【コミカライズ】婚約破棄ですか? 私の婚約者はちゃんと別にいて、あなたではないのです。
三人称視点。
貴族が集う豪華絢爛の学園パーティー中。
大きな眼鏡が反射して、まともに顔が見えない令嬢は、並べられた料理を選び、舌鼓を打っていた。
ブラウン色の髪を結い、ライトブルーの宝石の蝶の髪飾りをつけた彼女は、高位な貴族令嬢の佇まいで静かに食事をしている。
「いた!」と、彼女に向かって声がかけられても、反応をすることなく、フォークで刺した肉を口を運んだ。
「オリン・ガーベラ侯爵令嬢! この私、イラン・ナーガと親しくしているという理由だけで、友であるミンリ・テイラー子爵令嬢に陰湿な嫌がらせをしたことはもうわかっているぞ! そんな卑劣な女と婚約関係でいられるか! 婚約破棄だ!!」
金髪と青い瞳の整った顔立ちをした派手な青年。その背には、庇護欲がそそられる華奢な身体つきの令嬢が、怖がった様子で身を縮めてこちらを見つめている。
眼鏡越しにオリン・ガーベラ侯爵令嬢は、じっと二人を見据えた。彼女だけではなく、パーティー参加者が皆、注目することとなっている。
「…………」
たっぷりと間を置いて、オリンは動き出すとお皿を置いた。
「……イラン・ナーガ侯爵令息ですね?」
と、凛とした声で確認を挟むと、オリンは小首を傾げてこう告げる。
「失礼ながら、私の婚約者はちゃんと別にいて、あなたではないです」
その発言には、言われた本人であるイランも、周囲も呆気にとられて、言葉の意味を呑み込むことが遅れた。
公衆の面前で行われた婚約破棄。
しかし、令嬢は婚約自体を否定した。
一体どういうことだと、どよめく。
「何をバカなことを言っている! 我が家は確かにお前に婚約を申し込んでやったぞ!!」
「……確かに、ナーガ家から縁談が届いた記憶がございますが、すでに婚約者がいる故、お断りしました」
ゆったりと、オリンは言葉を紡ぐ。
「嘘だ!!」
「では問いますが、我がガーベラ侯爵家から、承諾の返事が届いたのでしょうか? それはいつのことですか? いつ婚約が結ばれたのでしょうか? そして、婚約者として一体いつ、ナーガ侯爵令息と交流しましたか? 記憶にございません」
「なっ……ななっ」
一転、つらつらと疑問をぶつけるオリンに、激しい動揺をするイラン。
オロオロと視線を泳がすイランは、焦った。
「こ、婚約しているんですよね?」
背にして守っていたはずのミンリに心配される始末。
イランは確かに、自分の父親からガーベラ侯爵家の令嬢に縁談を申し込んでおいたと聞いた。その後、返事は聞いていなかったが、父親は『どうせ婚約者がいないのだ、断りはしないだろう』と言い切っていたのだ。
よもや、断るわけがない。
高位貴族の令嬢だというのに、大きな眼鏡をかけている地味な令嬢だと有名だったオリンは、学園の才女だ。
しかし、お茶会も夜会も滅多に参加せず社交すらしないから、孤立している。学園ですら彼女と交流している生徒がいるかも怪しいところ。貰い手のいない令嬢相手に断られるなど、思いもしなかった。
「お答えになれませんよね? あなたとは婚約はしておりません」
光を反射する大きな丸眼鏡が、冷たく感じた。
「じゃあ、お前の婚約者は誰だ!?」
このままでは、赤っ恥。婚約者ではないのに婚約破棄を突き付けた。
イランは唾を飛ばす勢いで、問い詰める。
自分の父が縁談を持ち込んだ相手方の婚約者の存在を知らないはずはない。
きっと嘘だ。虚勢に決まっている。
そこを衝いて、恥をかかせてやろうとした。
「それは……」
オリンの言葉に詰まる様子に、しめたと思ったイランだったが。
「我がガーベラ侯爵家の事情により、明かすことは出来ません」
「なんだと! ぬけぬけと見栄を張るのか!」
