第51話 養命酒
そもそも羊蹄国とは、十年ほど前に、一度戦争をしている。
鷲羽国との間に、天羽山という大きな山地があり、ここが鉱物資源の宝庫なのだ。
ただし、鉱脈は天羽山地のうち、鷲羽国の方に偏っている。
北の方では金が取れ、南の方では鉄が取れる。
羊蹄国としてはすぐそばにあるように感じられるお宝だ。何としても欲しい、という訳だった。
ただ簡単にはいかない。
間にいくつもの谷や、山賊の村を抱える天羽山地を越えて来るのは、正直リスクが高い。
前の時は、山地を南へ大回りして大軍を寄せてきた。
が、この時は砂嶺国の領地に踏み込んだため、砂嶺国と鷲羽国の二正面攻撃に遭い、退散している。
今回、砂嶺国は軍を出せるほどの国力がない。
砂嶺国を侵略しないとの言質をとったら、傍観するだろう。
と、標の君が説明してくれた。
セレイが来ていて、羊蹄国から砂嶺国に密使が行った、おそらく密約は結ばれたに違いない、と報告していた。
「エレーン姫がいたら、密約を阻止できたのにな。」
セレイは立ったまま、朝食のスープをかきこんだ。ちょっと行儀悪い。
「おかわり。」
給仕が急いで器を取りに来て、そこにスープをよそった。これで三杯目。この細い体のどこに入るんだろう。
「いても、まあ時間稼ぎぐらいにしかならないよ。」
標の君は、全然気にしない。
「危ないのですか?」
「大丈夫だよ。策はある。ただ、陛下がうんというかなぁ。」
小首をかしげて、考える風。
でも分かってる。
わざわざ私がいる前で、こんな話をするってことは、私に何か手伝ってほしいことがあるんだよね。
「ネスリンに頼んで、その策とやらを吹き込むんですね?」
「君は察しがよくて助かるなぁ。」
ふ、ふ、と標の君は笑った。
「そう言う所も大好きだよ。お願いできる?」
妊娠も五か月目、安定期に入ったので、同じく妊娠中の王妃様をお慰めするべく王宮を尋ねる。
「気持ち悪いのよ~。」
妊娠の知らせが来たのはつい五日ほど前だった。
全身から幸せオーラがあふれだしている大地の君が、うちへお忍びでやってきて、
「俺も父親だぞ!」
と叫んだのだった。
「ダメですって。隠せるうちは隠さないと。」
慌ててそう言うと
「分かっている。せめてここで言うぐらいよいであろう。」
はっはっはと笑って、
「王妃が色々不安に思っているらしいからな。義妹として相談に乗ってやってくれ。」
ということで、渡りに船。
とりあえず様子を見にやってきたら、つわりで沈没しているネスリンがいた。
聞けば、もうずいぶん前から吐き気はあったらしい。
ただ、変な胃腸風邪だろう、そのうち治る、と我慢していたらしいのだ。
なんとまあ。
ポジティブ思考も変な方向へ行くの困るなぁ。
誰にも言えなかったのか。可哀そうに。
いよいよ我慢できなくて吐いていたら、侍女に見つかって、侍医が呼ばれて、「これはご懐妊ですな。」
ということになったらしい。
なので、大体妊娠四か月目。私とあんまり変わらない。
そういえば数か月前、陽昇国からの朝貢品の中に、特に奥様方におすすめの薬酒がある、と言われて、標の君が持って帰ってきたことがある。
漢字で「養命酒」みたいな事を書かれていたので、つい二人で飲んじゃったけど、あの後、大変だった。
まだ何本かあったのかな。
「もしかして、陽昇国からのお酒、飲んだ?」
ネスリンはこっくりとうなずく。
やっぱりね。たぶんあれのせい。
うう。他にもあのお酒を飲んだ人がいるかもしれないと思うと、なんか恥ずかしい。
とりあえず、つわりはそのうち落ち着くこと、どんなものでもいいから、食べられるものを探して食べること、私の場合は五か月目ぐらいで収まったことを話した。
こんな状態で、ネスリンにお願い事するの、気が引けるなぁ。
でも戦争だし。次いつ来られるか分からないし。標の君のお願いだから。
「あのー、王后陛下にちょっとお願いがあるんですが・・。」
案の定、ネスリンにはゲロゲロ、みたいな顔をされた。
「それ、私が陛下に言うの?絶対変に思われるって。」
「まあねぇ。だけど、直接言うの難しいのよね。そもそもこちらから会うのだって大変だし。秘密の話はできないし。」
謁見の順番を取るとか。あと、周りに大臣とか副大臣たちが常に数人いるし。
「分かった。忘れてなければ。」
「なるべく早くね。」
ネスリンは、忘れないうちに、さっさと大地の君に話したらしかった。
その証拠に、翌々日の深夜、またお忍びで大公邸までやってきたのだ。
「王妃にいらん手間をかけさせるな。」
ネスリンが、自分で思いついたように、羊蹄国との戦争の策を漏らしたら、大地の君は、すぐに標の君の策だと分かったらしい。
「俺を呼べばいいだろう。」
「すみません。他の誰にも聞かれたくなかったので。」
謝る標の君。
大地の君も、事情は大体分かっているので、それ以上は言わない。
「で、その策は成功するのか。」
「やってみなくては。別動隊として僕が出ます。」
標の君が、さらりと言った。




