第20話 腹筋がやばい
あの強いお酒を、小さめの壷に入れて標の君に持たせた。
「怪我したら、これで消毒ですよ!」
と散々言い聞かせた。
「ていうか、怪我しないでくださいね?」
「ディラは心配性だなぁ。大丈夫だよ。」
標の君の美しい笑顔に、またしてもきゅんとなる。
あああ。本当に気を付けて。
これで原作通りに怪我して帰ってきたら、これまで私がやってきたことが全部無駄になるわ。
私の祈りの全部を込めて、標の君を見送った、翌朝。
世話を焼く人がいなくなったので、急に暇になった。
もう面倒なので、厨房の外階段に座って朝ごはんを食べていると、ざぶざぶと水を使う音が聞こえてきた。
なんでしょう、と立ち上がって階段の上を見る。
階段を上がってちょっと先の所に井戸がある。
そこで誰かが水を汲んで頭からかぶっていた。
おおぅ。
もう結構朝は寒いぐらいなのに、水浴びですか。
上半身裸。
いい感じの腹筋がついている。シックスパック。
うん。標の君も、あれぐらいの筋肉がついているといいんだけど。
標の君は、元々線が細い体つきだからか、食生活を改善して少々肉がついても、まだ腹筋が割れるところまではいかない。
「何だ。用か?」
振り向いた顔は、大地の君だった。
ひょお~。びっくり。いい腹筋。
「殿下は、いつもここで水浴びを?」
聞いてみる。
「いや。今日、厩の方にある井戸が、釣瓶の縄が切れたらしいのでな。」
体を拭きながら、近付いてくる。
どうしよう。
慌てて、朝食のトレーをおいて、階段を駆け上がる。
「失礼しました。」
「なんだ、食事中か。こっちこそ済まなかったな。食事を続けてくれ。」
いや、そんなこと言われても。
井戸を挟んだ向こう側に、大地の君の侍従がいて、着替えを持って待っている。
「標がいなくては、お前も暇だろう。」
「えーと。まあ、でもすることは沢山ありますので。」
「へぇ。例えば?」
大地の君が合図したので、侍従が近づいてくる。そちらに濡れた服や布を放って、差し出された乾いた服を上からかぶる。
「馬の毛をむしるとか。」
「むしる?!」
そう。
せっかく筆記用具が揃ったので、色々メモを取ろうと思ったら、めっちゃ難しかったのよ。
大きな羽ペンを見た時は、そりゃテンション上がったし。
〇リーポッターとか思い出したりしちゃったよ。
だけど。
書き心地はサイアク。
つまようじの先にインクつけて書いてるようなものなので、一度に一文字か二文字ぐらいしか書けない。
持ち心地も悪い。芯は細いし、羽根が重くて、バランスが悪い。
なるほど、令和の時代に羽根ペンが使われていないのも、当たり前。
平安時代の筆は今でも残っているのになぁ。
そこでピンときた。
筆なら、作れるかも?
馬とか豚の毛で。なんなら、自分の髪でもなんとかなりそう。
で、最初はディラの髪をちょっと切って、小枝の先に括りつけてみたんだけど。髪が細すぎて抜ける。うーん。
というわけで、馬。
馬なら、厩にいくらでもいる。
ちょっとくらい毛をむしっても、大丈夫だろう。
でその事を話したら、大地の君は目を丸くした後、ハッハッハと笑い出した。
「お前は面白いな!絵を描く道具で字を書くのか。考えた事もなかったわ。」
あ。そうか。画材としての筆はあるんだ。でも、ここは自分で作ってみたい。
大地の君は、長ズボンの方もさっさと脱いで着替えた。まあチュニック長いからいいけどね。見えそうでちょっとドキドキ。
今から朝議があるからと王宮の方へ去って行ったが、しばらく後ろ姿を見送ってしまった。
実際の人となりを見るまでは、大地の君は嫌いだった。
話の中で、実際大地の君は嫌われ役だった。
主人公の標の君を罵って、戦地送りにするし。死ぬ間際、会いたいと言った標の君を、ギリギリまで無視し続けるし。
もちろんそれは、致命的なけがを間接的に負わせてしまった後悔からだが、それにしたって、最期の願いぐらいサクッと聞いてやればいいのに、と思う。
でも実際の大地の君は、朗らかなイケメンで、標の君大好きないいお兄さんだった。
それに、あの素敵な腹筋。
あんまりムキムキしていなくて、かつピシッとした感じ。触りたい。
そう言えば、毎日剣の鍛錬をしているんだった。
国王軍では毎年、技術向上のために武術大会があるんだけど、一昨年までは、エシル将軍が剣で三回連続で優勝していた。大地の君は、八位、三位と成績を伸ばし、とうとう去年優勝したのだ。
出場者が国王軍の所属者に限るので、ある程度レベルは限られるかもしれない。
それでも大したものだよね。
ちゃんと努力の人なのだ。惚れそう。いや、あの腹筋がやばい。




