国境の町と、冷ややかな元婚約者
王座の間の重厚な空気は、以前と変わらず俺の肌をひりつかせた。
高い天井から吊るされたシャンデリアが放つ光は、磨き上げられた大理石の床を黄金色に染めている。
しかし、その輝きの中に、俺の居場所はない。
壁際に立つ家臣たちの視線は、相変わらず汚物を見るかのような嫌悪に満ちていた。
「……報告は以上です。エリス王女殿下の『祈り』の力により、聖属性魔法の命中率が飛躍的に向上し、深層第一層まで攻略。最終的に、英雄王サルコフの討伐に成功いたしました」
俺は玉座の前に跪き、淡々と、だがはっきりと報告を終えた。
横に立つエリスは、視覚を失った瞳を伏せ、祈るように両手を重ねている。
「ふむ……。英雄王サルコフを討ち取ったか。アラン、その武勇、見事であった」
国王陛下の言葉に、アランが誇らしげに胸を張った。
「はっ! 全ては王族としての義務を果たすため。あの怪物の猛攻を凌ぎ切り、止めを刺したのはこの俺の剣でございます」
アランの言葉に、家臣たちから「おお……」「流石は王太子殿下」と感嘆の声が上がる。
実際アランがいないと全員無事での討伐は不可能だったのだが、俺が伝えたかったのはそこじゃない。
「陛下。今回の王家の墓の攻略は、エリス王女殿下の祈りのスキルのおかげで可能になりました。あれほどの戦闘支援は、歴史上でも類を見ないものです」
俺が口を挟むと、玉座の脇に控えていたアークライト公爵が鼻で笑った。
「レオン・フェルディナよ。貴様の戯言には耳を疑うな。盲目の王女殿下が、戦女神のごとき力を発揮したと? 偶然、アラン殿下の剣や神官戦士の魔法が当たったのを、自分の手柄にしたいがための嘘ではないのか?」
「嘘ではありません。同行したカティア殿や、姉のセレスティア侯爵令嬢もその力を目の当たりにしています」
「黙れ、異形の男め。貴様のような死霊術師が、王族の聖なる力について語るなど身の程知らずも甚だしい。陛下、この男は聖霊の巫女の儀式を回避させるために、王女殿下に過分な評価を与えているだけに過ぎません。王族の女性を自分のものとして好き勝手にしたいだけの、汚い欲望の塊なのです」
公爵の冷徹な声が王座の間に響く。
家臣たちも次々に同意を示し、エリスを「不憫な操り人形」として見る視線が強まった。
エリスの指先が、ほんの少し揺れているのが分かった。
「……陛下」
エリスが、静かに口を開いた。その声は小さかったが、不思議なほどよく通った。
「私は、自分の力がどういうものか、正確には分かりません。ですが、レオン侯爵令息と共に戦っている間、確かに皆様の心が一つになり、技が冴えわたるのを感じたのです。私は、巫女として五感を失うのではなく、この力で皆様の役に立ちたいと考えております」
王座の間に沈黙が流れる。
国王陛下は深く椅子に背を預け、顎に手を当てて考え込んだ。
「よかろう。ならば、その力を疑う者たちを黙らせるだけの実績を見せてみよ」
陛下は冷淡な瞳で俺たちを見据えた。
「帝国との国境付近にある、ミルフォード領。あそこの辺境の町で、最近魔物の出没が異常に増えているという報告が入っている。領民たちは怯え、近隣の町にも不安が広がりつつある。エリス、そしてレオン。セレスティアとカティアを伴い、その地へ向かえ。アランは次期国王としての公務があるため同行させん。四人だけで事態を完全に解決して見せよ」
「……御意にございます」
俺は深く頭を下げた。
アランを外した構成での任務。
それは、殿下の武勇という隠れ蓑を奪い、純粋にエリス様の力を試そうという陛下の意図だろう。
「……レオン様、申し訳ありません。私のために、また皆様を危険な目に」
