中編
2話目です。
次で完結です。
婚約破棄の翌日、
廊下ですれ違う貴族の視線が、露骨な蔑みに変わる。
ささやき声が背中を刺す。
「王太子殿下に捨てられた」
「不吉な女だ」
私は微笑を貼り付け、歩く。
心が無傷なわけではない。
エイドルフの言葉が、ふとした瞬間に胸を抉る。
“無能で、不吉で、重荷”
指先が震えそうになるたび、私は手袋の縫い目を握り込んだ。
(やるべきことを、やらなくちゃ)
痛みは、私を壊すためではなく、私を動かすためにあるのだ。
辿り着いたのは外交局。
隣国との条約更新が迫っている。
予知通りだと王太子の未来の失敗は、その交渉の場で起こるはずだ。
扉の前で深呼吸をしていると、背後から声がした。
「セレスティナ・アーデルハイト様」
振り返ると、灰色の瞳をした美しい青年が立っていた。
黒髪をゆるやかに後ろに流し、背は高く、清潔な装い。
胸元の徽章は外交局のもの。
(この人が噂のアーヴィン・クロウ男爵ね)
若く将来有望な外交官。
もともとはヒューイック公爵家の三男であったが、
成人を機に独立しクロウ男爵の地位を得た。
もともとの地頭の良さと豊富な知識、
それに加えて慣例にとらわれない斬新な発想力。
アーヴィンの優秀さは外交局以外でもたびたび話題になる。
王太子の婚約者であったセレスティナとは何度か外交の場で面識がある。
彼は丁寧な礼をした。
「昨日の件……僭越ながら、心を痛めておりました」
「ありがとうございます。……私は大丈夫ですわ」
大丈夫、という言葉の中に、傷が混じる。
アーヴィンはそれを見抜いたように、少しだけ眉を下げた。
「・・・それで、なぜここへ?」
「殿下が、条約を破棄する可能性があります」
アーヴィンの表情が変わる。
外交局としては冗談では流せない話題だ。
彼は急いで扉をノックし、私を中へ通した。
外交局長は書類の山に埋もれ、疲れ切った目でこちらを見る。
「ああ、アーヴィンに、アーデルハイト嬢。用件は短くな」
「予知の件で、アーデルハイト嬢から話が」
局長は疲れ切った表情で顔を上げる。
「殿下の判断は危険です。感情で外交を動かします」
局長は眉をひそめた。
「……婚約破棄の腹いせか?」
「違いますわ」
私の声は、低くなった。
怒りが、やっと形を持つ。
「私が怒っているのは婚約破棄ではありません。
“国の未来”を、殿下の機嫌が踏みにじることです」
局長が黙った。
私の目に嘘がないことを理解したのだろう。
「私は、あの方が条約を破棄して戦を招く未来を見ました。
――国中を巻き込み、民の血が流れます」
局長の顔色が変わる。
「予知だな?」
「はい、私の言葉を全部信じろとは言いません。
ですが、殿下の言動に注意を払ってください」
局長は深く息を吐き、頷いた。
「……大使館に警戒を伝える。だが余計な火種にはするな」
「承知しています」
私は席を立った。
廊下に出ると、アーヴィンも並んで歩き出す。
「あら、同行くださるのかしら?」
「ええ、あなたは危ない橋を渡っているようですから」
「危ない橋の渡り切れば、国が守られます」
私がそう答えると、彼は苦い笑みを浮かべた。
「なら、僕も手伝います。外交官ですから」
婚約者時代に顔見知りとなっていた隣国大使に、さりげなく伝えた。
「殿下は最近、強硬な発言が増えております。念のため、ご用心を」
財務官にさらりと告げる。
「ああ、軍備費増額案が出るやも・・・殿下の威信のためですが」
重鎮貴族の侍従たちに、匂わせる。
「殿下は折れることが嫌いです。引き止めるなら、お早めに」
嘘は言っていない。
エイドルフ殿下の“未来”を、私は”見た”のだから。
◇
最初に露呈したのは――王太子としての品格の欠如だった。
条約の事前会合。
私は外交局の一員として末席で出席し耳をそばだてた。
「隣国ローキエウは譲歩の条件として、国境の検問緩和を求めています」
外交官が説明すると
とたんに王太子が舌打ちした。
「条件だと!小賢しい。拒否だ、拒否!」
「殿下、拒否すれば物流はさらに滞り、我が国の穀物輸出にも――」
「黙れ!対等なのに、我が国が折れてどうする。
折れるのは、弱者のすることだ!」
メンツの話に終始し、国益の勘定ができない。
意地を政治と勘違いしている。
さらに、決定打があった。
「殿下、そのローキエウとの国境に位置し、貿易の要の街イーフから嘆願が。冬の燃料が不足しており・・・」
(イーフはローキエウとの貿易の要、
今年は厳冬だから暖に、運搬に、動力に、燃料が余計に必要なのね)
だが、王太子は、手で追い払うように言った。
「イーフは貿易で設けているだろう!図々しい!
何よりそんな動きをすればローキエウに弱みを握られるではないか!」
私は息を止めた。
「却下、却下だ!」
民の暮らしを、“顔”で潰す男。
これが、私を笑いものにした男の正体だ。
(こんな人にこの国のかじ取りを任せるわけにはいかない)
◇
数日後、王宮の廊下で私は呼び止められた。
王太子とロザリアが、怒りを纏って立っている。
「セレスティナ」
王太子の目が血走っていた。
「……何をした?」
ロザリアが甘い声で追い打ちをかける。
「あなたでしょう? 殿下に恥をかかせるために、また“呪い”をばら撒いたのね」
私はロザリアを見る。
(他責と傲慢を絵にかいたような女ね)
エイドルフは声を荒げた。
「外交局が警戒を強め、俺の指示が効かない!
ローキエウは強硬になり、財務部は王太子予算を引き締めようとしている!
お前が“未来”などと吹き込み、私を貶めたのだろう!」
私は、王太子の瞳を見返した。
そこにあるのは怒りだけではない。
――恐怖。“失敗”という現実を突き付けられる恐怖。
「私が吹き込んだのではありません」
「黙れ!」
私は薄く笑った。
「私は何もしていません。
――ただ、殿下の未来を信じただけです」
王太子の顔が歪む。
手が伸び、セレスティナの腕をつかもうとした瞬間、
アーヴィンが一歩、間に入った。
「殿下。令嬢へのご無礼は、王家の品位を損ないます」
「男爵風情が口を挟むな!」
「外交官、としての進言です。
殿下の評判は、この国の評判になります」
王太子は舌打ちし、ロザリアの手を引いた。
「ちっ、邪魔が入ったな。だがセレスティナ。
お前が何かを企んでいるのはわかっているぞ!」
去り際、ロザリアは唇のみで笑った。
『醜い嫉妬ね』
セレスティナの目をのぞき込み、アーヴィンが小さく息を吐く。
「……あなた、怖くないのですか」
「怖いです」
私は正直に答えた。
エイドルフは権力者だ。簡単に潰されるかもしれない。
それでも、私は言葉を続けた。
「でも、もっと怖いのは――この国が燃えることです。
王妃陛下が命を削って守った国を、私は見捨てられない」
アーヴィンの目が揺れた。
そして彼は、静かに言った。
「……なら僕は、あなたを一人にしません」
その言葉がセレスティナの胸に灯をともす。
確かな支え。
志を共にする仲間、あるいは―――
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