きっかけ
「愛嬌がないお前のことなんて、誰も好きにならない」
幼い頃から、チナツは両親にそう言われて育った。
ずっと、「可愛げがない」と言われてきた。
表情が乏しいとか、あまり喋るのが得意ではないとか、理由を1つひとつ上げたらキリがないけれど、要するに私は誰かに自然と可愛がられるタイプではなかった。
対して一つ年下の妹は太陽のような明るい笑顔と人懐っこい性格で、誰からも愛されていた。
私はいつも、妹の光を引き立たせるための影のような存在。独りぼっちで、誰かに見つけてもらえるのを待っていた。
だから――
「俺、チナツのこと好きだよ」
その言葉を初めて聞いたとき、胸の奥がひどく熱くなった。
相手は一つ年下の男の子で、レオと名乗った。私がクラスで馴染めず、常に1人でいる姿を見て、群れないところがカッコいいと思ったらしい。
彼はよく喋り、笑顔も魅力的で、チナツとは正反対の世界にいるような人。誰かに「好きだ」と言われたのも、自分の在り方を肯定されたことも、チナツにとって人生で初めてのことだった。疑うより先に、信じてしまった。恋だと思った。
けれど、ほどなくして知る。
彼には、チナツ以外にも「彼女」がいた。
それも、一人や二人ではなかった。
レオといつも会う旧校舎の美術室で、チナツはそのうちの一人と鉢合わせになる。
マナ、と呼ばれたその少女は、まるで童話に出てくるお姫様のように可愛らしかった。鈴の鳴るような笑い声、堂々と自信に満ちた立ち振る舞いーー彼の隣に立つ姿がひどく様になっていた。
「その顔…もしかして、聞かされてなかった感じ? レオの彼女が自分だけじゃないって」
ショックだったことが相当顔に出てしまっていたのだろう。マナは私のことを心配そうに見やった後、レオのことを睨みつけた。
「あれ、言ってなかったっけごめん。てか、特に隠したりしてないから知ってると思ってたんだけど…」
後から知ったが、レオが女たらしなのは有名な話だったらしい。親しい友人がおらず、噂話に疎い私は知らなかった。
気が付けば、2人に背を向けて走り出していた。
世界が徐々に滲んでいき、窓から差し込む光が痛いくらいに眩しく感じた。
「待って!」
校舎の外に出たタイミングで、腕を掴まれる。
「ごめん、レオじゃなくて。アイツ、クズだからこういう時追いかけてきてくれないよ」
息を切らしたマナが、顔にかかった髪を横に流しながら言う。
「…偉いね、アイツの前で泣くのちゃんと我慢したんだ」
ふわふわした柔らかそうな髪も、こうして誰にでも優しくするところも、妹に似ていて不快だった。
きっと、酷い顔をしている。褒められたのをきっかけに、余計に涙が止まらなくなってしまった。肝心な時には役に立たないくせに、都合の悪い時に限ってよく動く表情筋が恨めしい。
離してください、と一向に私の腕を離す気配のないマナの手を振り解こうとした時、
「あれ、置物女じゃん」
聞き覚えのある声。クラスメイトの女子達3人が、嘲笑うようにニヤつきながらこちらに近づいてきた。
「何アンタ、クラスでぼっちだからって、ビッチ先輩とつるんでんの?」
「ねえ待って、置物女のくせに泣いてんだけど?」
「アンタ表情筋とかあったんだ、ウケる〜。クラスではなーんも喋んないし動かないのにね?」
3人は矢継ぎ早にこちらを馬鹿にする言葉を吐き、不快で下卑た笑い声を上げる。
「マナって先輩だったんだ」と、自分が傷付かない言葉だけを拾い上げ、現実逃避をするように考える。彼女達の口ぶりからして、マナがビッチだという噂も生徒達の間では常識なのだろう。
(レオのことといい、友達がいないと知らないことばっかりだな)
返事が出来ない私を見て、無視を決め込んでいると思われたのか、3人はさらに畳み掛けるように話しかけてくる。
「アンタみたいな無表情で皆から嫌われてる女、そのうちレオ君からも捨てられるんだからね」
「ちょっとアリナ、言い過ぎ〜」
「ってか、今まさにレオ君に捨てられたから泣いてんじゃない?」
クスクス笑いながら、3人は抜き身のナイフの如く鋭い言葉を私に突き刺す。
知ってたよ、自分が誰からも愛されてないことくらい。
