11月4日(日)
死にたい。
今頃兄貴にあたしの恥部を隅々まで見られていると思うと死にたい。ていうかチョコミントさんに適当なノートを手渡され「今日の分の日記書いてないよね」と日記をつけることを強要され、見られながら書いている今この時も死にたい。チョコミントさんだけならばともかくひょっとこも見ているのが信じられない。
なにが「今日一日の議事録としてまとめましょう」だ。ひょっとこを悪者にしてやろうか。
腹くくった。
もうどうにでもなれ。
待ち合わせ時間から一時間程前には、あたしたち三人は戦場となる料亭についていた。ひょっとこが女将さんと談笑している横をすり抜けて奥の間へ到着する。まだ料理も並んでいない上品な和室だった。
あたし達三人が座布団に腰掛けてから少ししてハンサムらも到着する。彼らはあたし達と反対側に腰掛ける。その間に会話はなく、あるのはあたしとハンサムの睨み合い。自分の方が兄貴に相応しいと譲らない感情と自尊心のぶつかり合いだった。
なお、そんな感情はどこ吹く風でひょっとこはひょいと立ち上がると、彼らに軽い調子で挨拶していた。向こうも戸惑った様子で挨拶を返しつつ「どっちの味方なんだ?」とか訊いていた。それに対するひょっとこの答えは「もちろん正義の味方ですよ。もっとも、強きに靡くだけですけどね!」とケケケと笑った。
それからさらに時間は過ぎる。待ち合わせ時間になっても兄貴は現れなかった。あたし、ハンサム陣営は現れないことにやきもきしてどちらともなくすっぽかされた疑惑を持ち始める。連絡を入れるべきかとハンサム側から焦りの声があがる。
ひょっとこはどこ吹く風で配膳されたお通しを食べながら言った。
「どうせ少し遅れて行った方が勝った感が出るとかそんなところでしょう。そろそろ来ますよ」
チョコミントさんとチョコミントさんで「先輩は約束は守る人ですよ。守り方までは保証できないだけで」と擁護した。遠回しなマウントを取られた気分になった。
結果は二人の言う通り。
鷹揚な面持ちで兄貴は現れた。ピアス女を脇に添えて。いつの間にか何も言わずとも意図を察せられる仲まで至ったような関係性が垣間見える。なんだ部屋に入るまではくだらない雑談の声が聞こえていたというのに、部屋に入った途端に兄貴を立てるために斜め後ろに立つとか。そんなアナーキーな耳してるくせに実は育ち良さそうなことをしないで。てかあたしだって真似したい!
上座に座った兄貴の顔には緊張の色が見受けられた。いつもよりも引き締まった精悍な顔つきによだれが出そうだった。ニヤケてしまっことに気づいて慌てて取り繕ったけど、どうしても口元がムズムズしてしょうがなかった。
それから会談の趣旨である紳士協定の取り決めが始まった。向こうもここが揉めるところではないと察しているらしく、互いに無理難題を言わず、それなりの落とし所に落としつつ話は纏まっていった。
最後に同意を取る段になって待ったを掛ける。
奇しくもあたしとハンサム、同じタイミングであった。それがあたしの中で眠る敵対心を煽ってきた。向こうからしても煽られた形だろう。
相手の話を聞かずにまくし立てる。もはや自分が何言っているのかもわからず、思いついた言葉を並び立てた。頭は良いから、きっとたぶんそれっぽい意味合いの文字列は並んでいるはず。もう一度説明してと言われたら詰む。
もっとも同じようにまくし立てた向こうも似たようなものだけど。
そもそも誰も聞いてなかった。聞くことを諦めたっぽいけど。
困ったところでひょっとこが口を挟んでくる。助け舟に見えるように、けれどあらかじめ決めておいた粗筋に沿った茶々入れだった。
互いに兄貴への好意を伝え、兄貴にどちらかを選ぶように強要する。ひょっとこ曰く、ノンケな兄貴がハンサムを選ぶことはないという。ただそれと同じくらいに妹として育った人を選ぶのかという懸念はあるらしい。
そんな懸念なんて美貌で吹っ飛ばせとばかりに、ひょっとこはピアス女にメイクを要請した。そんな頭の悪い作戦で大丈夫なのだろうか。そんな不安が生まれたが、顔のいい女が好みであると公言してやまないルッキズムの化身みたいな兄貴にはクリティカルだそうだ。幸いあたしは顔が良かったから、いつもより大人びた姿でも見せればイチコロだそうだ。……複雑。
そんな流れでピアス女に一通りのメイクにヘアセット、チョコミントさんが用意していた衣装に着替える。
その中でピアス女と一対一で話した。互いにギクシャクしつつ、互いの立ち位置を尊重しつつ、突っ込んだ話をした。
