量の素材、どこから持ってきたんだ?」
「働いてきたように見せるために買ってきたか……帝国軍が森を掃除してくれた後の、残ったのを拾い集めてきたんだろ」
住民たちのひそひそ話が聞こえてくる。
「何ですって!? 私たちが命がけで倒してきたのよ!」
セレスティアが色めき立ったが、一人の老人が鼻で笑いながら言った。
「お嬢ちゃん、あんたたちは知らないかもしれないが、最近はこの辺りの森は帝国軍が頻繁に間引いてくれてるんだ。王国軍の助けなんて待ってたら、今頃この町は魔物の餌食になってたさ」
「……帝国軍が、ですか?」
エリスの表情が、わずかに強張った。
そこへ、シャルロッテが騎士たちを引き連れて現れた。
彼女は荷車の素材を一瞥しただけで、俺の方を向きもせずに言い放った。
「素材の回収、ご苦労様でした。ですが、住民たちの言う通り、帝国軍の方々が事前に巡回してくださっていたおかげで、残党狩りのようなものだったのでしょう? 無事に戻られたようで何よりですわ」
シャルロッテの言葉には、俺たちへの労いなど微塵も感じられなかった。
「シャルロッテ様。この魔物の切り口を見てください。これは帝国軍の武器によるものではありません。それに……」
カティアが抗議しようとしたが、シャルロッテは「失礼します」と短く告げ、背を向けて去っていった。
宿に戻った俺たちは、重苦しい沈黙の中にいた。
窓の外からは、夕闇に包まれ始めた町の静寂が入り込んでくる。
「おかしいわね。いくら何でも、あの住民たちの態度は異常よ。帝国軍をそこまで信頼しているなんて」
「ここは王国の領土です。たとえ魔物から守ってくれたとしても、外国の軍隊が頻繁に出入りしているのを代官が黙認しているのは、不自然です」
エリスが、じっと考え込むようにして口を開いた。
「この町の指導者層が、帝国軍と不適切な繋がりを持っている可能性がありますね。もし、帝国と手を組んで意図的に情報を操作し、住民の不満を王国に向けさせているとしたら……」
エリスの深紅の瞳が、するどい光を帯びた。
「レオン様、少し詳しく町の様子を調べようと思うのですが、いかがでしょうか。シャルロッテ伯爵令嬢を疑うことになりますが……」
俺はエリスの手を優しく握った。
「ええ。俺も協力します。この町で何が起きているのか、必ず暴きましょう」
それから数日の間、俺たちは魔物を狩りながら、シャルロッテ達の目を盗み、町役場に保管されていた公文書や、指導者層が夜な夜な集まっていたという酒場の裏側を調査した。
特に骨を折ったのはカティアだ。
彼女は聖職者の衣を脱いで町娘に扮し、夜の酒場に単身で潜り込んでは密談の断片を拾い集めてきた。
普段の凜々しい神官戦士の顔からは想像もつかない胆力に、俺は素直に感心した。
「すごいな、カティア殿は。強いだけではなく、何でもできるんだな」
「私も少し前までは、こういった方面にはそれほど熱心ではなかったさ。だが、男性にとって好ましい姿や仕草があると知って、将来に備えて訓練をしておくことにしたんだ。今回の任務は、ちょうどいい機会だよ」
「熱心だな。頭が下がるよ」
「特に男性は、お堅い職業の女性が夜になって隙を見せると、その……意外性というものにひどく心を乱されると教本で読んだのだが……どうだろうか?」
「この町の酒場にいる人間はカティア殿の騎士としての姿を知らないから、そういう効果が見込めるかはわからないが……カティア殿は美しい容姿だし、その衣装も似合っているから、大丈夫だと思うぞ」
「いや、だから、普段の私を知っている男性から見てだな……。いや、何でもない! エリス様のためにも、必ず成果を持ち帰るからな!」
そして、霧が深く立ち込め、濡れた石畳が鈍く光る、静かな朝の報告会。
そうして数日の隠密行動の末にカティアが手に入れた一通の手紙には、目を疑うような内容が記されていた。
「……やはり。町長と騎士団の幹部が、密かに帝国の前線基地と連絡を取り合っていました」
エリスの声は、冷たい空気を切り裂くように鋭かった。
手紙には、魔物の脅威を口実に帝国の正規軍を町へ招き入れ、事実上の占領を認める代わりに、指導者たちの地位と安全を保障するという密約が綴られていた。