何度も、可愛く笑わなきゃ、楽しく喋らなきゃ、明るく振る舞わなきゃ…そう思って、努力したつもり。でも、どれも妹みたいに上手く出来なくて空回り。
次第に、「愛されたい」という気持ちを抱き続けるのが苦しくなって、諦めた時に少し気持ちが軽くなった。
望まなければ傷付かない。それを覚えてから、私はずっと、頑張ることを諦めて、自分を守っていた。
(愛されないどころじゃなく、嫌われてたんだ、私)
唯一自分を好きだと言ってくれた人は、他に彼女がいた。
それ以外の人には、嫌われていた。
元々張り詰めた糸のようにギリギリを保っていた私の心を打ち砕くには、充分だった。
負け犬だと笑われてもいいから、もう耳を塞いで逃げ出したい。そう思って踵を返そうとしたところで、
「さっきから主語デカいけどさ、私はチナツちゃん好きだから、皆から嫌われてるは間違いでしょ」
ずっと隣で黙って聞いていたマナが、ようやく私の腕を離して、三人から私を庇うように前に立つ。
ああ、ちゃんと先輩なんだな、と頼もしい背中にまた涙が込み上げてきた。
「さっきからデカい口叩いてる子…アリナだっけ? アンタ、レオから聞いたけど前にレオに振られたんでしょ? だから、レオに気に入られたチナツちゃん虐めたいだけなんじゃないの?」
マナの言葉に、アリナの顔色が一気に青くなる。取り巻きの2人は、アリナがレオに振られた事実を知らなかったらしく、「えっそうなの?」とアリナの方を振り返る。
アリナは、青くなった顔を今度は真っ赤にして、怒鳴り散らすように言い返してきた。
「適当なこと言わないで! あんな女たらしのクソガキ、別に興味ないし!」
「そう? じゃあ今から呼んで確かめてみる? すぐに呼べるけど」
美人が怒ると怖い。よく聞く言い回しではあるが、目の当たりにしたのは初めてだった。
優しく柔らかい雰囲気のマナを見ていた分、凍てつくような鋭い眼差しに背筋が凍る。
それはクラスメイトの女達も同じだったようで、
「ビッチと嫌われ女の相手なんて時間の無駄だった!もう行こ!」
と、捨て台詞を吐いて去って行く。
「…すみません、ご迷惑をおかけして」
私は、マナに頭を下げた。今しがた見た冷たい彼女に対する恐怖やら、堂々と好きと言われたことに対する浮ついた気持ちやらが混ざり合って複雑な感情だが、今まで感じたことないくらい晴れやかな気分だった。
「ほんとだよ!チナツちゃんが言い返さないから、私まで嫌なこと言われた!ああいう時は、今度から自分で言い返さないとダメなんだからね!」
マナは頬っぺたをめいっぱい膨らませながら、プンスカという効果音がつきそうな可愛らしい怒り方をする。
ここは、「大したことしてないよ」とか、そういう感じのことを言う場面じゃないのか。
先程まで先輩らしく頼もしい姿を見せていたのに、急に子供っぽい態度で台無しにしてしまう残念な彼女を、親しみやすいと感じて好ましく思ってしまう自分がいた。
「…ありがとうございます」
「まあでも、私が思ったことそのまま言っただけだし! やりたいようにやったら棚ぼたで人助けだった〜みたいな…アレ、使い方合ってるかな?…とにかくそんな感じだから、あんま重く考えないで!」
私が素直にお礼を言うと、マナは照れ臭くなったのか急に早口で捲し立てる。本当に最後までカッコつかない先輩だ。
「あと、さっきは急に二股されてるって知って複雑だったかもだけどさ…レオはクズ男だけど、アイツが好きになる女の子はみーんな可愛くて良い子達だから!彼女同士で集まって遊んだりとか、案外楽しいよ〜。さっきの女達みたいな性格ブスは1人もいないし!せっかくなら、一緒に楽しもうよ!」
相変わらずよく回る口が止まらないマナは、改めて私の手を取ると、旧校舎の方向に戻って行く。
「嫌なことあったって言って、一緒にレオに慰めてもらお〜」
美術室へ行く道すがら、私達はずっと手を繋いでいた。
さっきマナに言われた「好き」の言葉が、心の中で温かく息づいている。先程、彼女は「思ったことをそのまま言っただけ」とも言っていた。
本当はその言葉を詳しく掘り下げたいが、今はただ、この幸せを噛み締めるだけで充分な気がした。何故か、レオに好きだと言われた時よりも鼓動が早く高鳴っていた。




