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よっぱらい召喚?聖女、異世界に拉致られ、魔王と飲み比べ勝利する。

 低く響く詠唱と、ろうそくの炎がゆらめく音が耳に届く。


 長衣をまとった神官らしき者たちが、床に描かれた魔法陣の周囲をゆっくりと回りながら、古めかしい言葉を唱えている。

 手には銀色の鈴や香炉、空気は香木の煙と魔力のざわめきで満ちていた。


 やがて中央の紋様が淡く光を帯び、光の輪が重なっていく。


「聖女様だ! 召喚は成功です!!」


 ……え、誰が?

 見上げれば、白亜の天井が果てしなく高く、足元は光を跳ね返す大理石。

 広すぎる空間に豪華すぎる装飾、場違いな私。

 まるで高級結婚式場のサプライズ入場か何かだ。

 いや、これ現実?

 それとも二日酔いの幻覚?

 昨日まではどこにでもいる普通のOLだった。

 金曜の夜、パワハラ上司の愚痴を同僚と飲み散らかして――次に目を開けたらこの有様。

 現実逃避の夢にしてはディテールがリアルすぎる。


(今、“聖女”って言った?)

 ……あの。

 私、名乗ってもいないし、何よりそんな清らかな属性は持ち合わせてませんけど?

 土曜の夜に飲み屋でクダ巻いてた女ですよ?

 今だって、頭の中じゃまだ二日酔いの計算式が成り立ってるんですけど。


 どうも“聖女”という呼び名、響きがこそばゆい。


 なんでそこにわざわざ性別を挟む必要があるんだろう?「聖人」

 でいいじゃない。

 もし男女で呼び分けるなら、「聖男」

 や「聖人女」

 になる?

 いや、それも語感が変だし、下手すると歴史に残る勘違いワードになる未来が見える。

 ……と、頭の中でくだらない言葉遊びを繰り広げて現実から逃げていた、その時だった。


 前方で鎧に身を包んだ兵士たちが、まるで新作ロボットアニメの量産型ザコキャラのようにピタリと揃った動作で跪いた。


「聖女様、どうか我が国をお救いください!」


 あまりの息の合いっぷりに、思わず


「新作舞台のオーディション会場ですか?」


 と聞きそうになった。


 けれど、その視線の圧は冗談では済まされないほど重い。

 ここで


「無理」


 と言った瞬間、どうなるのか――背筋に冷たいものが走る。


 状況はまったく読めない。

 それでも、目の前の彼らが“救世主”の肩書を都合よく使い、私を何かに巻き込もうとしているのは、酔いの残る頭でも察せられた。


「……話は聞くけど、条件次第で断るからね。私、殺し合いなんてまっぴらごめんだから」


 そう言った瞬間、兵士たちの顔色がわずかに揺らいだ。


 ――この異世界、初手から波乱の匂いしかしない。


 しかも、ここまで引っ張り出しておいて名乗りもなければ、礼の一つもない。

 私のことを聖女と呼びながら、実際は


「はい、あなた今日から戦力ね。 質問は受け付けません」


 と言わんばかりの空気。

 駒か道具くらいにしか見ていないのが丸わかりだ。


 ……こっちは突然呼び出されて、移動代も日当も出ないブラック契約なんですけど?

 残業代もつかないとか、本当にやってらんないわよ。

 まずは残業代から交渉させてもらいますけど?



