第49話 鼻からスイカ
中世の医術は、私が思っていたよりも原始的だった。
茶色っぽい緑っぽい微妙な色の軟膏を塗るのが主流で、アルコール消毒も一般的ではない。
縫ったりもしない。
止血のためにぎゅーっと傷口を縛っておくだけ。
それで血が止まらなかったら、死ぬしかない。
心配になったのは、標の君の事だけじゃない。
出産する時に何かあった場合、帝王切開とかできないってこと。
私、子供を産むときに死ぬんじゃないかしら。
産婆さんは、
「貴族の奥方でこんな元気な妊婦、見たことがない。絶対大丈夫。」
と請け合ってくれているけど。
うろ覚えの妊婦の知識をかき集めて、魚の干物を取り寄せて食べたり、毎日散歩して体を動かしたりしているけど、心配の種は尽きない。
絶対大丈夫という言葉さえ、死亡フラグに見えて来る。
リナを呼んで、お願いする。
「もし私が死んだら、標の君の事はお願いね。」
「まあ、そんな縁起でもないことを。」
「もしも、もしもよ。」
どかっとお腹を中から蹴られて、一瞬息が詰まる。
手加減してちょうだい。ほんと。
重いのよ、君。もう寝る時も、上を向いては寝られないぐらい。
「この子の事は、エシル将軍が後継ぎにしてくれるっていうから、心配ないわ。だけど標の君は心配なの。意外にもろいところがおありだから。お願いね。」
エシル将軍は独身だ。結局、標の君の母君以外の女性を好きになれず、妾でもなんでも、という言葉にもうんと言わなかった。
このままではエシル将軍家が断絶してしまうので、いずれ養子をとる必要がある。どのみちサディナの子供のうち誰かが養子に入っただろうけど、私が養女になったので、その子がエシル将軍家を継ぐのはあり、ということだった。
リナはなだめるように、私の肩をさすった。
「大丈夫ですよ。産婆さんが言われることは、全部守ってらっしゃるじゃありませんか。」
「だから、もしも、もしもよ。」
だって、本当はあなたが標の君の運命の女性なんだから。
私がもし死んだら、二人で幸せになって欲しい。
「まあ、妃殿下。畏れ多い事ですわ。」
「ダメなの?」
「そういう訳ではありませんが・・・。分かりました、それで妃殿下のお気が静まるのでしたら。」
リナはにっこり笑った。
「ともかく、まずは元気なお子様をご出産あそばされることですわ。」
「・・・という話をリナから聞いたのだけど?」
標の君は、数日後、不機嫌そうな顔で朝食の席に座っていた。
「確かに言いました。」
不機嫌そうでも美青年。
でも、不機嫌なのはイヤ。
「冗談でも、君が死ぬなんて話はして欲しくないな。」
「だって、昔から出産は命がけって言いますでしょ?私、もしものことがあっても、後悔したくないんです。」
はあ、と標の君はため息をついた。
「君は本当に・・・。そうならないように、万全を期す。もしもなんて起きて欲しくない。」
「そうですか?心の準備は必要です。私は、この子が無事なら、後の事は。」
「子供がいっぱい欲しいって言ってたでしょ。一人目でそんな弱気じゃダメだよ。」
あ。そうだった。
ちょっと前まで、お腹が苦しくてあんまり食べられなかったけど、最近食が進む。
でも腹八分目を心がけて、太り過ぎに気をつけないといけない。
赤ちゃんが大きくなりすぎると、出産の時にあそこが裂けるとか、恐い話も聞かされた。
ひー。
もう早く産みたい。
死ぬんだったら、サクッと苦しまずに逝っちゃいたい。
身の回りも片付けちゃおう。
そう言えば、前にエシル将軍に買ってもらった百枚の紙がまだ大分残っていたので、遺書も書いちゃう。
こっちの言葉は、ちょっとなら書けるようになった。
「みんなだいすきでした」とか書いてみる。
ありがとう。しあわせでした。
「標の君」は、綴りが難しい。
死亡フラグを自分で立てている気がするけど、もういいや。
来るなら来い。
と思っていたら、ホントに来た。
そろそろ晩御飯だなー、日が長くなってまだ昼間だよ、なんて窓の外を眺めていたら、突然クキッと腰痛。
あ、いて。最近ずっと腰痛。
続いて、お腹がぎゅっと絞れた。
いてて。
え、何?
懐かしの生理痛みたい。
最初の一撃はほぼ一瞬だったので、気のせいかと思っていたら、食卓についたころ、二撃目が来た。
痛ーーい!
あ、こりゃダメだ。
これって陣痛かも。
死ぬかも。
「妃殿下?大丈夫ですか?誰か、お産婆さんを!」
バタバタと周りが騒がしくなるのを、どこが遠くの出来事のように聞きながら、出産って鼻からスイカ出すほど痛いって言うけど、ホントかな、せめて小玉スイカだったらいいな、とかくだらない事を考えていた。




