醜悪なる肉の盾と、王女の采配
大急ぎで陣営が整えられた。
町の北側に位置する切り立った崖の上。
そこに、怯えながらも爆弾を手にする町人たちが並ぶ。
町の四方八方から、地響きと共に魔物の大群が迫っていた。
巨大なベヒモス、ゴーレム、オーガ、おびただしい数のオークとゴブリンが地面を埋め尽くしている。
「……さあ、異形の外見の役目を果たすか」
俺は町の入り口に一人立ち、死霊術を全開にした。
「フレッシュゴーレム・アーマー!」
サルコフの黒い筋肉が、俺の体を肥大化させる。
不気味な脈動を繰り返す肉の鎧。
その姿を見た魔物の軍勢は、本能的な怒りと嫌悪を剥き出しにし、一斉に俺へと矛先を変えた。
「グアアアアッ!」
先頭のベヒモスが突進してくる。
俺は追われるように町の周囲を一周し、魔物の大群を全て北側の崖に引き付けると、肉の鎧の一部を触手のような形に変えて、崖に取り付いて登り始めた。
「今だ! エリス様!」
高台で、エリスが両手を掲げ、祈りを捧げ始めた。
眩い輝きが町人たちを包み込む。
「投げろ! 投げろぉ!」
町人たちの叫びと共に、無数の魔晶爆弾が崖から放たれた。
不格好な石が崖を駆け上がる魔物の中へと落ちていく。
轟音。
魔物に当たった瞬間、魔晶爆弾は強烈な閃光を放ち、光に貫かれた魔物はその一撃で倒れ伏した。
少しタイミングがずれると魔晶爆弾は地面を穿つだけで、何の意味もない。
ゲームのアストレア戦記でも、この投擲アイテムを使用するのはギャンブルのようなもので、通常は戦術に組み入れることはしなかった。
しかし、高レベルの『祈り』のスキルがあれば別だ。
命中率上昇効果で、投げれば当たる状態になった大ダメージの投擲アイテムは、戦略兵器並みの破壊力となって平原を焦土に変えた。
爆炎の中、魔晶爆弾を生き延びた強力な魔物たちは、なおも崖を登って立ち向かってくる。
「させるかぁ!」
カティアが崖から飛び降り、空中で剣を輝かせた。
「ジャッジメント!」
一閃。
祈りの恩恵を受けた彼女の一撃は、決して外れることなくオーガの脳天を穿つ。
「私も行くわよ! セイクリッド・アロー!」
セレスティアが放つ無数の光の矢が、逃げ惑う魔物たちを確実に射抜いていく。
さらに、崖の上からそれを見ていたシャルロッテの騎士団員たちも、ついに突き動かされたように叫び声を上げた。
「俺たちも続くぞ! 町を守るんだ!」
彼らが雪崩のように崖を駆け降り、残った魔物たちを次々と討ち取っていく。
帝国軍が手を出す間もなく、圧倒的物量を誇っていた魔物の軍勢は塵となって消え去った。
俺は削り取られた肉の鎧を解除し、荒い息を吐きながら、勝利に沸く高台の光景を見つめていた。
ヴォルフが静かに俺の隣に並んだ。
「……見事だ」
短い言葉だった。
称賛なのか、悔しさの滲んだ独り言なのか、判断がつかなかった。
彼はそのまま踵を返し、国境の向こうへと消えていった。
帝国軍の隊列が、砂埃を残して撤退していくのを、俺は静かに見送った。
戦いの熱気が冷めやらぬ町の中央広場は、焦げた土と魔物の体液のひどい臭いが入り混じっていた。
夕闇が完全に空を覆い尽くし、建物の壁に設置された松明の赤い火の粉が夜風に舞い上がっている。
生き残ったという安堵の息を吐き、抱き合って喜ぶ町民たちの喧騒の隅で、冷ややかな空気が漂う一角があった。
先ほどまで代官の屋敷でふんぞり返っていた指導者たちが、今は見る影もなく地に伏せている。
肥満体で派手な装飾品を身につけた町長と、淡い茶色の髪をひどく乱したシャルロッテが、固い石畳の上に膝をついていた。
二人は土下座に近い体勢でエリスにすがりつき、必死に許しを請うている。
「エリス王女殿下! どうか、どうかお慈悲を! 帝国軍を引き入れようとしたのは、あくまでこの町を思ってのことで!」
「わたくしも同じです! 決して王国に弓引くつもりなどありませんでした! どうか命だけはお助けください!」
恐怖に顔を引きつらせる町長と、涙と泥で顔を汚したシャルロッテの懇願が響く。
外患誘致による死罪を免れるため、二人はなりふり構わず温情を求めていた。
王国の威信を裏切った罪の重さを前に、貴族令嬢としての矜持も完全に崩れ去っている。
エリスは静かに二人の声を聞き下ろしていた。
その光のない深紅の瞳に表情は浮かんでいないが、威厳に満ちた立ち姿は間違いなく王族のそれであった。
一切の動揺を見せないエリスの態度は、かえって罪人たちの恐怖を煽っているようにも見える。
その異様な光景に気づいた町民たちが、少しずつ広場に集まってきた。
すすで顔を黒くした男たちや、息を弾ませた女たちが、自分たちの指導者が罰せられようとしている状況にざわめき始める。
彼らの不安げな視線は、膝をつくシャルロッテたちから、すぐに傍らに立つ俺へと向けられた。
俺の顔は、誰もが本能的に嫌悪感を抱くほど醜い。
その上、先ほどまで不気味な死霊術を展開し、巨大な肉の鎧を身にまとい、魔物の大群を引き連れて走っていたのだ。
町民たちからすれば、俺こそが災厄の象徴に見えたのだろう。
ひとりの男が、忌々しげに地面に唾を吐き捨てて叫んだ。
「おい! 全部あの不細工な男のせいじゃないのか!」
その一言が、くすぶっていた火種に油を注いだ。
「そうだ! あの男が魔物を連れてきたんだ! シャルロッテ様から婚約を破棄されたことを恨んで、この町ごと潰してしまおうとしたに違いない!」
