巫女の真実と王家の墓への挑戦権
翌日、俺は国王陛下への謁見を認められた。
重厚な扉が音を立てて開くと、そこには張り詰めた空気が漂っていた。
高い天井に届くほどの巨大な柱が並ぶ王座の間。
正面の豪奢な椅子には国王と王妃が座り、その傍らにはエリスが、そして階段の下には公爵家でも特に力が強い、アークライト公爵の姿があった。
アークライト公爵は、白髪をオールバックに撫でつけ、鋭い眼光を放つ初老の男だ。
国益のためなら冷徹な判断も辞さない実利主義者として知られている。
「レオン・アストレアよ、聖霊の巫女のこと……どこで知った?」
国王が重々しく口を開いた。
威厳ある声が、広い空間に響き渡る。
「幼い頃に読んだ、死霊術の文書で。今は焼失してしまいましたが……」
「ふむ。そして、聖霊の巫女についての話とは?」
俺は居住まいを正し、王を見据えた。
「単刀直入にお聞きします。王女殿下は聖霊の巫女の候補なのでしょうか。それ故に、何者かに狙われているのでしょうか。聖霊召喚を実行する、真の巫女とするために」
聖霊の巫女は、過去に人類のために魔族と戦い命を落とした、全ての英霊と心を通わせ、この世に顕現させる存在。
高い魔力を持つことは当然として、聖霊の巫女としての力を発揮するためには、五感全てを失って英霊たちとだけ触れ合い、かつ人類の幸福を心から望まなければならない。
ゲームのアストレア戦記では、魔族との戦いに疲弊したいくつかの国々が魔術結社と手を組み、適性のある少女たちを拉致し、五感を奪って聖霊の巫女に仕立て上げようとしていた。
だが、平穏な生活を送っていた少女たちは、突如五感を奪われて人間の残酷さに絶望し、人類の幸福を望めなくなってしまう。
そこに現れたプレイヤーたちが、少女たちを救い、生きる希望を与えて、どうにか一人が聖霊の巫女として覚醒する、というストーリーだった。
「……レオン・アストレア。余が全てを知ったうえで、エリスへの襲撃を放っておいたのだとしたら、どうする?」
「それは……」
そうだったらおしまいだった。
人類に絶望しないよう、他国の暗殺者らの手によって五感を奪われたのだとエリスに思い込ませ、五感を失ってなおできることはないかと考えるエリスを、聖霊の巫女として覚醒させる。
そんな企みに口出ししてしまったのだとしたら、許されるわけがない。
「そのようなことはないと、思っています。王女殿下のお人柄に触れたので」
「どういうことだ?」
「王女殿下なら、聖霊の巫女のことを国王陛下から聞かされたなら、自ら望んで五感を捨てるでしょう。そして、心の底から人類の幸福と平和を望むことができる方です。暗殺者に狙われているということは、国王陛下は王女殿下に聖霊の巫女のことを話しておらず、他国が聖霊の巫女の覚醒のために動いている状況と推察できます」
「その通りだ……」
国王が深くため息をつき、玉座の背もたれに体を預けた。
「国内では王家だけがエリスを聖霊の巫女にすることに反対しており、事情を知っている四大公爵家や聖教会はエリスを聖霊の巫女にするべきだと主張している。学園にまで暗殺者が侵入したということは、どこかの家が手引きをしたのだろうな……」
王の言葉に、俺は眉をひそめた。
「手引きした家を調べ、罰するべきです」
「そうはいかん。今はごく一部の者しかエリスが聖霊の巫女の候補であることを知らぬが、もし他の者たちまで知ることになれば、国内を二分する状況になるだろう」
苦渋に満ちた王の表情。
その時、それまで静かに聞いていたエリスが声を上げた。
「お父様、どういうことですか? 私が聖霊の巫女……?」
エリスの問いかけに答えるように、アークライト公爵が一歩進み出た。
「王女殿下。聖霊の巫女とは、数多の英霊を統率し、その暴力的なまでの光で魔族を焼き尽くす、人を超えた究極の戦略兵器……いや、人類の希望です」
公爵の声は淡々としていたが、その瞳には狂信的なまでの使命感が宿っていた。
「あなたが五感を捧げ、聖霊の巫女となれば、毎年数万人が犠牲になっている魔族との戦いが終わるのです」
その説明を聞き、エリスは息を飲んだ。
数秒の沈黙の後、彼女は静かに俯いた。
そして、再び顔を上げた時には、その表情から迷いが消えていた。
「そういうことでしたら……私でよければ、聖霊の巫女を務めさせていただきます」
その言葉に、アークライト公爵が満足げに頷く。
「国王陛下、お聞きになった通りです。王女殿下は聖霊の巫女になることを喜んで了承してくださいました。賭けは私の勝ちですね」