向こうは妹として育ち、兄に懸想しているあたしがよくわからないとのこと。なので懇切丁寧に兄貴の素晴らしさを説明してあげたら引かれた。解せぬ。
あたしから尋ねたのは兄貴とどの程度仲良いのか。ピアス女から向けられるハンサムへの想いになんて興味なかったので、消去法でこうなった。実際、姐さんよりも兄貴と相性の良い女性が今どんな感情を持っているのか気にはなる。
ピアス女はまだ大して特別な感情はないらしい。気を遣わなくて良い楽な相手ぐらいの温度感とのこと。ちなみにそこからさらに突っ込んであの兄貴を立てる仕草はなんだと問うと「え、この場ならああいうものじゃないの?」と場に応じた振舞いができる育ちの良さを見せつけられた。あの耳は遅れてきた反抗期か単なるファッションでしかないみたいだ。
野良犬家庭なあたしは心の中で威嚇しておいた。
さて想いを伝えた結果だけど、思い出したくないから省略する。
うるさい。ひょっとこうるさい。これはあたしの日記だ。何を書こうと書かまいとあたしの自由だ。内心の自由の侵害だ。ええい、わかった。これだけは書いてやる。
あたしはお母さんに似てるって言われて酷く落ち込んだ。
これで満足か。
また詳しく書く気にもならないことなのでさっくり済ませる。ハンサムが似合わない女装をして現れた。そして、フラレた。この時ばかりはメイクをしたピアス女に同情した。こんな似合わない女装を見せられては百年の恋だって冷める。
チョコミントさんから次も省略でいいよと言われた。腹が立つからちゃんと書いてやる。
あたしとハンサムを振ったあと、ひょっとこは兄貴に近づき、兄貴も告白をするべきだと迫った。最初は首を振った兄貴であったけれど「今なら勢いでいけますから」とか「これ以上の舞台はもう用意できませんよ?」とか言って焚き付ける。兄貴もだんだんと調子づき、やるしかねえと告白を決意した。
そうなれば兄貴はチョコミントさんの手を取り、あたしには一度たりとも向けたことのない真剣な眼差しで想いを伝えた。
チョコミントさんが満更でもない顔をしたので、あたしとハンサムは絶叫したし、ピアス女は一人上手いことやろうとしてる兄貴をこれでもかと睨んだ。というか上手くいったらコトを起こすつもりだったのか中身がドップリと残った酒瓶を逆手に取っていた。
あたしがいる手前かチョコミントさんは断った。
え、元から断るつもりだった? それじゃあのはにかみ具合はなんだったのか。説明して。皆がフラレた相手に告白されるのは気分が良かった? カーッ! 嫌な女!
こんなコントのような告白を終えて、チョコミントさんとひょっとこ以外、死んだ眼をして居酒屋から出た。あまりにも目に余る惨状だったらしく出る時に女将さんに心配された。ひょっとこがニ割増にして話そうとしたら兄貴に叩かれて止められていた。もっとやってよかった。今となりで「二割増じゃ足りないですね。五割増しですよ」などとひょっとこがのたまっている。あたしも叩いておいた。
そんなゾンビが闊歩するように店から出たところでチョコミントさんが兄貴を呼び止める。まだチャンスがあると思ったのか兄貴は少し顔色を明るくした。
だけどあたしの告白をどう思うかという問いだったことでノーチャンスと悟ったのか、冷や水を浴びせられた酔っぱらいのような無表情になる。
取り繕う必要もない本音が出てくる。
嫌がらせ。
これにはあたしはへこんだ。路上に捨てられたアルミ缶みたいにバッキバキなへこみようだった。記憶にないけど、気が付いたら服が砂埃まみれだったからあまりのショックから路上に倒れていたのかもしれない。
ひょっとこが呆れた横で、チョコミントさんが兄貴に何かを手渡していた。何故かあたしの日記を手渡していた。
どうやらあたしの気持ちが分かるから読んでということだった。
それはマズい。実にマズい。
あれには人に見られてはいけないものが記されている。特に兄貴には知られてはいけないものが記されている。頭のイカれた女の情念が事細かに書かれている。
だから必死に取り返そうとした。
ピアス女に羽交い締めにされて阻止される。何故ピアス女が止めるんだと叫ぶも「どうせ堕ちるのだから皆して堕ちるとこまで堕ちるのよ!」などとイカれたことを言われた。この時ばかりはピアス女の見た目さながら頭のイカれた女に成り下がっていた。
こうしてあたしの日記は兄貴に持ち去られ、今頃ピアス女よりもヤバい女として認識されるだろう。
死にたい。
もう二度と日記なんて書くものか。