「間違いない! でなければ、あんなに大量の魔物が一気に押し寄せてくるはずがない! 帝国のせいじゃない、全部あの化け物みたいな男が仕組んだことだ!」
根拠のない推測は、極限状態を乗り越えた群集心理によって真実へとすり替わっていく。
彼らは自分たちの不安や恐怖をぶつけるための、分かりやすい悪役を必要としていた。
そして、俺の外見はそれにうってつけだったのだ。
誰かが手にした小石を力任せに投げつけた。
乾いた音を立てて、石が俺の額に命中する。
サルコフを着込んでいない今、死霊術師としての防御力の生身の体には容赦なく痛みが響く。
熱い血が皮膚を伝い落ちた。
「何をするのよ!」
セレスティアが怒りに顔を染めて白銀の光を放つ杖を構え、カティアが鋭い金属音を響かせて剣の柄に手をかける。
二人とも、理不尽な暴力から俺を守ろうと本気で町民たちを睨みつけていた。
俺は二人を両手で制して前に出た。
「やめろ。暴動を起こしても、シャルロッテ嬢たちの立場が悪くなるだけだぞ」
激昂する住民たちに警告しながら、サルコフを再び身に纏う。
「くそ! 化け物め!!」
「認めろ! 全部お前の仕業だと認めろよ!!」
「化け物を庇うなんて、あいつらもシャルロッテ様を陥れるために来たんだ! この町の敵だ!!」
住民たちはセレスティアとカティアにまで石を投げ始める。
正当防衛とはいえ、二人が本気で反撃すれば、この町は虐殺の町として歴史に名を残すことになりかねない。
俺はサルコフの肉を触手のように伸ばし、飛んでくる石を全て受け止めた。
肩に、胸に、足に、無数の石がぶつかる。
痛みはないが、さすがに少し悲しい気持ちになっていた。
いつものことだ。
何を言っても、どんな行動をとっても、最後には誰もが敵になるということは、これまでの人生で痛いほど学んできた。
どれだけ身を削っても、この呪われた容貌がある限り、俺は常に忌み嫌われる存在なのだ。
「やめなさい!」
凛とした、しかし周囲の空気を震わせるほどの強い声が広場に響き渡った。
石を握りしめていた町民たちが、その圧倒的な気迫に気圧されて動きを止める。
声を上げたのはエリスだった。
普段の穏やかな様子からは想像もつかないほど、彼女の美しい顔は強い怒りに満ちていた。
エリスは迷いのない足取りで俺の前に進み出ると、かばうように両手を広げた。
「レオン様は身を挺して魔物を引きつけ、あなたたちに戦う機会を与えたのです! レオン様がいなければ、この町は滅びていました! 彼に石を投げるなど、王国への反逆とみなします!」
水を打ったように静まり返る広場で、エリスは町民たちと、そして地面に這いつくばるシャルロッテたちに高らかに宣言した。
「今日、あなたたちが逃げ出さずに、魔物に石を投げ続けたことで、この国境の町は守られました。もう誰にも、石を投げなくてもよいのです。全ては終わったのです。住民の皆様の多大な功績と、シャルロッテ伯爵令嬢たちの内通という大罪とを相殺し、今回の件は罪に問わないこととします」
その宣告に、シャルロッテが弾かれたように顔を上げた。
死罪という最悪の結末を免れた安堵に、彼女はわっと声を上げて泣き崩れた。
だが、エリスの追及は終わっていなかった。
エリスはシャルロッテの方へ顔を向け、静かに、しかし冷たく言い放つ。
「シャルロッテ伯爵令嬢、あなたは住民たちに何も言わないのですね。私があなたを罰しようとした時、レオン様はあなたを庇いましたよ」
シャルロッテはびくりと肩を震わせると、深く項垂れ、震える唇を開いた。
「レオン様。わたくしは、なんて愚かなことを。本当に、本当に申し訳ありませんでした」
泥にまみれた顔から涙をこぼし、彼女は謝罪を口にした。
「昔馴染みの仲だし、シャルロッテ嬢のおかげでこうしてエリス様と一緒に戦うことができているので、お気になさらず」
彼女が俺との婚約を破棄してくれたからこそ、エリスというかけがえのない存在と出会うことができたのだ。
アストレア戦記で見なかったイベントを経験できるし、『祈り』のスキルを活用した戦術をこの世界で実際に組み立てるのはかなり楽しい。
ふと視線を感じて横を向くと、エリスがこちらをじっと見つめていた。
「お優しいのですね」
「いえ、私はエリス様と出会ってからとても楽しく過ごせているので。全て本心ですよ」
「まあ……」
エリスは驚きながら、しかし嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます。そう言っていただけて、安心しました。やっぱりレオン様はお優しい方です。あの時、シャルロッテ伯爵令嬢を庇ったのも……」
「あれは、あの場で戦闘になってシャルロッテ嬢に万が一のことがあれば、後々面倒なことになると思ったからで……本当に、そんな優しい人間ではないのです、俺は」
「私の言動が原因で大変な事態になるのを防いでくれていたのですね。……結果としてシャルロッテ伯爵令嬢が救われたことに変わりはありません。それに、私のためを思ってくれていたことが、一層嬉しいです」
エリスはぺこりと頭を下げた。
「しばらくは平穏無事とはいかないかもしれませんが、またこうやってレオン様とお出掛けできるのを、楽しみにしています」