「いいえ、見栄ではありません。婚約者が本当にいるかどうかを知りたくば、ガーベラ侯爵家に問い合わせてください。我が父が、事実のみをお答えするでしょう」
のらりと躱すオリンは、続け様にぴしゃりと言い切る。
「それよりも、婚約をしていないのに婚約破棄を突き付けた罪状……矛盾しているとお気付きですか? 私がご令息と親しくしているミンリ・テイラー嬢? とかいうご令嬢に陰湿な嫌がらせをしたとか。理由はありませんね。そもそも、あなたになんの思い入れもないのですから」
「ななっ……!」
イランは戦慄した。
自分がモテる外見をしていると自負している。侯爵家の令息だということもあって、優良物件だ。よって、縁談相手は選り取り見取りで、当主が悩みに悩んでいた。
学園でも黄色い声援を受けているイランは、地味なオリンにそうはっきりと言い切られて、衝撃を受けたのだ。
「ミンリ・テイラー嬢。本当に私に嫌がらせを受けたと主張するのでしょうか?」
「っ!」
標的が自分に移り、ミンリは肩を震わせた。
「あ、あたしのっ。教科書もノートも水浸しにしたり、カバンを泥まみれにされたり……! 犯人がわからないと、イラン様に相談したら、婚約者のオリン様の仕業に違いないと!」
オロオロと視線を泳がせて、ミンリが答える。
ミンリは焦っていた。
イランからオリンとの縁談が進んでいると話に聞いたから、オリンを蹴落として侯爵夫人の座を手に入れようと目論んだのだ。
オリンは才女だが、地味で孤立した生徒でもあった。
だから、でっちあげなんて簡単で、味方もいないまま、断罪されて婚約破棄されるはずだったのだ。蹴落とすのに、最適な相手だと思ったのに。
そもそも、婚約していないなんて! なんてこと!
ここは、上手い具合にイランが言い出したことだと持っていく。
すでに周囲の視線が突き刺さり、背中の冷や汗が酷い。
「地味なお前なら、その陰湿な嫌がらせもあり得る!」
「はあ。ロクに話したこともないのに、その決めつけは些か不愉快ですわね」
「はぁ!?」
イランは怒鳴るが、オリンは呆れたため息を零す。バカにした物言いに、カチンとくる。
「先ず、前提として、あなたの婚約者でもなければ、微塵も想いを寄せていないので、そちらのご令嬢と親しかろうが、私が嫌がらせする理由はございません。お生憎様、私の愛しい婚約者に比べればあなたなど……おっと、私の婚約者については話せないのでした。比べるのも失礼でしたわ。忘れてください」
フッ。オリンは眼鏡の下で冷笑した。
婚約者が誰かは諸事情により話せないため、一度は取り消すが、もう侮辱したあとである。
その侮辱は取り消していない。謝ってもいない。
イランは、カッと真っ赤になった。
「この女!」
「!」
かつかつと大股で詰め寄るなり、手を振りかぶる。
オリンはとっさに顔を背けたため、その手は空ぶったが、眼鏡が弾け飛んだ。
キョロキョロとオリンが周囲を捜す間に、今度こそ頬を叩こうとした手を、割って入った青年が掴み止めた。
一人の令嬢が目の前で暴力を受けかけて、周囲に悲鳴が上がったのだが、彼の登場にまた別の悲鳴が零れ落ちる。
ライトブルーの瞳と、水色に艶めく白銀の髪を持つ麗しい美貌の持ち主。
誰かが「リュート様だわ」と彼の名を色めく声で零した。
リュート・メナート公爵令息。
騎士科の学生で、許可を得て剣を所持している彼は、物腰柔らかな口調で穏やかだと評判のいい貴公子だった。メナート公爵家の次男だとしても、ぜひとも婿入りしてほしいと羨望を受けてはいるのだが、彼には溺愛している恋人がいるのは周知の事実。
お似合いの美女とデートをしている度に、涙を呑む令嬢達。しかし、その美女の素性は不思議なほど情報がなく、謎の美女となっているため、どこかで囲っている平民との噂まである。自分にも一縷の望みはあると当たって砕ける令嬢は、もれなく砕け散った。
