第17話 打ち出の小槌かも
この機会を逃さぬべし。
「あと、ペンとインク。」
紙がないので、ペンとインクもない。
「男物の服と。」
エシル将軍は再度のけぞった。
「なんだ、剣の練習でも始めるのか。」
「ちょっと、運動がてら。あと、お酒。すごーく強いの。」
「はぁ?」
お前が飲むのか?という表情に、あいまいにへらへら笑ってやり過ごす。
この先どうなるか分からないけど、いろいろ用心しておくのに越したことはない。
破傷風って、名前を聞いたことしかないけど、なんかバイキンが傷口に入って、ひどいことになるんだろうと察しがつく。戦場に出なくったって、いつどこで破傷風になるか分からない。
対処法は、傷口を殺菌すること。
強めのアルコールで流せば、かなり効果があると思う。常備しておいて損はない。
「あとはねー。髪留め。括れるやつで飾りの少ないの。それとー」
「分かった!分かったから。そんなに一度に言われても、憶えられん。また来るから、その時にな。」
エシル将軍は、降参、というふうに手を挙げた。
標の君は、楽しそうに笑っている。
「エシル。貴公の姪は、おもしろいな。」
「それは重畳。俺も、我が姪ながらこんな娘とは知りませんでしたがね。」
はいはい。
私もディラがどんな娘か知らなかったよ。名前も出てこないモブだったからね。
とにかくこの先だ。
原作では、砂嶺国との戦争で負傷した標の君は、王家の別荘でリナと出会い、恋に落ちる。
しかしリナには婚約者がいるし、自分は砂嶺国の王女との結婚を勧められて、泣く泣くリナを諦めて王女と結婚する。
一方で大地の君は、自分の短慮で標の君を戦争に送ってしまったことを激しく後悔し、標の君を避けるようになってしまう。
標の君を南に送った時点で、エシル将軍は国王軍をクビになっているし、何人かの将軍たちは後日謀反の疑いで左遷されるし、戦いには勝つものの、鷲羽国はゆっくり衰退していく。
そう言えば。
エシル将軍がまだ将軍でいられるのは、私のおかげだぞ。
感謝するがよい。
今のところ、まだ砂嶺国との戦争は起こっていない。
どのタイミングだったっけな。
「セレイからの伝言だ。予想通り、河蘆国と砂嶺国の間で蝗害が発生した。」
エシル将軍の言葉に、標の君の瞳がきらっとした。
「そろそろだと思ったんだ。」
「陛下に進言するか?」
「いや。どのみち僕の言葉は聞いて下さらない。テュルン将軍に伝言を。砂嶺国は数日のうちに兵をこちらに向ける。おそらく兵力は二万前後。」
「そんなに来るか。」
「死ぬか、小麦を奪い取るか、しかないんだからな。」
「他には。」
「薪で櫓を組む。国境に沿って、二百は作る。それから近隣の村に伝達を。倉庫の隙間は必ず埋めておくように。バッタに食われる。」
次々に指示をだす標の君。
かっっこいい~。惚れ惚れする。
そうなんだよ。普段、物静かでおっとりと構えている標の君なのに、いざ事が起こると、それまで誰にも見えていなかった戦略を次々に示して、自軍を有利に導いていく。
カッコイイ。
なのに、その功績は認められない。
エシル将軍か、テュルン将軍の入れ知恵だろうという訳だ。
腹立つわー。
でもまあ、こうして標の君の生き生きと指示を出す姿を間近で見られて、すごく嬉しい。
この普段とのギャップが萌える。たまらん。
エシル将軍は、いくつかの指示を聞いて、帰って行った。
うん。あの調子じゃ、私が頼んだ物をいくつ覚えているか、心配だな。
さすがに打ち出の小槌とまではいかなかったようだ。
「戦争になるんですか?」
何も知らないふりで聞いてみる。
標の君は、にこにこしながら私の手を取る。
「大丈夫。そうならないように、手を考えている。それに王都まで敵が来ることはないからね。心配しなくていいよ。」
いや、心配しているのはそこじゃなくて。
もしかして万が一、標の君が出征となったらどうしよう。
せっかく我慢して王宮に戻ったのに、水の泡だ。
もちろん、大地の君のブチ切れは回避した。だけど標の君が怪我をしたら、元の筋書きに戻ってしまう。
まあ、今考えても仕方がない。
今朝、標の君の部屋で発見したチェスを、もう一度並べ直す。
「続き、しましょうか。」
ちなみに、私、将棋はまあまあ得意です。
じいちゃんに鍛えられたので、高校の将棋部の部員で私に勝った人はいない。
私、家庭科部だったのに。
時々、将棋部の顧問の先生と指して、勝ったらジュースをごちそうしてもらっていた。
だけど、標の君も結構強い。
今まで相手がいなかったので、ほとんど指したことがない、って言ってた割に、私とほぼ互角。
ただし、一手にすごく時間がかかる。
めちゃめちゃ考えてるんだろうと思う。
私はと言えば、将棋とチェスのルールの違いに足をすくわれっぱなしで、うぎゃっと何度もなる。
私が発狂しているのを見て、標の君はけらけら笑っている。
あなたが楽しいなら、いいんですけどね。