第1話 その話は知っています。
そもそも引っ越しの準備の最中だった。
うちの母が若い頃に病気で死んだので、私は母方の祖父母に預けられて育った。
父は残念ながらまったく生活能力がなくて、今はもうどこにいるんだか連絡も取れないので、今回祖父の葬式の時も、知らせられなかった。
祖母ももう亡い。
家は賃貸だったので、なるべく早くそこを出るしかない。
まあ祖父がいくらかの貯金を残してくれていたので、とにかくあと半年、近くの小さいアパートに部屋を借りて、大学を卒業するまで生活することになった。
伯父と伯母が、手続きとかいろいろしてくれて、保証人とかになってくれて、不要なものを処分したり、使えるものは持って行くためにまとめたり、そんなことをしている最中だった。
自分の部屋にある本棚の本を、夜遅く、段ボールに詰めていた。
最小限にしたと言ったって、どうしてもはずせない本がある。
それを丁寧に箱に詰めていたところ、うっかりパラパラめくってしまったのだ。
超お気に入り。
何度読み返したか分からない。
そして何回読んでも、泣ける。
不遇に育った弟王子が、兄王子のために命を捧げ、報われずに失意のうちに死んでいく。
まあ、フランダースの犬みたいな?義経みたいな?
とにかく鉄板で泣ける小説なんだけど、めくったが最後、上中下の三巻全部読み切るまでページをめくる手が止まらない。
超忙しいのに。
自業自得だ。
きっと、読みながら寝てしまったに違いない。
「これも鷲羽国のためだから。いいわね?」
うん。夢だな。
見たことない、大柄な女の人が、テーブルを挟んで向かい合っている。
「えーと。何でしたっけ?」
思わず聞くと、その女の人は大きなため息をついた。
「相変わらずぼんやりさんねぇ。いい?今日から数日、標の君がここに逗留されるから、そのお世話をお願いしているのよ?」
標の君。あの不遇な弟王子だ。
母君の地位が低いために、小さい頃は田舎で育ち、母君が亡くなった後は学問所の寮に押し込められて育った。
「お世話って、例えば?食事の用意とか?」
「そんなことはしなくていいわ。そもそもあなた、出来ないでしょ。そばについて殿下のお話相手をなさい。あと、お具合が悪そうだったら私か伯父様に知らせなさい。」
だめだ。
この人が何者かよくわからない。
登場人物にこんな人いたっけ?
私はいったい、誰になっているんだろう。
どのシーン?
「お嬢様、お着きになりました。」
部屋の入り口から声がかかる。
お嬢様というからには、当然私だろうと思って立ち上がると、
「そう、中へお通しして。」
まさかの、この大きなお姉さんでした。
えー。
お嬢さんというには、かなりお母さん寄りなんですけど。
「いいわね、ディラ。殿下と同い年だからこそ、分かることもあると思うの。頼んだわよ。」
ディラ。誰それ。誰。
結構この話、読み込んでいるのに、まだ知らないキャラクターがいたなんて。
まあいいわ、どうせ夢だから。
気楽についていくと、旅装の二人組がホールに立って、荷物を、お手伝いさんに渡しているのが見えた。
一人は超デカい。
たぶんこのディラという子もやや小柄なんだろう。見上げる大きさの髭面の男が、にこにこ立っている。
そしてもう一人。
マントを脱いで、手にかけた、こちらがおそらく標の君。
おおおう。
めっっちゃ美少年。
めっっちゃ美少年なんですけど。
えええ。
すらりとした背に、少し癖のある黒髪。大きな瞳。血の気の薄い頬。長いまつげ。
確かに、小説にあった通り。
え、でも想像していたより、ずっと美少年だ。
「エシル兄さん。お帰りなさい。」
ああ、知っている名前がやっと出てきた!
エシル。
鷲羽国十二将軍が一、エシル。代々将軍を輩出する名門の生まれで、実は標の君の母君に惚れていた。
なので、標の君が田舎にいた頃から後見を自ら任じ、標の君が死ぬまで、ずーっと父親のように寄り添う。
ということは?
え、もう話も中盤にさしかかったあたりだ。
標の君は、ずっと何年も学問所で暮らしていたが、兄君と同腹の弟が死んだのをきっかけに王宮に引き取られる。しかし王妃によってひどく虐められ、周囲の無理解にも絶望し、出奔してしまう。
あちこちを転々としながら数か月過ごすのだが、その間に確か、エシル将軍の家にも寄っていた。
あああ、可哀そう~~。
こんな綺麗な子が。意地悪されて。
推せる。やっぱイイ。
薄幸の美少年。
数年後に死んじゃうなんて、悲しすぎる。
「殿下、これは俺の妹のサディナ。で、こっちは姪のディラーラ。」
大男が紹介している。
あー、いたわ。サディナは覚えている。そうか、ディラはサディナの娘か。
確か何人か子供がいたんだよね。
サディナは裕福な商人の奥方。本当なら同じような将軍家に縁談があったのに、熱愛の末に押し切った情熱家だ。
しかし若いな。どう見ても三十代半ばってとこだ。
「何でもお申し付けくださいな。とりあえずお疲れでしょう、お部屋にご案内しますので、お寛ぎくださいませ。後ほど食事のご用意が出来ましたら、お呼びいたします。」
そう言ったサディナにつんつん肘でつつかれる。
あ、私の出番か。
でも案内するったって、私も分からない。
「えええと。」
おろおろしていると、大男が笑い出した。
「ディラが困ってるぞ。俺んちだ、勝手にするさ。」
二人が二階へ上がっていくと、サディナは私に向き直った。
「もー。東の部屋を二つ使うからってさっき言ったところでしょ。」
いや、そう言われても。
「早く行って、殿下の荷物をほどくのを手伝いなさい。あと、お湯の用意が出来てるから、伯父様にお知らせして。あなたは今日からここに泊まりだから。部屋は分かってる?」
お母さんってこんな感じなんかな。思ったよりたくましいな。
困っていると、またため息をつかれた。
「西の三階よ。私は帰るから、後は女中頭のミッテに相談して。頑張るのよ?」
何を頑張るんでしょう・・。
変な夢だ。
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