恋人を溺愛しているリュートは『自分は、恋人一筋ですから』の一言でフるそうだ。入る余地は一ミリもない圧で。
そんなリュートが、イランの肩を突き飛ばすと、眼鏡を拾って。
「オリン。痛いところはない?」
と、オリンの手に持たせて、覗き込んだ。
すぐにオリンは眼鏡をかけ直すと、リュートを見上げて「うん、大丈夫」とだけ答えた。
「め、メナート公爵令息! 邪魔しないでいただきたい! あなたには関係ないではないですか!」
イランが叫んだのだが、穏やかと評判のはずのリュートにギロリと睨まれて、震え上がる。
「関係ないのは、そちらの方でしょう。我が婚約者に、この愚行。許しませんよ?」
にこりと笑って見せるリュートだが、そのライトブルーの瞳は凍てついていた。
「はっ……? わ、我が婚約者……?」
イランは素っ頓狂な声を出してしまい、周囲も仰天した顔になって驚く。
オリンが明かせなかった婚約者本人が出てきた上に、謎の美女の恋人を溺愛している美貌の公爵令息だという。にわかに信じがたい。
「そ、そんな偽りを仰らないでください! あなたには溺愛している恋人がいると噂ですよ!」
「ええ、そうですよ。溺愛している恋人がいます。それが何か?」
恋人がいるとてらいもなく肯定するリュートを見て、一部はいち早くに察した。
何より、眼鏡が外れてしまったオリンの素顔を目撃した者達は、腑に落ちてしまうほどだ。
「婚約者がいる身で、恋人とデートしていると肯定なさいますか!?」
なんて醜聞だ! とイランは愉快に声を上げた。
自分の恥より、悪目立ちすると醜く喜んだ。
自分よりも人気があるリュートより優位になれたと。
「ええ。溺愛している婚約者とデートをして何が悪いのですか?」
「……は?」
リュートはオリンの腰を抱き寄せて、密着して仲の良さを見せつけた。
「……あなたのデート相手は、び、美女だと」
怪訝に眉を寄せるイランは、それで欺こうというのかとリュートを睨んだ。
「そうですよ」と、ケロッと答えるリュート。
それを腰を抱かれたオリンは見上げて、はぁと息をついた。
「リュートが、私の婚約者です。噂のことはよく知りませんが、私と特徴が合うのではないですか? 彼とはよく、眼鏡を外して街でデートをしていましたから」
そう言って、眼鏡を外す。
そのオリンを見て、イランもミンリも、そして見物客も息を呑んだ。
なんとも特徴的なオレンジ色の輝きを閉じ込めたような瞳だった。それだけではなく、目鼻立ちが整っていて、誰もが美女だと納得する美貌だ。腰を抱き寄せるリュートと、あまりにもお似合いだった。
そうである。
噂の美女は、ブラウン色の髪と、明るい夕陽色の瞳の持ち主だ。
謎の美女と同一人物だと、皆が理解した瞬間。
イランはただただ、明るい夕陽のオレンジ色の瞳に見惚れたが。
「さて。イラン・ナーガ侯爵令息?」
凍てつく声がかけられた。
「事情があって、我々の婚約は公にしていなかったのに、こうして晒した責任……どうとっていただきましょう?」
「えっ……?」
「ただでさえ、冤罪。ましてや婚約してもいないのに婚約者として公衆の面前で婚約破棄をし、あまつさえ暴力を振るったのです」
「名誉棄損だとナーガ侯爵家を訴えさせていただきます」
「もちろん、本当の婚約者である私の家からも訴えさせていただきます」
ただでさえ美貌で目が眩みそうな二人から笑顔で威圧されながら、責め立てられて真っ青に青褪めるイラン。
ガーベラ侯爵家だけではなく、メナート公爵家からも抗議される。むしろ、訴えるという。
狼狽えた。こんなはずではなかった。
父親が決めた縁談を自分から覆すことが出来ず、気のある可憐な子爵令嬢に嫌がらせをしていることを材料に、婚約破棄すれば万事うまくいくと考えたというのに。
