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四話

「涙があふれた時、ああ、私、こんなに、悔しくて、悲しかったんだって気づいて。私の中で、小六の私が泣いているような、そんな感じで。どう言葉にしていいのか、こう言っていいのかもわかんないんだけど、八年経って、私、やっと泣けるようになったんだなって、思って……、私」

「……」

「時間、かかっちゃった」


 苦笑いして目を伏せる天音を、俊彰が膝に肘をかけた頬杖をつき、じっと見つめる。

 ドアをノックする音が響き、続いてガチャリとノブを回す音が響いた。

 天音と俊彰が扉側に目を向ける。


「ごめんね、お待たせして」


 入ってきた亮のお母さんは、チョコを盛ったお皿と紅茶を注いだカップを載せたお盆を天音と俊彰の間に置くと、膝を床につけ、天音を見上げた。



「今年は洋酒入れたのね」

「はい。二十歳になったので……」

「そうかあ、そうよねえ。大きくなったわねえ。本当に、あっという間ね。でも毎年、亮を覚えていてくれて、会いに来てくれて、とても嬉しいわ」

「こちらこそ、亮の部屋にいつもあげてくれて、ありがとうございます」

「いいのよ。格別仲が良かった天音ちゃんと俊くんだもの。亮だって、会いに来てくれて、嬉しいはずよ」


 その時、階下から「ただいま」と大きな声が響いてきた。

 はっと顔をあげた亮のお母さんが立ち上がる。

 続いて、ばたばたと階段を駆け上がる足音が響き、小学生が部屋に飛び込んできた。


「天音ちゃん、チョコ持ってきたの!」


 亮の弟である翔が飛び込んできた。

 今年、六年生になる翔は、明るい笑顔を振りまき、きらきらと輝く両目を天音に向ける。

 天音は、顔近くで両手を合わせた。


「ごめんね。今回はお酒入れちゃったの」

「えー、楽しみにしていたのにぃ」


 悲しげに顔を歪ませる翔に、天音は申し訳ないと眉を歪める。


「来年は、翔君の作ってくるから、今回はごめんね」

「翔、下にチョコレートあるから、今日はそれ食べなさい」

「はーい」


 不満げに返事をした翔が踵を返す。廊下にでるなり、「おかし、おかし、チョコレートォ」と声を弾ませ、階段を駆け下りていった。


「ほんと、現金なんだから」

 呆れる亮のお母さんが、天音と俊彰に目を向ける。

「ゆっくりしていってね。毎年、来てくれて、ありがとう」


 天音と俊彰に手を振りながら、亮のお母さんは部屋を出ていった。廊下から、「翔、食べすぎ注意よ」と大きな声が聞こえてくるなり、天音と俊彰は顔を見合わせ、同時に苦笑した。

 

「翔君のも作ってくれば良かったね」

「まあ、いいんじゃない。お菓子食べれればいいだけだし」

「それ、自分の体験?」

「そんなところかな」

「……、翔君、大きくなったね」

「今年十二歳だもんな。亮と同い年だ」

「そして、来年には亮の年を追い越していくんだね。私たちみたいに」

「……」

「あの時、幼稚園だったし、おばあちゃんに預けられてたから。翔君、亮のこと、覚えてないかもだよね」

「いや。それさ、俺、前に訊いた」

「訊いたの」

「うん。亮のこと覚えてないかもしれないけど、みたいに言ったらさ。脛蹴られて」

「脛? 痛くない」

「痛かったけどさ。それより、翔のやつ、『ばかにすんな』って」

「覚えてるんだ! 覚えてたんだ……、翔君……」

「小二ぐらいで訊いたから、今はどうかわかんないけど」

「確か、子どもの記憶って、五歳ぐらいからしか残らないんじゃなかったっけ。翔君、五歳よりちっちゃかったよね」

「うーん。写真もあるし、部屋もあるし、なんか、何度も思い出しているみたいなこと言っててさ」

「そっか……」

「不思議だったんだろうな。昨日までいた兄がさ、突然いなくなったこと。子ども心にも……」

「そうだよね。翔君、兄弟だもん。たった一人の兄弟だもんね」


 しみじみと天音が呟き、二人は押し黙る。

 しばらくして、無言で立ち上がった俊彰が、幼馴染三人でお弁当を囲んで食べている写真が入った写真立てを持ってきて、ベッドの床板の上に置いた。


 俊彰と天音は目配せし、亮に話しかけるように、近況を語り合った。


 紅茶を飲み終え、最後のチョコレートをほおばり、天音と俊彰は、お盆を階下にさげて、亮の家を後にした。


 外に出て、歩き出す。

 並んで歩くには細い道を、先に歩く天音に俊彰が声を張り上げ呼びかけた。


「天音、公園。寄ってこうか」


 振り向いた天音が、「いいね」を微笑を返す。


 二人は、亮に渡せなかったチョコを一緒に食べた公園へと向かって歩き出す。

 公園の入り口が見えてきた。先を行く天音は直進し、公園中央へと向かい歩みを進める。


 その背を見つめ、俊彰は、公園入口で立ち止まった。


 八年前、小学六年生の二月十三日。

 天音に内緒で、一時退院で自宅にいる亮を、俊彰は一人で訪ねていた。

 母親には行ってはいけないと言われていたが、帰宅していると聞いていて、我慢ができなかった。亮のお母さんに、帰るように言われたら素直に帰ろうと心に決めて、ベルを鳴らした。

 目の下にくまをつくり、やつれた顔をした亮のお母さんが出てきた。俊彰がまっすぐ目を見て、亮に会いに来ましたと告げると、一瞬驚いた顔をしたものの、疲れた笑みを浮かべ、亮のお母さんは家へあげてくれた。

 亮の部屋に入るなり、俊彰は目を見張る。

 ベッドに座って、窓から見える庭を眺めていた亮は、六年生になったばかりの頃とは見違え、太り、髪もなく、腕も手もむくんでいた。あまりの変わりように、来てはいけなかったかもしれないという後悔の念を、一瞬俊彰は抱かざるを得なかった。

 だというのに、亮は、俊彰に向け、この上ないほど嬉しいと言いたげな満面の笑みを浮かべた。

 


 ※



「久しぶりだね、俊彰。元気だった? 座ってよ。机の椅子引っ張ってきてもいいし、ベッドの脇でもいいよ」

「……おお」

「天音は一緒じゃないんだ」

「……うん。今日は俺だけ」

「そっか……」

「天音はさ。作ってるんだ」

「作る?」

「チョコ。いつもの、ハートとか星とか、板チョコ溶かして、型に入れてかためるやつ」

「ああ、毎年作ってるもんね」

「作ってんの。作ってんのさ、亮の分だよ、お前の分」

「……、うん。知ってる」




注)病気は架空のものです。

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