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三話

「今年も天音がチョコ作ってきたぞ。俺たち、成人したからってお酒を入れたのに挑戦したんだって……」


 薄く唇を食んだ俊彰は、静かな眼差しを写真の亮へと注ぐ。

 二人の間に陽だまりのような空気を感じ、言葉に出来ない想いを滲ませ、天音は息を吐いた。


 顔をあげた俊彰が、天音にからっと笑いかけ、「座ろうか」と言った。

 頷いた天音が、ベッドの床板に腰かけると、俊彰も一人分開けて、隣に座った。


「もう、八年かあ。八年だよなあ」

「八年だねえ。私たちが、亮を最期に見たの」

「タクシーに乗り込む、一瞬な」

「一瞬だったよね。こっち、亮、見たよね。目が合った」

「合ったなあ……」



 八年前、小学六年生の二月十四日。

 放課後の校門外で女子同士でチョコを交換し終えた天音は、最後に残った一袋を握りしめ、一時退院中の亮の家へ俊彰と向かった。

 角を曲がり、亮の家が見えてくる。すると、そこにはタクシーが一台止まっていた。

 足を止めた天音と俊彰は顔を見合わせる。

 どうしよう、どうすると足踏みしていると、亮の家の扉が開いた。

 亮のお母さんが出てくる。分厚い大人物の真っ黒いコートに包まれ、毛糸の帽子を被る亮が、胸を押さえながら出てきた。上下に大きく動くコートの様子から呼吸の荒さがうかがえ、天音と俊彰は息が止まるほど仰天した。二人は金縛りにあったかのように動けなくなる。

 必死な形相で何かを呼びかけ続ける亮のお母さんが、亮をタクシーに乗せようとした瞬間。

 亮が顔をあげた。

 苦しそうに細めていた目が、ぱっと大きく広がり、その瞳が天音と俊彰をとらえる。

 はっとした天音と俊彰が、呼びかけようと息を吸い込む間に、亮の姿はタクシーの中へと消えた。

 亮のお母さんも乗り込むとばたんとタクシーの扉が閉まり、一呼吸の間も置かずタクシーは走り出した。

 走り去るタクシーが小さくなる。

 手にぎゅっと力がこもり、袋のなかのチョコがぱりっと割れて、天音は亮にチョコを渡せなかったと気がついた。



「あの時、渡せなかったチョコ。二人で食べたよねえ。私がどうしても家に持って帰れなくて、公園で一緒に食べちゃったのよね」

「ああ、食べた食べた。空の袋は俺がもらって帰ってさ」

「嫌だったんだよね。亮に渡せなかったって家に帰って言うの。わがまま言って作ったから」

「……」

「事前に作ってある冷蔵庫に入れてる分だけじゃ、数合わなかったの。だから、亮に渡す分、もう一つ作りたいって言って、無理行って、わがまま言って、最後はコンビニで板チョコ買ってきてもらって一袋分増やしてたから。だからかなあ……。渡せなかったから? 渡せなかった分だけ? この年までずるずる来ちゃったね」

「……」

「毎年、迎えてくれる亮のお母さんには感謝だよね。後は、中一の時、俊彰が引っ張ってくれたから、……かな」



 七年前、中学一年の二月十四日。

 久しぶりに会う口実のため、小学校の同級生とチョコ交換を約束し、天音は例年通り手作りチョコを用意した。友達と俊彰の分があれば良かったのに、余ったら私が食べればいいのと言い訳して余分に一袋多く用意した。

 友達に配り終え、最後にあげた俊彰が残った一袋に気づく。それどうするんだと訊かれた天音は、もじもじし答えられなくなる。

 そんな天音の手首を無言で掴んだ俊彰は、ずんずんと天音を引っ張っていき、亮の家の前まで連れてきた。慌てる天音をよそにベルを鳴らす。

 その間ずっと、俊彰は天音の手首を痛いほど掴み離さなかった。

 程なく出てきた亮のお母さんが、目を丸くして、明るい笑顔で二人を出迎えると、俊彰が天音をぐっと前に押し出した。

 手にしたチョコを包んだ透明なビニール袋を隠すこともできなかった天音は、亮のお母さんにしどろもどりになりながら、最後の一袋を差し出した。

 


「あれから毎年だよな」

「うん、恒例になっちゃった」

「最初はチョコ溶かして、型に入れるだけだったのに、いつの間にか色々作るようになったよな」

「ナッツ入れたり、ガトーショコラ作ったり、生チョコも作ったなあ」

「それで、今年はお酒入り」

「そう。お酒入りのトリュフチョコ。お父さんの高いウイスキーちょっとくすねちゃった」

「いいんじゃね」

「作る時、チョコ、湯せんするでしょ。湯せんしてたらね」

「たら」

「私ね。初めて、涙でたの。今まで、そんなこと。なかったのに……」



 今年、大学二年の二月十日。

 俊彰と亮、そして小学生から腐れ縁が続く友達数人のために、ダークチョコレートを湯せんしている時だった。じわっと目じりから濡れていき、視界が揺れた。

 あっと天音が気づくなり、はらりと涙が零れ落ちた。

 今まで一度でもなかったことに、天音自身がびっくりする。

 悲しいはずなのに、苦しいはずなのに、流れることがなかった涙が、堰を切ったように、はらはらとこぼれ落ちてきた。

 


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