(22)演劇部部長カブラギシヨウと優雅に差し出されるタカハシの手
引っ込み思案で、いつも背中を丸めて、胸の出ない服をきて、図書館で本ばかり読んで。
そんな紫陽を変えてくれたのはタカハシだった。
紫陽は3年の時。演劇部の部長になった。主役もやることになった。7月の最初の週に演劇コンクールがあり、3年はそこで演劇部を引退する。
和を重んじ人の意見をよく聞く紫陽は人間関係の調整に奔走する羽目になった。
部員と言っても様々で、そこそこやる気のある子と全くやる気のない子の間で年中揉め事が起こる。
特に多寡鶴瑠姫である。
多寡鶴はやる気のない生徒の中でもトップクラスにやる気がなかった。
松桜高等学校は全員何がしかの部活に入るため多寡鶴も仕方なく演劇部に席を置いていた。
演劇部顧問の高橋是也がやる気のない生徒を放置するタイプだったので『楽だから』という理由である。
そうは言っても最後の部活。多寡鶴にも役が与えられた。
ある日多寡鶴とクラスメイトの萌香が揉めだした。紫陽がオロオロ間に入るがつかみ合いの喧嘩になった。
そこにひょいっとタカハシが顔を出したのである。
ペタペタとサンダルの音をさせてタカハシは体育館の入り口から歩いてきた。舞台上では多寡鶴と萌香が怒号をあげてつかみ合っている。
「あ! タカハシ先生!」
タカハシが「やめなさいっ」と言ってくれるのを紫陽は期待した。
ところがタカハシは事態に気づくやパイプ椅子を持って、罵り合う女子高生の真ん前に座った。
一瞬場が「え?」ってなった。
タカハシはニコニコしていた。挨拶をするフィギュアスケーターのように右手を優雅に差し出す。
「どうぞ」
「「は?」」
「続けて」
「「「「「は?」」」」」
仕方なく萌香と多寡鶴は喧嘩を続けた。
「だから! 舞台背景今日までに仕上げてっていったのに何もやってないじゃない!」
「塾だったのよ!」
「そんなの関係ないでしょっ」
タカハシはニコニコと2人を見ている。
「ペンキで白く塗るだけじゃん! なんでそんなこともできないの!?」
「そんなの1年にやらせりゃいいじゃん!」
しかし2人はだんだん勢いを無くしていった。なにせあの『得体の知れない鬼太郎』がずーっとこの喧嘩を見ているのである。
言葉がしりつぼみになっていく。
「とと……とにかくあんたのそういういい加減なところが気に食わないのよ……」
「………………知らないわよ…………」
やがて2人とも黙り込んだ。
タカハシはニッコリ笑うと「大川!」と萌香に向かって言った。「ハイ」
「どういうことか説明しなさい」
「……多寡鶴さんが仕事してくれないんです……」
「多寡鶴!」「ハイ」「どうしてやらないんだ?」「塾で忙しかったからです……」
「カブラギ!」「ハイッ!」「どうする?」
高橋是也という教師は主役兼座長に全て判断させる男であった。どんな細かいことも紫陽にリーダーとして決めさせる。
常に高いリーダーシップを要求した。
「その……。確かに今日までに背景を作り終えてて、月曜日のリハーサルに間に合わせたかったんですけど……」
「うん」
「最悪月曜日までにできてればいいので、明日土曜日に多寡鶴さんに来てもらえれば……」
「はぁっ!? なんであたしが休みの日にわざわざ学校来なきゃいけないわけ!?」
「ルキ。私も一緒にやるから……」
「塾です!」
「それはその。塾は振替でさ……」
それで決まった。タカハシはいつもリーダーの判断を尊重してくれた。
◇
ところが翌日。待てど暮らせど多寡鶴は体育館に来なかった。焦った紫陽が何度もLINEを送るが既読にすらならない。
タカハシが来てくれた。
「カブラギ」「はい」「どうする?」
「私1人でやります」
今、大事なのはリハーサルまでに背景が出来上がっていることだ。紫陽は覚悟を決めた。
「俺も手伝うよ」
ええ〜っ。そんな先生にやってもらうわけには……と遠慮したがタカハシは一緒に白いペンキを塗ってくれた。
紫陽は多寡鶴に感謝すらしていた。大好きな人と、2人っきり。
もう一生ないかもしれない。大切な思い出。
タカハシはどこまでも紫陽の話を聞いてくれた。バレー部がやってくるまでのほんの2時間が、紫陽にとって忘れられない思い出になった。
◇
その後である。
多寡鶴は親同伴で学校に呼び出された。
タカハシは事態を非常に重く見ていた。
『このままでは多寡鶴さんの内申点に影響が出ます』と厳しく告げられたらしい。
多寡鶴は「何であたしがこんな目に合わなきゃいけないの!?」とクラスで泣いたらしい。徹底的に他責思考なのであった。
てっきり多寡鶴がペンキを塗ったと思っていた萌香に謝られた。
「いやいやいや〜」紫陽が謙遜する。
本当にひどい演技だったが、多寡鶴は最後まで部活を休まなかった。




