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(27)丸鼻よく聞け

「カブラギサン」


 大学のカフェテリアから出ようとした紫陽は声をかけられた。


 あ! あの男! 居酒屋で『どうせあの女の実績は枕の成果』って言ってたアイツ!

 丸鼻にあばた顔。悪夢そのものだ。


 紫陽は身を硬くした。


「この間の講演……その……見事でした」

「ハァ……えっと……どちら様ですか……」

「僕の名前はどうでもよろしい」


 どうでもよろしくはないだろう。名前名乗れよ。人のこと散々悪口言いやがって。


 紫陽は小さな声で応じた。どんな嫌味が飛んでくるのかと震える思いだ。


「それであのとき。僕の兄貴も来てたんだけど。兄貴っていうのは今新聞で文芸欄担当してるんだけど」


「はぁ……。そうですか……」


 え? 新聞の文芸欄? だから何?


「君に一回会いたいっていうんだよね? よければ明日『ハマナス』に来てくんない?」


『ハマナス』というのは大学最寄駅の商店街内にある喫茶店だ。パフェが美味しい。


 家に帰ってから顔ブツブツ丸鼻の名前を聞きそびれたことに気づいた。LINEすら交換してない。


 紫陽は翌日時間に間に合うよう『ハマナス』に向かった。







「毎東新聞。文芸部のコオロギです」


 芥川龍之介みたいな男がいた! 長身。サスペンダー。頬にクッキリとした若ジワ。目だけがラクダのようにパッチリしている。

 かたわらに置かれた帽子が『ソフト帽』で大正時代から抜け出てきたようなたたずまいだった。


 磨き抜かれた茶色いソファに丸鼻と並んで座っていた。


『ハマナス』というのはレトロな喫茶店で、絨毯にいくつもの輪染みが出来ていた。コーヒーサイフォンの音がコポコポと聞こえ、フルーツゼリーは銀の皿で提供される。


 紫陽は差し出された名刺を見て『ん?』となった。


 興梠 於菟


 と書いてあったからだ。


「あ……森鴎外……」


「さすがだね! カブラギさん。即これが森鴎外の長男の名前だとわかるとはね! 何て読みますか?」


「コオロギ……オトさん……」


「そうです。僕は『オト』です。それでこいつは弟の『フリツ』」


 あ〜。『興梠 不律』かぁ〜。ちなみに『不律』は森鴎外の次男と同名である。


 フリツはプイッと顔を背けた。名前を教えてくれなかった訳がわかった。大正時代のキラキラネームだぁ。


「父が森鴎外信徒でね。一つ言えるのは、子供の名前にあまり難しい字を当ててはいけないということ」


 コオロギオトがふふふふふと笑った。実際は『ふふふふふ』と笑える思い出でばかりでもなかったろうが。


「わかりますぅ〜。人に漢字を説明するのが大変なんですよね〜」


 しばらく2人で『難読漢字が名前の大変さ』を慰めあった。


『なんでも頼んでください』と言われたので、特大パフェを頼んだ。プリンが丸々1個てっぺんに鎮座しているやつである。バナナにはたっぷりのチョコレートがかかっている。

 このブツブツ丸鼻にされたことを思えばこれくらいの出費負担してもらおうじゃありませんか。あ! 新聞社負担か!


 オトは『森鴎外を論じたいなら全集を読め』のくだりで大爆笑してくれた。


「卒論のために! 森鴎外と与謝野晶子の全集読まされそうになったの!? しかも発表年を比較しながら! すごいね。君の旦那さん!」


「根っからの学者なんです……」


 フリツですら呆れて聞いていた。フリツくん。私の卒論努力の結晶なの。わかってくれる? 胸の大きさで書いたわけじゃないのよ。


「それでね……カブラギさん……」オトが居住まいを正した。


「毎東新聞の文芸欄にコラムを連載しませんか?」







 あんぐりと口を開けたまま、カブラギはパフェのバナナを落とした。生クリームの海にボチャッと落ちる。


「……コラム……? 何をおっしゃってるんですか?」


 オトは新聞を出す。


「毎東新聞は毎週木曜日に『詩壇・論壇』というコーナーを設けてます。具体的に言うと詩や短歌、俳句といったものを一般から募集して各先生に論評をつけていただいている」


「知ってます! 知ってます!! 毎週読んでるし……卒論のために総集編も買いました!」


 河原燈知かわらとうち山陸遅次郎さんりくちじろう、といった現代を牽引する詩人が論評してくれるコーナーだ。


「それはありがとう。それでね。現代短歌を盛り上げるために、新鮮なコラムを書いてくれる人を探していました」


 いやいやいや。いやいやいやいや。言いたいことはわかったけど! 私じゃ! 私じゃないでしょう!