王座の間を出た後、エリスが申し訳なさそうに俺の袖を引いた。
「何を仰っているのです。エリス様の力を世界に認めさせる絶好の機会ですよ。それに、俺にとっても……少し因縁のある場所ですからね」
ミルフォード領。
その名を聞いた瞬間、俺の脳裏には一人の令嬢の姿が浮かんでいた。
旅の準備は迅速に行われた。
俺、エリス、セレスティア、そしてカティアの四人は、数日間の馬車移動を経て、帝国との国境が目と鼻の先にある町へと到着した。
国境の町特有の、質素で堅牢な石造りの建物が並んでいる。
冷たい風が吹き抜け、通りには人影が少ない。
活気という言葉からは程遠い場所だった。
馬車が町の中心部にある代官の屋敷へと到着すると、すでに数人の男女が俺たちを待ち構えていた。
その中心に立つのは、見覚えのある、そして俺の記憶にある誰よりも「正しい貴族令嬢」の姿をした少女だった。
淡い茶色の髪を丁寧に編み込み、控えめだが品位のあるドレスを纏っている、シャルロッテ・ミルフォードは、少し前まで俺の婚約者だった。
「エリス王女殿下、ようこそお越しくださいました。ミルフォード伯爵の代理として、歓迎いたします」
シャルロッテは優雅にカーテシーを決めた。
だが、その視線が俺に移った瞬間、氷のような冷たさに変わった。
「……そして、不快な影が一人。レオン様、貴方がなぜここに? フェルディナ家との婚約は、すでに解消されたはずですが」
彼女の声には隠しようのない嫌悪が混じっていた。
その背後に控える、鋼の鎧を纏ったミルフォード家の騎士たちも、露骨に鼻を鳴らし、あるいは俺から目を逸らした。
「シャルロッテ伯爵令嬢。レオン様は現在、私の正式な婚約者であり、今回の討伐任務の総責任者です。失礼な言動は慎んでください」
エリスの静かな警告に、シャルロッテの作った笑顔が一瞬崩れた。
「失礼いたしました。ですが、この町は魔物の脅威に晒されており、一刻の猶予もありません。このような……禍々しい死霊術を振り回す方が、果たして民の救いになるのか、甚だ疑問ですわ」
彼女の言葉に、騎士たちも口々に賛同の声を上げた。
「王女殿下、あのような気味の悪い術師を連れて来ずとも、我らミルフォード騎士団にお任せいただければ……」
「顔を見るだけで吐き気がする。魔物よりも、この男が原因で住民の具合が悪くなってしまうんじゃないか」
悪意に満ちた言葉が、冷たい風に乗って俺の耳に届く。
カティアが剣の柄に手をかけようとしたが、俺は制止した。
「シャルロッテ嬢。俺の外見が不快なのは重々承知していますが、仕事は完遂してみせます。町人たちにこれ以上の不安を与えないよう、迅速に状況を把握したい。案内をお願いできますか?」
俺が淡々と応じると、シャルロッテは不満げに目を細めた。
「左様でございますか。代官としての務めは果たしましょう。ですが、レオン様。貴方がこの町に来たことで、どれだけの人々が嫌な思いをするか、よくお考えになってくださいね」
彼女は踵を返すと、毅然とした足取りで屋敷の中へと入っていった。
「……レオン、あんな奴の言うことなんて気にするんじゃないわよ。フェルディナ家の名にかけて、ぎゃふんと言わせてやりましょう」
セレスティアがシャルロッテの背中に向かって密かに拳を固めている。
カティアも、苦虫を噛み潰したような顔で騎士たちを睨みつけていた。
「ありがとう、姉上。やるべきことを、できる限りのことをしよう。ここは帝国との国境……何かが起きているのは間違いないと思う」
俺の心の中にあったのは、シャルロッテへの未練などではなく、この不自然に静まり返った町の空気に対する、形容しがたい違和感だった。




