【最終回】(28)楽園へ
紫陽はコラムのために写真を撮った。大学内の中庭でポーズを取らされた。
3月のうららかな日のことで、大学は春休み。ほとんど人もいない。
『なるべく清楚な格好をしてくれ』と言われたのでレースの白いブラウス。黒いひざ丈スカートに黒いパンプスにした。さりげなく赤いリボンがパンプスに飾られている。
背中で手を組み合わせて前傾姿勢。『笑顔で!』と言われるから懸命に笑う。
コラムニストというよりは『アイドルがコラムを書きました』という雰囲気なのだと理解してきた。
たぶん文章力なんてふんわりとしか求められてない。紫陽は内心ホッとした。
コラムの名前は『新米カブラギ先生のドキドキ短歌』になった。ややセンス古くね? と思うのだが、『あんまり今どきの名前にしちゃうとね。新聞の購買層がついていけないんですよ』とのことだった。
不安になると『素人力! 私に求められているのは素人力!』と自分を励ました。
ところがコオロギオトは本気で紫陽にコラムを書かせようとしていた。編集者のオトは『鬼』だった。毎回真っ赤に添削された原稿が返ってくる。
今日もオトの厳しい声がiPhoneから聞こえる。
「カブラギさんね! ほんとーーーに突飛な人ですね! 何ですかこの文章!! 全くて、に、を、は、がなってませんしっ。あと武川先生に君のレポート見せてもらいました! 『ヨンショウウオ』って何!? 文芸部全員大爆笑ですよ!」
オットォ〜〜〜〜〜〜〜〜!!
なに新聞の文芸員にトンデモレポート見せてんだぁ!! 漬物オケに顔を突っ込んで死にたいっ。
月2本のコラムを書くことがこんなに大変だとは。紫陽は毎回泣く泣く文字を埋めた。
◇
紫陽のコラムは大好評だった。
ただ内容より『美人すぎる国語教師』『胸がヒマラヤ山脈の人妻』と明後日の方向に評判が高かった。調子に乗った文芸部が毎回紫陽の写真を載せる。
毎東新聞にラブレター(メールです)が殺到したが『カブラギ先生に鞭で叩いてほしい』『あの太ももに挟まれたい』など『新聞をなんだと思ってんだ』という内容も多い。コオロギオトが辟易する。
まあ? でも? ある意味? 与謝野晶子に顔向けができたのかもしれない。
『新聞に載ってくれ』という大学の希望も思わぬ形で叶った。
紫陽は肩の荷を下ろしたのであった。
◇
話は少し前にさかのぼる。
卒業式は日本武道館であった。
360度の観客席。真ん中、天井付近で大きく揺れる日本国旗。スポットライトが舞台を照らす。
袴を着た紫陽は『生徒代表』として卒業証書を受けとった。学長より首席だけに渡されるトロフィーをもらう。
金の、三角の、メトロノームみたいなトロフィー。下の方に『DOKISYA UNIVERSITY』の文字が印刷されていた。
武道館のライトに照らされてキラキラと光った。誇らしい。
一斉に拍手をもらった。もう誰も紫陽の『首席』に異論を唱えなかった。
卒業式には夫と母が来てくれていた。
夫が一張羅のスーツでビシッと決めてくれて嬉しかった。「かっこいいじゃ〜ん」と東畑と棚橋が褒める。
八角形の建物の前で学友と写真を撮ると、こちらへ向かって歩いてくる男を見つけた。
「あっ。武川助教授!」
「卒業おめでとうカブラギサン。タナハシサン。トウハタサン」
それからタカハシの方を向いた。
「夫婦そろって首席ってわけだ、タカハシ。お前どこまでも嫌なヤツだな〜。とっとと死んでくれよ」
タカハシはニッコリ微笑んだ。
「指導してくださった先生方のお力だよ。特に卒業論文はね」
「それ程でもねーよ」
「武川」
「なんだよ」
「この間『季刊誌 同機社』に載せてた『佐藤春夫』の論文。とても良かった」
すると。
武川の頬がみるみる紅潮していったではないか。目を泳がすと手の汗を乱暴にスーツのズボンにこすりつけて拭いた。
「おっおっお前なんかに褒められてもぜんっぜん嬉しくないね!」
プイッと顔を背けると肩を怒らせてそのままどこかに行ってしまった。
紫陽含めその場の大人全員ポカン。
タカハシだけが『クックックッ』と横を向いて笑っている。
………………武川智樹…………まさかお前……『ツンデレ』…………だったのか?