そもそも婚約していないと気付いてから尻尾を巻けばよかったものの、罪は深くなってしまった。
「暴力を振るったため、身柄を拘束させていただきますね」
ニコニコしたリュートは、そう言うなり、衛兵に捕らえるように指示を下す。
「はぁ!? な、何故!」
「何故? ご令嬢に暴力を振るう最低男を野放しにしてはどれほど被害が増えるかわかりません。その予防でもありますし、そもそも、我が婚約者に手を振り上げた罪、許しません」
口元はつり上げて笑って見せていても、やはり目が凍てつくリュートに、ゾッと背筋が寒くなるイランはひっ捕らえられて引きずられた。
暴力男だという蔑んだ視線を受けながら、退場。
「そちらのご令嬢」
「ひっ」
身を隠す壁もなくなり、このままフェードアウトを狙ったミンリは、声をかけられてびくりと震え上がった。
「嫌がらせをしたという冤罪で、公衆の面前で断罪しようとした名誉棄損の罪で、事情聴取を受けてください」
「ち、ちがっ……! あたしは何も!」
「もちろん、あなたの家にも抗議をさせていただき、訴えさせてもらいますので。そのつもりで」
またもやリュートは指示を下して、ミンリを連行させる。
紙のような顔色になって、引きずられるようにミンリも退場。
「なんでこうなったのやら」
やれやれと肩を竦めるオリンは、眼鏡をかけ直してテーブルの上の料理を見たが、食べる気が失せてしまったため、その手は伸びなかった。
「ごめんね。オレがもっと気を配っていれば」
「リュートのせいじゃないでしょ?」
「ううん。オリンを守るのがオレの役目なのに……」
「よしよし、落ち込まないの」
美貌は眼鏡で隠されていても、オリンがリュートに溺愛されていることがよくわかる光景を、パーティーの参加者は目撃した。オリンがリュートの頭を撫でてやり、リュートはとろんとした目で甘えている。デレデレだ。
「帰りましょう」
「……そうだね」
今までオリンはロクに人付き合いをしないため、近付かなかったが、謎の美女の正体が彼女なら話は違ってくる。あの美貌で才女だ。しかも公爵家次男と婚約している。近付く価値ありと見做した計算高い生徒達がタイミングを窺う。
それに気付かない二人ではなかった。
めんどくさいことを察知したオリンは、楽しみだった食べ物にも興味が失せたため帰ることに決め、リュートは凍てつく空気を放ってギロリとひと睨みを放った。
二人は一度も振り返ることなく、パーティー会場をあとにしたのだった。
イラン・ナーガは後悔にまみれていた。
魔力封じの手錠をかけられて縛られて、薄暗い牢屋に入れられている。
一度の暴力未遂ではあまりにもむごい仕打ちだと訴えたが、連行してきた衛兵には「それほどの罪を犯したんだ」と言い返された。
やがて遅れてやってきたのは、ここに入れるように指示を下したリュート・メナートだ。
彼は挨拶なんてものをすることなく、剣を鞘ごと抜くと、鞘に納まった剣でイランの頬を打った。
「こっ! 公爵家の人間だからって、こんなことして許されると思っているのか!!」
公爵の特権を行使して、私的な制裁をしていると思い、イランは涙目で叫んだ。
「あ? てめぇーこそ、オレの婚約者に手を上げて、五体満足でいられると思ってんじゃねーよ」
「ヒュッ」
ドスを利かせたような低い声が放たれて、息を呑むイランは信じられないとガタガタ震えた。
穏やかな口調が評判のリュートの暴力的な物言いと声音に、強い恐れを抱かずにはいられない。
評判との雲泥の差で、強烈な恐怖が湧く。
「なに人様の婚約者ぶってんだよ? オリンはオレの婚約者だ。ふざけんじゃねーぞ?」
ライトブルーの瞳は、凶悪にギラついていて、その圧に腰が抜けた。ただでさえ跪かされていたイランは、倒れかける。しかし、その倒れかけた方から、また鞘が飛んできて頬を打たれて反対側へと倒れかけた。それを衛兵が片腕で支えると元の姿勢に戻す。
