第37話 質草
これって歴史の必然なのかな。
それとも原作の強制力なのかも。
私がよほど青い顔をしていたのだろう、標の君は私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「大丈夫。そんな顔しないで。砂嶺国に返すのは無理でも、僕の側室にしたりはしないから。」
結局、次にエレーン姫に会う時に、男装して侍従に紛れて一緒に連れて行ってもらった。押し切られそうになったら、絶対止める。
迎賓館の応接室で待っていると、まず前と違って、ドアが開いて入ってきたのは輿ではなかった。
おお、痩せたね。
前はホント、荒地の◯女って感じだったけど、今はせいぜいジャイ◯ンって感じ。
体感で、150キロ→90キロてとこ。
元がそこそこ良い素材なので、肉感的な美女と言えなくもない。
標の君はにこやかに挨拶を述べ、それから本題に入った。
「あなたがお買い上げになった、お洋服のお代金を頂けなくて、困っている者がおります。」
「あら。そうなの。」
「善良な鷲羽国の民を困らせるのはおやめください。商品はお返し下さい。」
「え〜。」
頑張って痩せたんだろうな。
袖から、二の腕の余った皮がたるたるしているのが見える。
「宝石なども、お返し下さい。」
「えー。ヤダあ。どうしてそんなこと言われないといけないの?」
綺麗に塗られた爪の先を眺めながら、エレーン姫は応えた。
見ていてちょっとイラッとする。
「対価を払えなければ、あなたの物ではありません。」
「鷲羽国が払って下さるでしょう?」
「いいえ。国を通して買った物ではありませんから。」
「でも私は姫ですもの。地位にふさわしい品々を用意してくださるのが当然ですわ。」
イラッ。
確かに。今着ている服も指輪も手のかかった高級品だ。
「国は、あなたに十分な歳費を計上していますよ。」
「え〜。十分とは思えませんわ。欲しいって言っても、買って下さらないじゃないの。姫でなくては、人質の価値も下がるでしょう?」
あーイライラする。
このねっちょりした言い方も、この上目遣いも。
エレーン姫は薄笑いを浮かべたまま、無言で自分の爪を眺めている。
標の君が、大きくため息をついた。
「ご自分の立場を鑑みた方がよろしいかと。鷲羽国にとっては、あなたが姫かどうかは関係ない。砂嶺国があなたを姫として認めるかどうかが重要なのです。」
エレーン姫はびっくりして、口をぽかんと開けた。そして
「私は砂嶺国の姫ですわ。当たり前でしょ。」
「そう。でも往々にして質草は、質屋にとっては大した価値がない。その質草にどれぐらいの値がつくかしか、興味がないものです。」
きつっ。
さらりと言われて、その場にいた誰もが、何の話か分からなかっただろう。
しかし聡明なエレーン姫は、絶句した後徐々に青ざめた。
お前はただの質草で、鷲羽国の盾になるだけの価値しかない、と言われたのだ。
「よくもそんな事を。」
エレーン姫の声が震えている。
標の君は、最初と同じように、物腰柔らかく言った。
「質草は、持ち主が買い戻すこともあります。」
つまり、賠償金を払ってあなたは砂嶺国へ帰る道もあります、ということ。
エレーン姫はめそめそ泣き始めた。
「砂嶺国は今、餓死者が出ているのです。」
「いえ。春の種まきに、こちらから少し融通しましたから。うまくいけば、秋には少しましになるでしょう。」
「帰れと言うのですか。」
「どちらでもよいですよ。ただこちらに残るのでしたら、お持ちの借金を清算していただきたい。」
「服にしろ、首飾りにしろ、私が作れと言ったわけではないわ。勝手にやってきて、勝手に作って、勝手に置いていったんじゃないの。鷲羽国の皆さんからの贈り物でしょ?」
ああ。なんというか。
確かに、この国の商売の慣習というのは、いわゆる飛び込み営業みたいなものに近い。
「〇〇さんに紹介されましたー。」
と言って、屋敷にやってくる。
「間に合ってます。」と断ってもいい。
あと、うっかり口車に乗っても、クーリングオフできる。
その辺は、元の世界と同じだ。
問題は、紹介で業者がやってくる場合、その前段階として必ず
「いい〇〇屋さんはいないかしら?」
という前振りがあってから来るのであって、門前払いは通常、ない。
あと、貴族の奥様方は大抵暇なので、目の前に色々お店を広げられると、買わずにはいられない。吝嗇と言われるのも避けたい。
という、中世独特のシステムだ。
宮殿の奥から出たこともない、という箱入りには、難しかったかもしれない。
「贈り物ではありません。あなたが個人でお買い上げになった物です。そして対価が支払われていないことで、皆困っています。どうしますか?」
標の君の、柔らかいが逃げようのない物言いに、エレーン姫はうなだれた。
「・・・全部、お返ししますわ。それでよろしいかしら?」




