第66話 標の君の物語
ディラは四人目の子供を産むときに大量出血し、手当てが間に合わなくて亡くなったそうだ。
亡くなる直前、サディナの手を取って「お母様ごめんなさい」と繰り返していたらしい。
そこは記憶にない。
たぶん、私がいなくなったんで元のディラが戻って来たんだろう。
標の君は、ディラの葬式に間に合わなかった。
とにかく暑い季節だったので、遺体をそんなに長く置いておけなかったのだ。
報せを聞いて、標の君が急いで戻ってきたのが、ディラの死から八日後のことだったという。
そんな話を、日当たりのいいリビングで、ココアを飲みながら聞いている。
ま、新年早々聞く話題でもないけど。
夜空ひかり先生の自宅。
本名、真鍋沙織さんが、弟の陸さんと暮らしているマンションの一室だ。
陸さんは、前世が標の君だったんだって。
あんまりにもはっきり記憶が残ってるので、今まですごく苦労したらしい。
基本、デイトレーダー兼プログラマーの下請けみたいな仕事で生活している。つまりまあまあ引きこもり。
年は二十六。
「どうして、鷲羽国物語の原案が私なんですか?」
まず最初に聞いたことだ。
そうしたら、陸さんはふ、ふと笑った。
「君ね、なんかいっぱい書き散らしてたでしょ。あれを読んだんだよ。」
「え。日本語でしたよね?」
「うん。読むの大変だった。」
ディラの葬式に間に合わなかった標の君は、結構何年も立ち直れなかったらしい。
ディラの遺品を見ては、ぐずぐず泣く毎日。
ある日リナが、「遺書があります」と私のつたない手蹟で書かれた紙を出してきた。もちろん一人目を産んだときに書いたやつだ。それを読んで、またしても大泣き。
でもそこで思い出したのが、前に王宮に侍女で上がった時、エシル将軍に用意してもらった羊皮紙の束だった。ほぼ文盲なのに、なぜ?ととても不思議だったらしい。
そのずっしり重い紙の束を、お嫁入りの時にも大公邸に持ってきたのを、標の君は知っていた。
探してみたら、何十枚にもわたって訳の分からない文字がびっしり書いてあって、驚いた。
分かるのは、所々、陽昇国の文字らしきものが混じっている事ぐらい。
ディラは文盲じゃなかった。
どうやら「中の人」は陽昇国にゆかりのある人物だったらしい。
ところが残念ながら、陽昇国の人間を捕まえて紙を読んでもらっても、ほとんど何のことか分からなかった。
漢字も、「似ているが微妙に違う」と言われて、途方に暮れたらしい。
陽昇国の周りには、同じように漢字を使う小国がいくつもある、とその時に知ったらしい。
ただ、読める部分もあった。
陽昇国からやってくる商人たちの中には、これはひらがなだと教えてくれる人もいたらしい。
そこから何年も何年もかけて、読み解いた。
「嘘でしょ。そんなこと無理でしょ。」
「暇だったんだよ。」
思い出した。この人、めちゃめちゃ賢かったんだ。
「あんなに忙しそうにしてたのに?」
「あー。どうだったかな。とにかく僕は、前世は割と長生きだったんだよ。ひ孫の顔も見たしね。」
もうほとんど、生き甲斐のようにして読み解いた。
その中に、鷲羽国物語のあらすじがあった。
びっくりしたらしい。
「僕や兄上が出て来るのに、なんだか途中からひどい内容だった。君が空想で書いたんだと思ったよ。『もし僕と君が出会わなければ』を想像してね。でも有り得る話だった。すごいな、と感心したよ。」
標の君、もとい陸さんは、パソコンで株価を確認してから、画面を閉じた。
「それを元に姉さんに話を書いてもらった。だから原案は君なんだよ。」
私は物語を読んで、あらすじをかいた。そのあらすじを読んで、物語は書かれた。
えーと。
ちょっと待って。どーなってるの。
じゃあ、大地の君がちょっと嫌なヤツなのも、エレーン姫が心優しい奥さんなのも、私がそう書いたからってこと?
なんか目が回りそう。
だけど、標の君すごい。よく読んだよね。
「あのー。四人目の子は、男の子?女の子?」
答えまでに、しばらくあった。
「女の子。アイカの名前を貰った。」
「死んじゃった?」
「いや。ただ、僕には育てきれないと思って、君の兄のアルクトに養女に出した。」
そっか。それもまた仕方ない事だ。
「ごめん。リナが頑張ってくれたんだけど。」
「リナと再婚しなかったの?」
「ああ。君以外と結婚するつもりはなかったから。」
あ、なんかキュンとする。
ダメダメ。
これは標の君とディラの話。
標の君は、ディラの中の人をずっと探したかったらしい。でも存在を疑ってもいた。
陽昇国あたりの小国の女性が、どうやってディラの中に入っていたんだろう。
なにか魔術のようなものでも使っていたんだろうか。
それに、探すと言ったって範囲が途方もない。
もう一度会いたいと願ってはいたけど、無理だろうとあきらめてもいた。
その願いが不意に再燃したのは、この時代に転生してからだった。