「ご、ごべんなざいっ」
私的な制裁を加え続けられると怯えたイランは、泣きながら謝罪する。
「は? 謝って済む問題だと思うか? よく考えろよ、その浅はかな考えしか出来ない脳みそじゃ無理か? どうしてメナート公爵家とガーベラ侯爵家の婚約が公になっていないか、わからないか? これほどの高位貴族の婚約が非公開なのが、どれほどの事情があるか、想像もつかないか?」
くいっと鞘の先で顎を上げられてイランは、ライトブルーの瞳を光らせるようにギラつかせたリュートを見上げる羽目になった。嘲笑を浮かべながら怒っていることが嫌でもわかる。
「それをてめぇーは、ありもしない婚約の破棄を公衆の面前で言い放っては、暴力まで振るいやがって」
「ひぃい! ごべんな、ぶへっ!!」
怒気を感じて謝ったが、また打たれるイラン。無様に床に倒れても、衛兵に起き上がらせられてまた向き合わされる。
「人付き合いが面倒だったこともあるが、あの美貌を隠して目立つことを避けてたんだぞ? ふざけやがって。まだ学園の卒業まで時間があるのに、台無しだ」
「ぎゃああ!」
ガッとイランの太ももに、リュートの踵が落とされてぐりぐりと踏みつけられた。
「い、イラン様?」
そこに聞こえてくる可憐な声。
涙で顔がぐしゃぐしゃになったイランが見れば、拘束されているミンリが牢屋の外に連れてこられていた。
ミンリが目にするのは、頬が真っ赤になって号泣しているイランだ。自分も拷問されると予想して、身を竦ませた。ガタガタと震え出す。
「ミンリは、か関係ないっ」
「てめぇーに決定権なんてねぇよ」
「ぐはっ!!」
イランは虚勢を張ってミンリを庇おうとしたが、ガツンと容赦なく顎を下からぶたれてしまった。
「きゃああ!!」
目にした暴力に大きく悲鳴を上げてしまったミンリの目の前に、鋭利な輝きを放つ剣先が突き付けられて、硬直する。
「うるせぇーよ。耳が腐る。喉を切り裂かれたくなければ、聞かれたことだけに答えろ」
いつの間にか鞘から剣を抜いたリュートが、殺気ごと突き付けたのだ。
ミンリは力が入らず、その場に崩れ落ちてしまう。なんとか悲鳴を上げないように口を押さえるのに必死だ。カチカチと歯をぶつけて震えた。
「いいか? 愚か者ども。てめぇーらには、王家に仇為す反逆罪の疑いもかかっている」
「「!!?」」
何故そうなる。
信じられないと大きく目を見開いて見上げる二人に、加虐的な嘲笑を浮かべたリュートは答えてやった。
「オレとオリンの婚約は、王家が取り持ったものだ。オリンを守るためにな。オリンはな、王家すらも大事に守りたい才女なんだ。わかったか? お前達は大罪を犯した」
オリンを語る瞬間だけは、慈しむような眼差しになったが、すぐに凍てつく光に戻るリュート。
王家が守るように縁を結んだ。
オリンは、守るべき才女だから。
知らなかった。それはそうだ。非公開にして守ったのだから。
知らなかったとはいえ、許されることではないとわかる。
詰んだ。これはもう詰んだ。
イランもミンリも絶望したが、始まりに過ぎなかった。
「さぁ。どこまでオリンを知っているか、尋問の始まりだ。オリンを守るオレの役目だからね♪」
喜んで拷問をするの間違いではないか。
笑顔のリュートに、絶望へと突き落とされた。
オリンの才能は、卓越した魔法の行使と創造だった。
いち早くに気が付いた実の父親であるガーベラ侯爵は、王家に直談判するほどだった。
『利益はそれ相応のものを分けるので、保護をして守り抜いて欲しい』と。
僅か7歳にして、すでに広範囲の攻撃魔法や強固な結界魔法を編み出していたオリンの存在価値は高く評価されていて、すぐさま秘かな保護が決まった。
