第53話 愛してる
何とかしたいけど、もう私が知っている範囲の出来事を超えている。
標の君と出会ってから八年。
本当ならもう、標の君はとっくに亡くなっているし、エレーン姫が大公妃に収まっている。
どうだろう。
もしあのままエレーン姫が鷲羽国に残っていたら、砂嶺国は援軍を出してくれていたんだろうか。
だけど蝗害は起こっているんだから、国力が落ちていることは確かだし、援軍もそんなに大したことはないはず。
話の中では、大地の君は十二将軍を掌握しきれず、それでも羊蹄国との戦いで「勝ちもせず負けもせず」の状態だった。
今、大地の君はファルク将軍の後ろ盾を得て、十二将軍たちをきちんと掌握できている。国王暗殺の噂もない。
十歳も年下のネスリンを嫁にしたので、もうちょっとでロリコンの噂が立つところだったけど(つまり『シーリーン姫が年を取ったので婚約解消した』疑惑があった)、六年たっても王妃を大事にしている事が伝わって、それも消えた。
きっと普通に勝てる。
標の君が策を講じなくても、勝てるはずなのに。
「母上~!お帽子の紐が切れたー」
もー。そんな、下駄の鼻緒が切れたみたいなこと、今言わないで。
エルデムが持ってきた帽子の紐を、ぎゅーっと括る。
「はい。これでいい?」
「いいよー!」
誕生日が来て、四歳になった長男。天使みたいにかわいい。
標の君によく似たちょっと癖のある黒髪。
グレーの瞳。
七歳になったら、王立学問所に入れないといけないなんて、悲しすぎる。
「私も、次のお誕生日には仔馬が欲しい!」
そう叫ぶのはタニア。こっちも可愛い。髪を伸ばしてツインテールにしたら、癖っ毛がくるくる巻いて、〇ーラームーンみたい。
「エルデムの仔馬に乗せてもらったらいいじゃないの。」
「だってー。乗ってたらすぐ返してって言ってくるんだもん。」
んー。
エルデムは、後々エシル将軍家の養子になることが決まっている。
十五で王立学問所を卒業するまでに、やっておく事がいっぱいある。
乗馬はもちろん、剣、弓、槍。礼儀作法。他の貴族との接し方。
学問所で教えてくれる読み書き、計算、鷲羽国の歴史なども、当然修めないといけない。
一方タニアは、家庭教師について読み書きを習うぐらい。後は、裁縫とか。
この学習量の差は、何なの。
私が教えようとしても
「女の子が賢くても、あまり周りに喜ばれませんよ?」
とか言われてムカツク。
でも事実なので、折り合いが難しい。
タニア自身は、勉強熱心で知識欲があるから、時間がある時にいくらでも教えるんだけど、それが彼女の幸せになるかは分からない。
馬に乗ることもそうだ。
私は、無理を言って教えてもらっているから乗れるけど、周りから「相当変人」の称号を頂いている。
「おとこおんな」とか「実はついてんじゃねぇの?」とか陰で言われている事も知ってる。
標の君が面白がってくれているからいいけど、正直メンタルはちょっと削られる。今まで乗馬が役に立ったこともないし。
それよりは普通の姫君の方がいいんじゃないかなぁ。悩む。
「次に、お父様殿下が帰っていらしたら、聞いてみましょうね。」
標の君は、ほとんど帰って来なくなった。正確には、帰ってきているんだけど、顔を合わせなくなった。
まあそもそも忙しい人で、領地と王都を行ったり来たりする生活だったけど、それでも王都にいる時は、晩餐ぐらいは一緒に食べることが出来た。
それが今は、全然。
帰ってきても、夜明け前。そして昼前まで寝て、また出て行く。たまに起きている時に帰って来ても、書斎に籠もりっきり。
そりゃ、何か色々手を打つ事があるんだろうけど、ちょっと寂しい。
タニアの誕生日も、服やビーズなんかいっぱい贈り物を用意してくれたけど、本人はちょっと顔を見せただけだった。
辛いな。
思えば結婚してから七年。てかもうすぐ八年。
会えない日もあるけど、会える時は必ず「愛してるよ」と耳たぶをピンクにしながら言ってくれていた。
照れ屋さんだから、言葉にしない時もあるけど、全身で私の事を好きだと言ってくれていた。
甘えてたのかな。
今は、顔を合わせても「ごめんね」という言葉しかかけてもらえない。
なんか辛い。
改めて自覚する。
私、標の君の事、すごくすごく、すごーく好きなんだな。
愛してる。
あ、涙出そう。ほんとに涙腺ゆるい。
いいか。泣いちゃえ。
今、ベッドには私一人。標の君は今日も帰って来ないだろうし。




