第61話 歪みなし
元の生活に戻るのに、相当かかった。
そもそも「田中澪さん」と呼ばれて、返事が出来るようになるまで、一週間かかった。
どれだけどっぷり「鷲羽国物語」に浸ってたんだか。
幸い、しばらくして学校も冬休みに入ったからよかったけど、もう完全に自律神経失調症。
何見ても泣ける。
標の君と、あんな別れになるとは思わなかった。
あのまま幸せな奥様として生きていくんだと思ってた。
「無事にお帰り下さいね。お待ちしてますから。」
って言ったのが最後。
「心配しないで。君はお腹の子供の事を考えていなさい。」
標の君はそう言って、頬にキスしてくれた。
無事に戦争から帰って来たかしら。
子供たちは。赤ちゃんは。
男の子だったんだろうか。女の子だったんだろうか。
リナはちゃんと面倒見てくれているだろうか。
ミッテさんがいるから大丈夫だろうけど。
ディラはどうなったんだろう。
元のディラに戻ったんだろうか。
気が付いたら大公妃になってて、四人の子持ちになってたら、さぞびっくりするだろう。
ごめんね。
こんなことになるなら、もうちょっと自重するんだった。
ほぼ毎日シてたもんなぁ
標の君が留守の時や私が妊娠中の時以外は、ずっと。
標の君の肌が恋しい。いやいや、こんなことを考えてる時点でやばいって。
標の君はどうするだろう。
中身が変わっても、やっぱり大公妃としてディラを愛するんだろうか。
それは妬ける。
悲しい。
ふと思いついて、もしかして話が変わってるかも、と引っ越し荷物の中から「鷲羽国物語」の本を掘り出して読んでみたけど、何一つ変わってなかった。
やっぱり標の君は、破傷風様の怪我が元で、十代で死んでいた。
なんなの。
まさかの夢オチなの。
あんなに頑張ったのに。
言っとくけど、本当に大変だった。
寒いし。暑いし。臭いし。服は歩きづらいし、移動は大変。
そんなステキお姫様生活じゃあなかった。
夢だったら、もっとその大変な所らへんは、うるわしくぼかされているんじゃないの。
しかも現世ではカレシさえいたことないのに、子供産んじゃったよ。四人も。
出産も子育ても大変だったよ。
今産んでも、どんとこいって思えるぐらいだよ。
それで夢だったなんて、あんまり過ぎる。
私がずっとめそめそしているのを、友達も伯父さん達も、
「今頃おじいちゃん死んだのが悲しくなっちゃったみたい。」
と、そっとしておいてくれるのが、助かった。
いや、おじいちゃん死んだのも悲しいけどね。
でも私の体感的には、もう九年前の話だし。
もう一度あの世界に行こうと思って、鷲羽国物語を何度か読み返したけど、二度目はなかった。
悲しい。
読み返した鷲羽国物語の中では、大地の君はやっぱり嫌な奴だし、リナは軽いし、エレーン姫は薄幸の美姫って感じだった。
なんでよ。
本当の大地の君は朗らかなイケメンだし、リナの方がよっぽど薄幸の美姫だし、エレーン姫は魔女っぽかった。
でも本当って何。
結局、夢だったのだと思うと、そんなところで張り合っても仕方ない。
売れ残りのクリスマスケーキを買ってきて、ぽちぽち一人寂しく食べながら、スマホのネットニュースを見たりしている。
友達が合コンに誘ってくれたけど、そんな気になれない。
標の君に勝てる男がいると思えない。
美少年で照れ屋で、剣が強くてめっちゃ賢い。
そんな絵にかいたようなスパダリが、こんな日常に存在するわけがない。
なんなら私だって、ヨーロッパ系美人の範疇だったディラから、ごく普通の鼻ぺちゃ日本人に戻って、まあこれが現実だよね、と鏡を見て思う。
大公家のちょっと歪んだ鏡じゃない、ぴかっとまっすぐ、歪みなしの鏡に真実を突き付けられて、ちょっと凹む。
伯父さんに、年末年始、うちに来るかと誘われたけど、それも断った。
もう少し、一人で浸っていたい。
めそめそとスマホで「鷲羽国物語」をググってたら、通知が流れて来た。
あ、イベントのお知らせだ。
そんな大きなものではない。著者のサイン会をメインに、ちょっとしたトークショーとかがある。
今までも何回かあって、私も一度行ったことがある。
著者はアラサーの女の人で、夜空ひかりさん。話が面白くて、他の作品はエッセイとかがメイン。
ファンタジー小説はこの「鷲羽国物語」しかない。
イベントの場所は、近くのイ○ン。
まあ近くったって、電車とバスを乗り継ぐけど、行けなくはない。
行ってみようかな。
裏設定とか、どうしてこの話を書こうと思ったのか、聞けたら嬉しい。