王族に準ずるメナート公爵家と縁結びをして、秘かに近衛騎士をつける緊急措置をすることに。
そこで選ばれたのは、ちょうど同い年だったリュートである。
次男でまだ婚約者も選んでいない状態のリュートと、一先ず顔合わせすることに。
そこで幸運なことに、リュートは一目見てオリンに恋に落ちたために、とんとん拍子で婚約関係は成立した。
もちろん、オリンの方の反応も悪くなかったため、だ。
ただ、メナート公爵家側は心配だった。
リュートは、少々加虐性が強いのだ。騎士を目指して剣を持った彼は、自分に歯向かう年上の少年達をまとめて痛めつけたこともあるし、獣や魔物を見かければすっ飛んで切り殺しては血塗れになっても笑顔で獲物を仕留めたと報告する。
そんなリュートに、守るという役目は務まるのだろうか。
しかし、意外なことに、オリンとの相性は悪くなかった。
交流のためのお茶会で来る途中で仕留めたという魔物を見せつけられても、普通の令嬢が卒倒するところ、初めて魔物を見るにも関わず『どうやって仕留めたの?』と純粋な疑問を投げかけた。
嬉々としてリュートが『剣をブンってやって、ブシューって仕留めた!』と答えた時も、平然としたオリンだった。
そんなリュートで大丈夫かと夫人達が尋ねてみれば『リュートのこと、好きですよ』とケロッとオリンは答えた。
なんと、オリンも一目見て気に入っていたのだ。
両想いならそれでいいか。とメナート公爵家側も胸を撫で下ろした。
リュートは傾倒するかのように、オリン一筋に剣術も魔法の腕も磨き上げていき、会えばデレデレになるほど。
早い段階で『オリンを守るために強くなる!』となってくれた。
その一方で、オリンは美しくなりすぎて、縁談が多く来ることを危ぶまれた。
そこは本人が人付き合いをしなくていいという許可を得たために、自ら大きな丸眼鏡をかけて顔を隠し始めたのだ。実はその丸眼鏡には、認識阻害の魔法が組み込まれていて、外から見れば、顔立ちがよく認識できない仕様となっているのだ。その眼鏡から始まって、オリンは魔法を組み込む道具、魔法道具作りを始めたのだった。
ここ数年で、色んな生活に役立つ魔法道具が開発されて、国中で流通することとなった。
強力な魔法も、魔物のスタンピードに対処する際に、大いに活躍した。
オリンの才能がもたらす利益は、計り知れない。
社交を免除してもらったオリンは、どっぷりと魔法研究および開発に大半の時間を費やした。
授業は受けるが、終わるなり転移魔法で自身の研究室に時間ギリギリまでこもる。なおのこと、生徒と交流する時間はなくなったが、オリンは好きなことが出来て不満はなかった。
そんなオリンを連れ出すのは、リュートである。気まぐれに家族と出かけることもあるが、デートのお誘いとあれば着飾って出掛ける。着飾るという楽しみも、人並みに覚えていたのだ。
そうして、リュートの溺愛する恋人とのデートが目撃されたのである。
こうして、地味な才女のオリン・ガーベラ侯爵令嬢と、謎の美女を溺愛するリュート・メナート公爵令息が出来上がったのだ。
王家で秘かに囲われていたオリンを危険にさらした罰はその後、下されるであろう。
ちなみに、今回使われた衛兵はこんなこともあろうかと配置された王家の息がかかった騎士でもあった。尋問もしっかりと聞いて、王家に報告する役目を担っている。
あとは丸投げだ。
尋問を兼ねた私的な制裁を行ってスッキリしたリュートは、オリンの研究室に足を踏み入れた。
机にかじりつく白衣姿のオリンの背中に忍び寄り、するりと腕を絡める。
「オリン、ただいまぁ」
「お疲れ様、リュート」
すりすりとブラウン色の髪に頬擦りをしては匂いを吸い込むリュートに、特段驚くことなく、オリンはポンポンと腕を叩いてやった。
ご機嫌になって、ちゅっと首筋にキスをするリュート。
くすぐったいと身を捩るオリン。
