第54話 剣道だったら初段
どう考えてもいい案はでない。
大地の君やエシル将軍から、標の君の参戦を止めてもらおうと思ったけど、そもそも二人に会えない。
ネスリンのつわりはまだ絶好調にひどくて、大地の君に取りなしてもらおうとしても、本人がへろへろなのでとても頼めない。
エシル将軍の家に行っても、アイカおばあさまが歓待してくれるだけで、肝心の将軍は西の門の詰所にいる。やっぱり帰って来ないらしい。
アイカお祖母様は、最近めっきり年を取った。
膝を悪くして、ほぼ椅子に座ったきり。六十そこそこのはずなんだけど、こっちの人は、年を取るのが早い。
次に生まれる子が女の子だったら、「アイカ」の名前をもらうことになっている。
ちなみに、男の子だったらエシル。
お腹の子のために、アイカおばあ様は新しいベビー服をいくつも用意してくれている。お下がりがあるから心配ない、と言っても聞かない。
「新しくこの世にやって来た子のために、新しいものを用意しなくてはね。」
というのが理由。
上の三人のベビー服も大量にあるので、嬉しいけどちょっと置き場所に困る。
で、こちらも、取りなしは難しい。
そもそもエシル将軍が帰って来ない。
「お前の伯父様は、盲矢みたいなものだからねぇ。どこに飛んで行ったかも、何に刺さってるかも全然見当もつかないのよ。」
諦め顔のおばあ様。ひ孫に囲まれて、幸せそうなのはいいけど、そっちはそっちで心配の種は尽きない。
これで手は尽きた。
安定期とはいえ、馬車のがたがたは体にこたえる。
短期間で王宮と、エシル将軍家と出かけたら、ちょっとお腹が張る。あぶなっ。
もう出かけるのを控えなくちゃ。
だけど家の中にいて出来る事なんて、何にもない。
大体、標の君が、あんな死亡フラグ立てるみたいなことを言うのが悪い。
なんであんな事言うんだろう。
戦争が終わったら話がある?話があるんなら、今言えばいいのに。
何をそんな、隠し事みたいに。
ふと思う。
今、聞いちゃえばいいのでは?
そしたら、死亡フラグじゃなくなる。かも。
ふと脇を見たら、知らない男が馬車と並んで歩いている。
誰?
気付くと、護衛の人たちが、後ろの方で戦っている。
え、嘘。
ここの馬車は、屋根がない。
四人乗りで御者席が前についているけど、屋根は幌だ。防御力低め。
「伏せなさい。」
子供たちを座席の間に伏せさせる。ハールーンを連れてなくてよかった。
あー、私のバカ。
最近、大公邸の襲撃とかなかったから、すっかり安心していた。
出歩くなら、もっと用心するべきだった。
座席に隠してある剣を抜く。
練習はしてる。剣道だったら初段ぐらいはいける自信がある。
でもほんとに人を切ったことはない。
御者に声をかける。
「急いで。もっと早く。」
エシル邸から大公邸まで、そんなに遠くない。遠くないけど、屋敷街だから、人通りもあまりないし逃げ込めるところもない。
「おやおや、勇ましい事ですな。」
私の剣を見て、男がからかった。
「急がなくてもいいですよ。」
「何の用?」
声が震える。お腹にぎゅっと力を入れる。あ、だめだ。張っちゃう。
「大公妃殿下とお見受けいたします。」
「だから何の用?」
大公邸まで、半分は来てる。あとどれぐらい?
前に歩いた時は、エシル邸まで四半刻かからなかった。距離にして二キロ足らず。あと一キロってとこか。
もうちょっとで門が見える。
だけど、子供たちの足では、この男から逃げられない。私も走れない。
「馬車を止めろ。」
剣を突き付けられて、御者は速度を絞った。止めるなと言いたいけど、死なれても困る。
「話があるなら言いなさい。」
「では申しましょう。砂嶺国のエレーン姫を覚えておいでか。」
「名前ぐらいは。」
忘れもしない、あの荒れ地の〇女。だけど、直接会ったことはない、ということになっている。自分の国に戻って、体形も戻ったかもしれない。
「我が砂嶺国の華たるエレーン姫のご希望で、あなたを砂嶺国へお連れする。」
え。ごめん、今なんか、話が頭に入ってこなかった。
あれ、砂嶺国の華なんですか。
ていうか、そっち?
てっきり国王派の手先か、羊蹄国のスパイかと思った。
「エレーン姫が私にどのような用がおありなのかしら。」
男をにらみつける。
誰か気付いて。
両脇は他の貴族の屋敷の壁だ。でもこちらに門を構える屋敷も、その先にある。
もう少し先に行けば、大公邸の門が見える。
「我らのような者には、尊いお方の考えは分からん。おとなしくついてきていただく。」
「まさか子供たちまで一緒って事はないでしょう。」
男は一瞬、座席の間にうずくまる子供たちを見た。
その次の瞬間。
黒い布がふわっとはためいたかと思うと、男は地面に伸されていた。
え。
「早く大公邸へ。」
標の君の声だった。
我に返った御者が、馬の手綱を鳴らした。
立っていたので、よろめきながら、座席に膝をつく。
「殿下!」
ああ。
私の旦那様は、本当に強い。
あんなに屈強そうだった男が、今は血だまりの中で身動きさえしない。
もっとも、その向こうで何人かと戦っているエシル将軍は、手加減しつつ生け捕りを狙っているから、さらに強いんだろう。
「もう大丈夫よ。」
子供たちを起こして、抱きしめる。
泣きそう。
無事でよかった。無事でよかった。ほんとに無事でよかった。