桜の蕾は充分に膨らんで、あと、少しで満開の春だ。
◇
その夜2人でソファに並んでトロフィーを見た。『夫婦茶碗』よろしく2つのトロフィーが並んでいる。
半月ほどで紫陽は実家を出て、この家に引っ越す。正式な結婚生活のスタートだ。
結婚した当初は長いと思っていた2年も過ぎ去ってみればあっという間だった。
タカハシの胸にもたれかかって紫陽はうっとりしていた。
「紫陽」
「はい」
「よくやったね」
「ありがとうございます」
「卒業記念に何か買ってあげるよ。何が欲しい?」
「物はいらないです」
「え?」
紫陽はあらかじめ衣装部屋にかけておいた高校の制服を着た。リビングにいる夫に見せる。
「今日のプレイ。この制服でお願いしますっ♡」
!!!!!!!!
◇
弾かれるように夫がソファから立ち上がった。「あっ学校に忘れもの……」と言いながら回れ右して逃げようとする。その首根っこをガッシリつかんだ。
「もう夜の11時ですよ〜〜〜〜? 忘れ物は明日でいいんじゃないですかぁ〜〜?」
夫。焦る。今まで見たことないくらい顔が焦っている。
「かっ。勘弁してよ紫陽! その制服俺の勤務先だぞ!?」
「しょうがないじゃん。制服ってこれしか持ってないんだもん」
タカハシが両手を合わせて妻を拝む。
「ほんと〜〜〜〜にごめんなさいっ。それだけは無理ですっ。明日から生徒をまともに見れなくなってしまう! 勘弁してくださいっ」
「ダメ〜〜〜〜〜〜〜〜」
「ほかのことだったら何でも聞いてあげるからっ」
「これしか認めない〜〜〜〜〜〜〜〜」
嫌だダメだ勘弁してと首を振り続ける夫に紫陽は抗議してやった。
「ひどい是也さんっ」
「えっ」
「私卒論がんばりましたよね〜!?」
「がんばったよ。でもそれとこれとは話が……」
「首席を取った妻のたった一つの願い事じゃないですか! 情けはないんですか!?」
「いや。紫陽そういうことじゃなくて」
「高校生の頃、どんっっなにあなたに抱きしめられたかったかわかります!?」
「そんなことできないよ! 教師が生徒を抱きしめていいわけがない」
「だからこそ、今、その夢を叶えるとき!!」
ジリジリとタカハシを追い詰める元女子高生。ジリジリ後ろに下がる高橋是也現国教諭。リビングの本棚に背中があたった。タカハシ! もう逃げられないぞ!!
バーン!
紫陽は『壁ドン』してやった。勢いで文庫本が何冊か床に落ちる。
タカハシが情けない声になった。
「だって未成年……」
「もうすぐ23です」
「高校生……」
「高校生なのは外側だけです。」
「……せっ先生と生徒でそんな関係になってはいけない」
「もう2年夫婦ですけど!」
反論できなくなったタカハシ。うろたえて、顔が赤くなってしまう。
「と……とにかくカブラギ……ダメだって」
「いーからさっさとスーツに着替えて来い!!!!! タカハシッ!! モタモタすんなっっっ!!!!!」
妻の剣幕に驚いたタカハシはそのまま家の衣装部屋に引っ込んだ。
着替えたタカハシは身の置き所がなかったのだろう。リビングの入り口でモジモジしている。
ヨレヨレのスーツ。細い黒ネクタイ。第一ボタンは外されていた。
「紫陽だから。ダメだって。こういうの良くないって」
両手の平を紫陽の前で暖簾を押すように動かした。『STOP!』の仕草である。
カブラギシヨウは思いっきり元担任に突進した。
「せんせぇぇぇぇ!!!! 好きでぇぇぇえぇぇす!!!!!」
足が床から離れる。しがみつくように抱きついた。あの桜の渡り廊下から何百回こうすることを夢見てきたか。
心の中で桜の花吹雪が舞い上がる。先生。入学式の日からあなたが好きでした。
タカハシが『おずおず』といった風情で紫陽を抱きしめ返した。ぎこちなく頭を撫でてくれる。
「鏑木紫陽さん……」
「はい」
「……………………僕もあなたが好きです」
その瞬間。叶わなくてつらかった恋も、大変だった卒業論文も、首席になるまでの努力も。みんなみんな天に昇っていく。
それから2人は手を取り合って楽園へと走っていった。
(終)
【次ページ】
番外編です。
『丸鼻』こと興梠不律が『ざまぁ』されるまで。
(本編で『ざまぁ』が甘かった丸鼻がペッコペコに『ざまぁ』されるだけの話です)