「ごめんね、オリン……こんなことになって」
「そうだね。これから邪な令息達に集られるかもしれないね。守ってくれるでしょ?」
「は? 全員切り捨てて、オリンを守るよ?」
令息達がオリンに言い寄る想像が出来て、カッとライトブルーの瞳を見開くリュートは殺気立つ。
「真っ先に切るのはだめだね。臨機応変に対応してね」
「……うん。煩わしいなら、切るから言ってね? オレはオリンのためなら切っていい許可、もらってるから♪」
言い聞かせるオリンに、リュートは柔らかく微笑んで言った。
王家から許可はもらっているとはいえ、限度はある。もちろん、誰でも切っていい許可ではない。
オリン第一であり、誰彼構わず切りかねないリュートだが、オリンが手綱をしっかり握っている。
親達もある程度『オリンが嫌がるかもしれないぞ』という言葉で、昔からなんとか暴走しないよう制御してきた。
「オリン。もう猫かぶりしなくていーい?」
「猫かぶり? ああ、リュートの敬語? 穏やかな口調で人気になってるんだっけ。別に私がそうしろって言ったわけじゃないよね?」
「あれ? そうだっけ?」
リュートの物腰柔らかな敬語口調は、言い聞かせてるオリンを真似た結果である。いつしかリュートの猫かぶりとなった。
元々乱暴な口調が素で出てしまうため、母親である公爵夫人が『優しい言葉遣いの方が好かれるわよ』と助言をしたので、オリンと話す時に対しては甘えた柔らかな言葉遣いとなる。そして容赦が必要ない時には、『てめぇ』と乱暴な言葉が口から出るのだ。
「じゃあ、オリン以外の生徒への猫かぶり、やーめた。近付くなって牽制していいよね」
「そうだね、別に今以上の交友関係は必要じゃないしね」
「ふふ、そうだよね、そうだよねぇ。蹴散らす♪」
すりすりと頬擦りするリュートは、鋭利な光を灯すライトブルーの瞳を細めた。
そして、ちゅっと右耳にキスをする。また首筋に、ちゅっと吸い付く。スン、と首元に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。
「はぁ、早く卒業出来ないかなぁー。結婚したいよ。そしたら、学園で変な虫がつかないのに」
「そうだね。卒業までの辛抱だね」
ポンポンと首元に顔を埋めるリュートの頭を叩くように撫でるオリン。
ガーベラ侯爵家の跡取りは、オリンの兄に決まっている。
オリンは新たな姓を賜り、女公爵となる予定なのだ。そしてリュートは彼女を守る伴侶として婿入り予定。
もうこれは王家が秘密裏で確定させた決定事項である。知っている者は、当然知っていることだ。
あやされていると思ったのか、もっと構って欲しいのか、リュートの悪戯な手が、もにゅっとオリンの片胸を鷲掴みにした。
「コラ、むっつり」
「ギャンッ」
ムッとしかめっ面をしたオリンの頭突きが、背にいたリュートの顔に決まる。
痛いと思えば、リュートの歯ぐきから血が出た。指についた自分の血を見て、ゾクゾクと興奮したリュートは瞳孔を開いて笑みをつり上げる。
がぶりと噛みつくように、オリンの唇を奪った。身体を向き合わせて、激しく口の中を荒らして貪る。
「オリンっ」
「んっ」
オリンは拒むどころか、リュートのキスを受け入れて、首に自分の腕を回した。
机に寄りかかり、ゆったりと愛し合う口付けを堪能し合う。
「リュート」
「んぅ?」
「パーティーであまり食べられなかった。お腹空いた」
「うん、レストランデートしよっか」
一度は離れたが、デロデロに甘い笑みを向けて、ちゅっとまた唇を重ねたリュート。
オリンもその唇を受け入れてから、白衣を脱いだ。
その夜。
謎の美女だった明るい夕焼け色の瞳のオリンと美貌の貴公子のリュートが、レストランで甘い雰囲気のままデートしているのを目撃されたのだった。
ハッピーエンド