「ああ……」
王が力なく答える。
俺は思わず口を挟んだ。
「賭けとはなんでしょうか、国王陛下」
「エリスが聖霊の巫女のことを知り、自ら聖霊の巫女となることを望めば、そのようにする……そうアークライト公爵と約束していたのだ」
「なぜそのような約束を……結果はわかりきっていたでしょう!」
「前線はどんどん厳しくなっている。たくさんの神官戦士を派遣している聖教会の圧力も、もはや抑えることは難しいのだ」
王の声には、娘を守り切れなかった父親の無念が滲んでいた。
俺はたまらずエリスの傍に駆け寄った。
「エリス様、考え直してください。五感を全て失ってしまうんですよ? これから先の人生、ずっと不自由に過ごさねばなりません」
「私が多少不自由になろうと、それで人々の命が救われるなら、構いません」
その自己犠牲の精神は尊い。
王族として、民を守るための決断なのだろう。
だが、俺はそれを認めるわけにはいかなかった。
俺はあえて、冷たい口調で彼女に問いかけた。
「エリス様……先日私と一緒に食事をした時に、楽しいと言ってくれましたが、あの言葉は嘘でしたか? もう私と食事を共にするのは嫌だから、五感を失いたいと、そう思っているのですか?」
エリスが驚いたように顔を上げる。
「ど、どうしてそのような話になるのです! 私は本当に、レオン様と一緒に過ごす時間を楽しんでいました!」
「しかし、五感を失ってしまったら、ああやって食事を楽しんで会話することができなくなってしまいます。やはり、私との食事会を避けるために巫女になりたいとしか……」
俺は声のトーンを落とし、自嘲するように乾いた笑いを漏らした。
「いえ、いいんです。昔から、私と食事をしてくれたのは家族だけで、それ以外はいつも一人でしたから。エリス様は、やはり無理をしてくださっていると、当たり前のことに気づかず、申し訳ございませんでした。私とはもう二度と食事をしたり、会話をしたり、したくはない。五感を失う方がまだましと、そういうことですよね」
「違います! レオン様とはもっと食事とお話を楽しみたいです! 私だって、五感を失うのは嫌ですけど……でも……それくらいしか私には……」
言って、エリスははっと口を手で押さえた。
本音が漏れたのだ。
俺はその隙を見逃さなかった。
「公爵閣下、お聞きになった通りです。エリス様は、心の底からは巫女となることを望んでいません」
「レオン・フェルディナ、貴様……!」
アークライト公爵が激昂し、俺を睨みつける。
「王女殿下と楽しく過ごしたいという、貴様の我儘で、この先ずっと続く犠牲を放っておくと言うのか!?」
「我儘になるのは仕方ないでしょう。私がこのような素晴らしい女性と結婚できるなんて、この機を逃すとありえないのですから。それに、婚約者には元気でいてほしいと願うのは、当然のことだと思います」
俺は胸を張って言い放った。
「数えきれない人々が魔族との戦いで命を落とすことになるのだぞ!? それが、王女殿下一人、五感を失うだけで済むのだ! 命を落とすわけでもない! 最も多くの人間が幸福になる方法だとわからんのか!?」
公爵の正論が響く。
確かに、功利主義的に見れば彼の言うことが正しいのかもしれない。
だが。
「一人の犠牲で全員が幸福に、ですか。そんなストーリーはクソくらえです」
「な……!!」
公爵が絶句し、顔を紅潮させる。
俺は怯むことなく、国王に向き直った。
「エリス様は素晴らしい力を持っています。私たちに数週間の時間をください。あと、王家の墓のダンジョンに立ち入る許可を」
「何をするつもりだ?」
「エリス様の力で人類を救うことができると、証明して見せます。差し迫って、聖教会からの圧力をどうにかしないといけないのであれば、神罰……ジャッジメントの魔法を使用できる神官戦士に同行していただきましょう」
その提案に、エリスがはっと顔を上げた。
「それならば、カティアが使用できます」
王座の間に沈黙が落ちた。
国王は顎に手を当て、迷いを滲ませている。
「ふむ……カティアは近々聖騎士になるとも言われている神官戦士だったか。それならば安全性は担保できるかもしれんが、しかし聖教会を待たせるわけにも……」
国王の心が揺れ動いている。あと一押しだ。
そう思った矢先、アークライト公爵が声を張り上げた。
「断じて認められん!」
公爵は憎々しげに俺を指さした。
