番外編1
羊皮紙の切れっ端を前に、僕はうなる。
王宮に手紙を出すから、ここに自分は無事だと書け、とディラーラに言われた。
どういうつもりだ?
今から王宮に出しても、他の嘆願書に紛れて、こんな切れっ端なんかゴミ扱いだ。まともに父王陛下や、兄上の所に届くとも思えない。
運よく届いたとしても、もう再明後日にはここを発つ予定にしている。間に合うとも思えない。
こんなの出しても、無駄だ。
むしろ兄上の怒りに油を注ぐだけの気がする。
でも確かに、手詰まりは手詰まりだった。
最初は、一人で市井に紛れて適当に生きていくつもりだった。前に母と住んでいた街に戻れば、知り合いもいるし、仕事もある。
なのに、心配したエシル将軍がついてきてしまった。
もちろん、安心は安心だ。
僕を思ってのことだということも承知している。
だけど、このままではエシル将軍は、その将軍位を剥奪されてしまう。代々続く名門の将軍家なのに。
自分と別れて帰れと言っても帰らない。
自分が王宮に帰るのが一番早いかとも思うけど、それで兄の怒りが解けなかったら、帰るだけバカバカしい。
逡巡している間に、エシル将軍は着々と反逆の準備を進めている。
彼も彼なりにぶちぎれている。
母上ともう少しで婚約だったところを、父王陛下に横取りされたうえ、母は王宮を出されて一人で出産、幸せな生活どころか、エシル将軍が探しだすまで生活に困窮して、暖炉の薪さえ買えなかったと聞いた。
そんな仕打ちをしておいて、今度は息子にもか、それならこちらにも考えがある、という訳だ。
兄上にはおそらく、僕がエシル将軍と一緒にいることはバレているだろう。
なんとかごまかしておけ、とエシルは副将に言っていたが、当人は王都の西を守る重臣の一人だ。二か月も王宮に出仕しなければ、当然怪しまれるに違いない。
このまま反逆の神輿に乗るのか?
だけど、そんな覚悟で出奔したわけではなかった。
まして兄に恨みがある訳でもない。
まあ父王に対しては、ちょっと、いやかなり文句を言いたい気分ではあるけど、殺したいほど憎んでいるわけではない。
思い悩んでいる所に、この手紙だ。
どうする。
ディラーラの顔を見る。
この、きらっきらした目つき。絶対何か企んでいる。
エシル将軍の縁者だから、他国の間者とかの心配はないにしろ、伯父の留守中に何かしようとするところが怪しい。
王宮に居場所を知らせて、どうする。
再明後日にここを発つまでに報せが間に合わない場合は、ただのちょっとした「断り」ぐらいだ。
兄上なら、「それがどうした」の一言で終わる。むしろ
「そんなに近くまで来ていて、なぜ王宮にもどらんのか!」
と余計に怒らせる可能性がある。
では、間に合った場合は。
ディラーラの顔をもう一度見た。
美人だなぁ。
好みかと言われれば、そうでもないけど、兄上の好みのど真ん中だ。
気になるのは、異性への距離の近さ。
初めて会った時から、なにかにつけて触られる。
まあ男女の好きというより、弟の面倒を見ているお姉さんみたいな感じではある。
何人か兄弟がいるという話だから、僕のことも弟みたいに思えるんだろう。
彼女がいたら、もしかして兄上の怒りの矛先を変えられるかも。
でも、間に合うのかな。
何か手があるのかな。
とりあえず、手紙を書く。サインも入れる。
ディラーラがうきうきしながらそれを手に取り、振り振り乾かしながら、
「ありがとうございました!」
と部屋を出て行くのを見送る。
うーん。
エシル将軍に秘密だという事は、そちら経由では手紙は届かない。
じゃあ、どうする。
王宮に直接届けても、間に合うかどうかは運任せだ。
間に合わせられる勝算があるとしたら。
そうだ。おそらくメルト大臣。
そこしかない。
思いついて、なるほどなぁ、と感心した。
メルト大臣はエシル将軍の、学問所入学以来の親友だ。
卒業してからも家族ぐるみで親交がある。本人も将軍家の出だし、軍事に関して直接助言するほど、兄上にも相当近い。
そして家族ぐるみで親交があるという事は、例えば厩番なんかも、それなりにむこうの使用人と顔見知りだということだ。
頼めば、すぐに大臣にまで手紙が届く。大臣に届けば、兄に渡るのはすぐだろう。
窓から見ていると、使用人の一人が、門を出て行くのが見えた。
運が良ければ、王都を出立する前に、王宮に手紙が届く。
後は、どうする。
エシル将軍の位を取り上げないと約束してくれるなら、王宮に戻ってもいい。
「どうせババァと二人なんだから、将軍位なんかくれてやる。」
なんてエシルは憎まれ口を叩いていたが、それで困るのは一人や二人ではないはずだ。
でも兄がどうしてもエシル将軍を処罰したいと言い出したら。
あるいは、やはり手紙が間に合わなかったら。
その時は、父ともいうべきエシル将軍を連れて、兄の手の届かぬ所へ行こう。
二人なら何とかなる。この数か月、そうだったように。
反乱の神輿に乗る選択肢は、捨てる。
エシルはどうかしらないが、そこまでの怒りや恨みは自分にはない。
これは賭けだ。
どっちに転ぶにしろ、ここに長居は出来ない。
そうしたら、あの変人で美人な娘とももう会うことはないだろう。