「……でさっ!!」

「あんたらの国の命運なんて、自分らで何とかしなさいって話よ!」


「私はぬるま湯全開の平和国家から来たのに、なんで初対面の人たちと殺し合いに巻き込まれなきゃいけないわけ?」


「………………」


「ねえ、なに?、聞いってんるの?」

「ほら、遠慮しないで飲んでよ、魔王様!」


「……あ、ああ」


 聖女は頬を真っ赤にし、笑顔を浮かべながら私のグラスへ惜しみなく酒を注ぐ。


 この女が酒瓶を詰めた袋を背負って魔王城の門を叩いたのは、半日ほど前のことだ。

 到着時にはすでに出来上がっており、そのままの勢いで本丸に突入してきた。


 しかもそこから一度もペースを落とすことなく、延々と飲み続けている。

 驚くべきことに、顔色こそ酔いで紅潮しているが、足取りも言葉もまるで乱れない。


 ……この女、底なしの酒豪かもしれん。


 召喚されたはずの聖女が、任務そっちのけで魔王の城に飲みに来る世界。


「自国の努力」


 という概念は、どこかの川にでも流してきたのだろう。


 案の定、開口一番にこの世界をこき下ろし、次の瞬間には同情めいた目を向けてくる。


「いやぁ……魔王様も大変でしょ、このご時世。」

「私なんてさ、自分の世界でも上司が“成果泥棒”の常習犯でね。」


「人の苦労を横取りして、自分はドヤ顔。 やってられないったら!」


「聖女って、名前負けもいいとこだっての。 このご時世に“人間討伐”とか、ありえないでしょ。」



「私の国じゃ【命は大事に】って習うのよ。 ……例外は、あの素早くて黒光りしてる悪夢みたいなヤツくらい!」


 その瞬間、彼女の目が妙に鋭くなる。


「……この前なんて、自宅の台所で見かけちゃってさ。

 あまりの恐怖に荷物も持たず友達の家に逃げたわよ。

 翌日には煙と薬で部屋ごと殲滅作戦よ!」


「その“悪夢”とは?」


「……えっ、この世界にはいないの!?」


「なにそれ、天国じゃん!」


 声の調子が一気に跳ね上がり、瞳がきらきらと輝く。


 だが私の脳裏には、それとそっくりな“ゴキムリ”という魔獣の姿が浮かんでいた。

 体長は人間の腰ほど、甲殻が鈍く光る。


「似た魔獣ならいる。ゴキムリと呼ばれて――」


「殲滅する! 場所教えて! 今すぐ!!」


 聖女は立ち上がり、テーブルを揺らしそうな勢いで迫ってくる。

 どうやら本気で苦手らしい。


「ちょ、待て。 とりあえず落ち着け。 飲み直すぞ」


「いいえ!」


「こんな天国みたいな世界に、そんな邪悪な存在は許されない! 私は聖女として、奴らの脅威からこの世界を救うわ!」


「おい、ちょっと待て……話が違うだろ」



 聖女は酒瓶を片手に、今にも魔王城を飛び出そうとしていた。


 ……どうやら、聖女の目的は「魔王討伐」ではなく


「ゴキムリ討伐」


 に変わったらしい。


 そしてその横で、私は


「どうせ討伐されるなら魔王のほうがマシだったのでは」


 と真剣に考えていた。


 だが、一通り騒ぎ終えると、ふっと笑みを収め、ぽつりと口にした。


「……でもさ、本当は、“助けて”って素直に言える人が、ちょっと羨ましいんだよね」


 その言葉には、さっきまでの賑やかさからは想像できないほどの静けさと、かすかな寂しさが滲んでいた。


「素直に“助けて”って言えるのって、ちょっと羨ましいよね。

 私だって本当は言いたい!」


「でもさ、結局は自分で何とかしないと落ち着かない性分なんだよ」

「で、そのうえ職場には“若いうちは苦労しろ”が口癖の昭和上司がいてね。


「苦労して得られるのが腰痛とメンタル崩壊だけなら、誰が得するの?」

「そんな単純なことも理解できないのかって話よ。 女性を軽んじるような連中はね、社会からフェードアウトしてほしいくらい!」


 私はそこで、じっと魔王の目を見た。


「魔王様の国では、女性差別ってあるの?」


「……いや、この世界ではな。 生活魔法の基礎に【身体強化】があって、男女関係なく皆が身につける。 だから、力の差という発想が希薄だ」


「えっ、なにそれ最高じゃん! 身体強化、私も習いたい!」


「……そもそも聖女は、一般人よりもかなり強化されているはずだが?」


「そうなの? あー……でも、私、ここまで来る間に魔法らしい魔法なんて使ってないなぁ」


 魔王が眉をひそめる。


 この城は、世界の果てと呼ばれる深い森の奥――Aランクの魔獣がうようよする地帯だ。

 普通の人間なら森の入口で命を落とす場所である。


「……聖女殿、一体どうやってここまで来たのだ?」


「んー……あの国に召喚されて、“魔王討伐よろしく”って丸投げされてさ。」

「その瞬間にムカつく上司の顔がフラッシュバックして……気づいたらヤケ酒。」


「そしたら酔いと怒りで体温上がっちゃって、森の奥まで『どけどけぇぇ!』って叫びながら突っ切ってた感じかな」


「歩いてたら道が勝手に空いていったんだよね」 

「後で気づいたけど、多分ずっと威圧魔法垂れ流してた」


 ……もしかして、怒気と無意識の威圧だけで魔獣を退けたのか、この女は。


「ところで、魔王様。 あんた、人間を滅ぼして世界を支配しようとか思ってるわけ?」


「世界を支配? そんなもの、手間ばかり増えて面倒なだけだ」


 魔王はあっさりと言い切った。


 その瞬間、聖女の口元に悪戯っぽい笑みが浮かぶ――まるで何か面白い企みを思いついたかのように。


「……ねぇ魔王様。 アンタが世界支配に興味がないなら、ひとつ取引しない?」


 聖女は身を乗り出し、グラスをテーブルに置いた。

 その瞳は、さっきまでの酔っぱらいのそれとは違う、ビジネスマンの顔をしていた。


「私、ゴキ……『ゴキムリ』を殲滅するためなら、どんなことでもするわ。

 だからさ、アンタの国と私の故郷の国、一緒に潰さない?」


「…………は?」


「どうせあっちの国、女性差別がひどいし、ブラック企業だらけだし、もうダメでしょ!