「陛下、騙されてはいけません。そもそも、私はこの男が生理的に受け付けないのです! 見なさい、この醜悪な顔を! 王女殿下の隣にこの男がいるだけで、王家の品位が汚される気がして吐き気がする! これ以上、エリス様をこのような不快な汚物に関わらせるなど、言語道断! 即刻この場からつまみ出すべきです!」
論理も理屈もない、純粋な嫌悪感からの拒絶。
だが、それこそが最も厄介な壁だった。
公爵の顔には「お前が嫌いだから全ての提案を却下する」と書いてある。
ここで正論を重ねても、火に油を注ぐだけだ。
ならば――俺はこの嫌悪感を、利用するしかない。
俺は肩をすくめ、小さく呻き声を漏らした。
「……仰る通りです、公爵閣下。私のような醜い男が、高貴な王家の墓に足を踏み入れるなど、身の程知らずも甚だしいことでしょう」
「わかっているなら失せろ! 貴様のような気持ち悪い男の言葉など、信じられるか!」
「私の提案が胡散臭く聞こえてしまうのも、無理はありません。実際、この作戦は……死霊術師である私にとっては、まさに地獄のような苦しみを伴うもので、絶対にうまくいくという保証もありませんから」
「地獄のような苦しみ……?」
公爵が怪訝な顔をする。俺はここぞとばかりに、声を潜め、苦渋に満ちた表情を作ってみせた。
「王家の墓は、歴代の王族が眠る場所。そこには、高貴で純粋な王家の霊気が充満しています。私のような卑しい死霊術師が、そこで術を行使すればどうなるか……」
「どうなると言うのだ」
「その高貴な霊気は、私の汚らわしい魔力を徹底的に拒絶します。術を行使するたび、全身の魔力回路をヤスリで削られるような激痛に苛まれ続けるでしょう。皮膚がただれ、魂が削られるような苦痛です。しかし、それ以上に辛いのは……」
俺は胸を押さえ、悲痛な声を上げた。
「私が手塩にかけて育て、我が子のように愛しているアンデッドたちが、王家の威光に晒され、恐怖に震えながら崩壊していく様を見続けなければならないことです。私の愛する、可愛い可愛い死体たちが、悲鳴を上げて崩れ去る……その感覚が支配のパスを通じて私に流れ込んでくるのです……!」
俺の言葉に、アークライト公爵の表情がぴくりと動いた。
「……ほう? 貴様のその汚らしい術が、王家の霊気に罰せられると?」
「はい。全身を拒絶反応で焼かれながら、愛するコレクションが破壊される喪失感に耐え続けなければなりません。成功したとしても、私は心身ともにボロボロになり、再起不能になるかもしれません……。それでも、私は婚約者として、王国の貴族の一員として、王女殿下のお役に立ちたいと思っているのです。どうか、この醜い身が焼かれることを許していただけないでしょうか」
俺はチラリと公爵を見た。
その口元が、サディスティックに歪んでいる。
大嫌いな俺が「高貴なもの」によって苦痛にのたうち回る姿を見たいという嗜虐心が、嫌悪感を上書きしていく。
公爵は鼻を鳴らし、歪んだ笑みを浮かべて玉座を見上げた。
「……陛下、一理ありますな。この男の不敬に対する罰としても、悪くありません。自ら地獄を見に行きたいというのなら、行かせてやろうではありませんか。その醜い顔が苦痛に歪み、二度と人前に出られないほど壊れる様……想像するだけで溜飲が下がります」
公爵は俺を見下し、嘲笑った。
「いいだろう、レオン・フェルディナ。貴様のその愛する死体人形どもが高貴な霊気に押しつぶされ、貴様自身も無様に這いつくばる姿、楽しみにしているぞ」
「……寛大なご配慮、感謝いたします」
俺は恭しく頭を下げた。
「よかろう」
国王が重々しく頷いた。
「レオン・アストレア、そしてエリスよ。数週間の猶予を与える。王家の墓にて、その力を証明してみせよ」
王座の間を退出した俺に、エリスが心配そうに駆け寄ってきた。
「レオン様、私、レオン様に苦しんでほしくありません。私のことを本気で案じてくださった、それだけで十分ですから……」
「公爵閣下に言ったことですか? あれは嘘ですよ。ああでも言わないと、許可を得られそうになかったので。王家の墓は、どちらかというと私と相性のいいダンジョンです」
「まあ……」
エリスは目を丸くし、そして微笑んだ。
「それでは、王家の墓にはお兄様とセレスティア様にも同行をお願いしましょう」
「王太子殿下と姉上にですか?」
意外な人選に俺が聞き返すと、エリスは力強く頷いた。
「はい。これを機に、二人にはもう一度距離を縮めていただくのです」