「いえ……あの……私では何も論じられません……実績も何もないし。そもそも卒論1本書いただけのど素人……」


「そういう人を探していたんです」


 パフェのアイスが溶けていくけど、手をつける気になれかった。







「カブラギさん。ご存じの通り。短歌はいまや、『特定の人間がごく狭い中でのみ活躍する場』になっています。お友達で歌人はいますか?」


 はぁ……まぁ……。会ったことはないけど孤月カルマさんとか……新宿歌舞伎町のバナナ半パンはただのエロ親父だし……。


「僕はもっと。日本中で詩というのは読まれるべきだと思う。作られるべきだと思う。そしてその架け橋になってくれるのは、限りなく素人に近い場所にいる人だ。例えばカブラギさんみたいな。『恋』のために同じ詩集を7年も読み続けたような。だからと言って技巧的なことは何もわからないような人」


 紫陽は下を向いた。確かに。『みだれ髪』を7年も読んできた割には短歌のなんたるかまるでわからない。ズッッッブの素人である。


「卒論拝読しました。見方が大変ユニークでわかりやすい。君みたいな人が短歌と若者を結びつけてくれると思いますよ。与謝野晶子が当時の若者を熱狂させたように、短歌と今の若者を繋げてくれないだろうか?」


「は……いえ……でも私与謝野晶子みたいに短歌詠めませんが……」


 オトは朗らかに笑った。「短歌を詠む必要はありません!」


 つまりこういうことだった。

 紫陽はオトから毎月8冊、歌集を受け取る。主に現代の歌人が発表したものだ。その内紫陽の胸を打った歌集を月2本コラム内で紹介する。


 あくまで素人の目線で、難しいことは一切書かないで、なんなら情熱だけでお薦めしてもらいたい。


「与謝野晶子の『みだれ髪』だって、完成したものとは言えないでしょう。仲間内にしかわからない隠語。語彙の間違い。若さ余った気取った言い回し。でも大衆の胸を打つのは『情熱』です。『いかに短歌として正しいか』ではない。わかってくれますか?」


 紫陽はうなづいた。確かにそうだ。『みだれ髪』を読んだとき半分も意味はわからなかったけれど、与謝野晶子の鉄幹への想いが、やはりタカハシを想う紫陽の胸を打ったのだった。


「それに……あけすけに言ってしまいますがね。この間の講演会で登壇した君を見た瞬間『この子だ!』って思いました」


「え?」


「そのビジュアルです。夏目漱石の『三四郎』に出てくる里見美禰子ですよ。官能的ヴォラプチュアスだ。実に官能的だ。肉感的でもある。『美人すぎる新米教諭』で話題をかっさらってくれるはずですよ」


 紫陽は毎東新聞の依頼を受けた。ただし、2ヶ月。つまり4本のコラムでどうにもならなければ打ち切ってもらうという条件をつけた。そんな。新聞に載せていただけるような文章は書けない。ちょっと顔を出したくらいで引っ込むつもりだった。


「そういえば……」といった感じで紫陽は『新宿歌舞伎町雑居ビル地下1階の無茶苦茶な歌会』の話をした。


 オトは腹を抱えて笑い出した。


「カブラギさん。君。すっかりかつがれましたね!?」

「は?」

「その『バナナ半ズボン』が孤月カルマくんですよ」

「嘘でしょ!? あーんなリリカルでアンニュイな歌。バナナ半パンが生み出すわけないでしょ!?」

「いや、歌舞伎町で歌会を主催しているというなら彼です。ほら」


 と言ってスマホの写真を見せてくれた。


「美濃文藝賞」を受賞したときの写真だ。


 ピンクの半パンに麦わら帽である。ダブルピース。口に賞状をくわえていた。『短歌部門 孤月カルマ殿』と書いてある。お前の脳みそに『TPO』って言葉はないのか。こんなヤツだが顔写真は一切掲載NGだそうだ。

 殊勝な顔して賞状を受け取る写真もあった。


 1回目のコラムは『孤月カルマ 虚空にて』に決めた。紫陽は著者に掲載許可のお礼に行った。


 新宿歌舞伎町のビル地下1階のドアを


 バーーン! 


 と開けて


「カルマァ!! アンタよくも騙してくれたねーーー!!!」


 と叫んだのである。


 カルマはそんな紫陽を見て爆発的に笑い「掲載料はおっぱい揉ませてくれればいいよ」と言った。

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【次回作はこちら】『16万年前の隣人』
― 新着の感想 ―
[一言] >「与謝野晶子の『みだれ髪』だって、完成したものとは言えないでしょう。仲間内にしかわからない隠語。語彙の間違い。若さ余った気取った言い回し。でも大衆の胸を打つのは『情熱』です。『いかに短歌と…
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