 魔王様が滅ぼしてくれたら、私もスッキリするし、きっと世のため人のためにもなるわ!」


 聖女は高らかに笑い、グラスに残った酒を一気に飲み干した。


「……で、そのあと、私が故郷の国を統治して、女性も働きやすいホワイトな国にするからさ」 


「魔王様も手伝ってよ!」


 魔王は唖然とした表情で、目の前の聖女をただ見つめることしかできなかった。


「あ、ちなみにその費用は全部、アンタ持ちでね」


 悪魔のような微笑みで、聖女は付け加える。


 その瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った――このままでは、本当に魔王城を乗っ取られるかもしれない。


 私が渋々答えを口にすると、聖女は酒瓶を抱えたまま、にやりと笑った。

 そして次の瞬間、遠慮のない力で背中をバンバン叩いてきた。


「ほらねー! 支配なんて面倒くさいだけでしょ! だって魔王様、世界最強なんでしょ?」


「そんな相手に、ただの一市民(しかも聖女ビギナー)が挑んだら、命なんていくつあっても足りないじゃん」


「……そこまでして守る価値、この世界に本当にあるの?」

「いやー、お疲れさま! 元気で長生きしてよ!」


「人間は、この城のある森に近づくことすら叶わぬ。 我は干渉する気もない」


「ほら見なさい! やっぱ魔王様、いい人じゃん!」


「これ、私のスキルで自分の世界から取り寄せた“高級ワイン”ってやつ。

 香りも味も最高なんだから!」


 ……どうやら魔法は、それなりに使えるらしい。


「……確かに美味だ。 透明感のある味わいで、雑味もない。 こういう酒を造れる世界は、きっと平和で豊かなのだろう。」


「其方の“命を大事に”という考え方も悪くない。 その上司とやらには……そうだな、二度とまともに椅子に座れぬ呪いでもかけておこう」


「なにそれ、実用性高すぎ! 魔王様最高! さあもっと飲んで!」

「私、お酒強いから、倒れてもちゃんと介抱してあげる!」


「……よかろう。 では今夜は無礼講だ。 我が部下も呼んで宴にしよう」


「いいねぇ! 大勢で飲めばもっと楽しい!」


 こうして四天王も加わり、杯と笑い声が絶えない宴は夜中まで続いた。


 しかし、気づけば私は深酒の果てに眠り込んでしまっていたらしい。


 翌朝――目を覚ますと、聖女の姿はすでになかった。


 床には光を失った魔法陣の痕跡が残っており、“酒の勝負”で敗れた私が討たれた扱いになったことで、彼女は元の世界へ帰還できたのだろう。


 ……聖女召喚。


 異世界の事情も知らぬ者を呼び寄せ、都合の良い情報だけを与えて土地を奪う――。


 どの時代も、人間の手口は変わらない。


 ただ、今回の聖女は……

 この城にも、この私にも、妙な痕跡を残して去っていった。


 一つ、聖女が持ち帰ったはずの酒瓶が、なぜか魔王城の地下倉庫に数ケース分転がっていた。


 二つ、彼女が最後に「魔王様、ありがとう!」

 と叫びながら残していったメモには、こう書かれていた。


『ゴキムリ駆除の依頼料として、今回の酒代はチャラね!』


 三つ、聖女が去った直後から、魔王の城の周囲に大量のゴキムリが発生し始めた。

 しかも、なぜかすべてが「【身体強化】が効かない」


 という特殊なタイプだった。


 そして四つ目……魔王は自分の指に、どこか見覚えのある指輪がはまっていることに気づいた。


 それは、聖女がしていた安物のペアリングにそっくりで、よく見ると「魔王様♥」

 と文字が刻まれていた。


 どうやらあの夜、酔っぱらった聖女が勢いで「婚約」

 まで進めていたらしい。


 魔王は、呆然としながらつぶやいた。


「……初対面の女に、酒で負けて、金をたかられて、嫁にまでされかけた……だと?」


 異世界からやってきた聖女。


 その被害を被った魔王は、深く深くため息をつくのだった。


「……誰か、あの国のゴキムリを全滅させてきてくれ。 ついでに、あの聖女を連れ戻してきてくれ。」

「そして、この指輪を外す呪いも探してこい」


 そうして、魔王の異世界征服計画は、聖女討伐ではなく聖女連行計画へと、大きく軌道修正されたのだった。

もし、お時間あれば、こちらの作品も読んでみてください。

よろしくお願いいたします。


異端者扱いされた俺が“量子の魔法”を使ったら世界が変わる――

https://ncode.syosetu.com/n3941kr/


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― 新着の感想 ―
初対面なのにずぶとく交渉する聖女とそれに振り回される魔王のやり取りが最高でした。聖女が酒瓶を片手に魔王城に乗り込んできたあたりから、これは一筋縄ではいかない話だと感じて笑ってしまいました。ゴキムリ討伐…
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