第2話 標(しるべ)の君
サディナにうながされて、二階の東の部屋へ行くと、さっきの美少年が、窓から外を眺めながらぼうっと立っていた。
ああ、絵になる。
「あのー、標の君?」
声をかけると、美少年は飛び上がった。
「な、なに?」
「何かお手伝いしましょうか?」
荷物は足元に、まだ何も開けられない状態で置いてある。
それを見た標の君は、かすかにかぶりを振った。
「ああ、いいんだよ。どうせそんなには長居できないから。」
うん。思っていたよりも・・・暗い。
どんより美少年。
愁いを帯びている、て言えば格好いいけど、直接話すとなると、また別の話だ。
なるほど、こりゃいじめられっ子だ。
どうしよう。
「お疲れではありませんか? もうすぐ食事の用意ができますが、こちらでお召し上がりになりますか?」
優しく声をかける。
いじめられた経験は、私にもある。
小学生の頃、授業参観におばあちゃんが来るのが、実はちょっと嫌だった。
後で絶対クラスの男子に、そのことをからかわれるからだ。
じゃあどうしたらいいか。
味方を作ることだ。
味方が絶対多数になれば、いじめる側は自然に消滅する。
エシル将軍も、そう考えて標の君を連れまわしていたはずだ。
「ありがとう。あまり食欲はないんだ。君の伯父上と相談して、後で知らせるね。」
しかしいちいち暗い。
めっちゃ美少年なのになー、もったいない。
思わず手を伸ばして、標の君のほっぺたをつまんだ。
「笑顔!」
「ぅえ?」
「笑顔になると、免疫力が上がります!嘘でも笑顔!笑顔を作りましょう!」
「めん・・・えき?」
あ、ごめん。
免疫って考え、ここにはないんだっけ。
「病気に勝つ力です。あなたすぐ寝込むんだから、もうちょっと元気になりましょう!」
どうせ夢だし、まあいいや。
それに小説の中では、エシル将軍の家でどんな事があったか、詳しくは書かれていなかったように思う。
何したって大丈夫。
「誰も、あなたがセリン殿下を毒殺したなんて、本気で思っちゃいません。セリン殿下は、流感で亡くなったんです。でもあなたがそうやって、叩かれるとすぐ凹むから、面白がって凹ませに来てるだけです。あと、涙も我慢しちゃいけません。泣きたいときは、思い切り泣く!それ以外は笑う!いいですね?」
あ、説教しちゃった。
でも涙と一緒にストレスホルモンが排出されるから、大泣きするのも体に良いって聞いた。泣けばすっきりってやつ。
標の君は、ぽかんとした顔でこちらを見ていたが、やがて花が咲くようにゆっくり笑顔になった。
「ありがとう。そうするよ。」
あ、美少年の笑顔。
反則。惚れるかも。
ま、私、中身は五歳ぐらい年上のお姉さんだからね。
まだ高校生の君は、推しではあるけど、恋愛対象外だよ。
「それにしても、僕の事よく知ってるね。エシルに聞いた?」
標の君に突っ込まれて、うっと言葉に詰まる。
将軍経由ではありません。こちとら小説を、場所によっては暗唱できるぐらい読み込んでますから。
とは言えない。
「あの、はっはっ母から聞きましたので。」
なんとか絞り出すと、標の君はうなずいた。
「君の母上は、僕の母と幼馴染なんだってね。いいな。」
九歳まで田舎で育った後、無理やり学問所の寮に入れられた標の君は、残念ながら身の回りに幼馴染がいない。
「おーい。メシ出来たってさ。」
ドアのノックとともに声をかけられた。
振り向くと、エシル将軍が立っていた。
「お、なんか盛り上がってるか?ディラも一緒に晩飯食おう。風呂は?どうした?」
あ、そう言えば、お湯がどうしたとかサディナが言ってたっけ。
「あ、お湯の準備ができてるみたいです。伯父様にお知らせしなくちゃと思ってたんですが。」
エシル将軍は、とにかくデカい。入り口のドアにつっかえている。
気を付けないと、出入りのたびに鴨居?のところでおでこをぶつけるだろう。
「ああ、じゃあ先に汚れを落としてくる。エミールはどうする?」
身バレしないように、エシル将軍は標の君をエミールと偽名で呼ぶ。
話し方も気安い。
エシル将軍はまだ独身だし、ずっと一緒にいるので、もう本当にお父さんみたいなのだ。
二人が部屋を出て行ったので、やれやれと私も、自分の部屋と言われた場所へ行った。
ベッドと、脱ぎ散らかされた服。
自宅から持ってきたと思しき行李が半開きになっていて、そこからいろんなものがはみ出している。
うーん、どうもこの子は、家事全般不得意らしい。
数日ここに住む、とさっきお母さんに言われてたのに、自分の持ち物を片付けられないのかい。
でもまあ、私が片付ける義理はない。
あー疲れた。
変な夢だった。
意外にごってりと重いワンピーススカートのまま、ベッドにごろりと横になる。
寝よう。
引っ越しにはあと二日あるし、目が覚めてから本を片付けても間に合うはずだ。
それにしても、標の君、思ってたより美少年だったな。