(19)卒論テーマ提出!
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ことのはも
ときはなるをば
たのまなむ
まつをみよかし
へてはちるやは
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「是也さん! これ『縦読み』です。1番左の言葉だけ拾うとこうなる『こ・と・た・ま・へ』。『琴給へ』。『琴を下さい』じゃないですか!?」
「正解」タカハシはニッコリ笑った「おそらく『琴を貸してください』だ。平安時代ではよく楽器の貸し借りをしていたんだろうね。相手から返事も来ているんだ」
そして文字の下にこれを書いた。
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言の葉は常懐かしき花折るとなべての人に知らすなよゆめ
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「あ! わかります!」紫陽はボールペンを是也から受け取ると続けて書いた。
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ことのはは
とこなつかしき
はなおると
なべてのひとに
しらすなよゆめ
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「『こ・と・は・な・し』。『琴は無し』。断られたんだ!」
「正解」是也にっこり。
「これでわかるのはね。平安時代の人にとって『和歌』は生活の一部だったんだ。結婚するときは相手と歌を詠みかわし、子供が産まれては詠み、死ぬ時だって歌を詠んだ」
『藤原定子みたいにね?』と笑った。
「今のLINEみたいに手紙で人と言葉を交わし合い、その際にも歌を詠んだ」
「はい」
「与謝野晶子にとっても歌は生活の一部だった。『5万首』というのはその結果だ。毎日、毎日積み上がっての数だ。それこそ息をするように歌を詠んだんだ」
「わかります」
「夫が欧州旅行をする際。渡航費を捻出するため晶子は金屏風に100枚短歌を書いて売ったそうだ。その屏風には全てその場で新しく考えた短歌を書いた」
100枚!? ゾッとする話だ。わざわざそんなことしなくても、有名な歌を書けばいいじゃないか。
「そのくらい晶子にとって歌とは自分の一部だった。『呼吸』だったんだよ。晶子の短歌を語るなら、その観点を忘れてはいけない」
「はい……」
是也さん。私なんか。見えてきました!
◇
翌日紫陽は武川智樹のところに『卒論テーマ申告書』を持っていった。もう10月半ばで。締め切りギリギリだった。武川がテーマを読み上げる。
「『与謝野晶子の『みだれ髪』はTwitterである』」
「はい」
武川は「ふふっ」と笑った。口の端から思わず空気が漏れてしまったかのような笑いだった。
「いいね」
「ほんとですか!?」
「そうこなくっちゃ。カブラギさん。誰もね。君に穏当な卒論なんか求めてないんだよ。突飛でどこに結論がくるかわからないやつが読みたいんだ。思わず周りの教授に見せて『頭沸いてんのか』って言いたいんだ。どうせなら大爆死しなよ。何も考えず与謝野晶子に頭から突っ込んでこい!」
「はい!!」
「じゃ。これご褒美ね〜」
バサッと小冊子を渡された。
『同機社大学 第48回 卒業論文集』と書いてある。
「…………何ですか。これ」
「その年の優秀卒論を載せたやつ〜。各教授が3名選ぶの。そこの最初にタカハシのが載ってるから。目次の『最優秀論文』のとこね」
◇
家に帰って紫陽はタカハシの論文を読んだ。ソファに座って。1人、湯気の立つ紅茶を飲みながら。
涙が込み上げてきた。
何これすごい…………。
夫の主張は明確であった。文は平易だが内容は深かった。美濃心に対する情熱と愛に溢れていた。一言一言に気魄がこもっていた。
紫陽はここに至るまで大量の論文を読んできたが、間違いなくタカハシの論文がトップの出来だった。どうしてあんなに吉本教授がタカハシの大学院に固執したのがわかった。
紫陽はあふれる涙を手のひらで拭いた。
こんなすごい人が私の夫なんだ。私と同じ年で是也さんはこれを書いたんだ。
私も是也さんに恥じない論文が書きたい。
紫陽は小冊子を胸に抱きしめた。
◇
図書館に通い詰める紫陽を見て『天野チルドレン』があきれた。
「カブラギさん〜。担当官武川助教授でしょ? 私ら天野だからこれだけど、そんな頑張らなくてもいいんじゃない?」
卒論担当官が誰かなんて関係ないんだ。私はあの日の是也さんに向かって卒論を書いているんだから。
暇があるとTwitterで現代の歌人を探した。与謝野晶子が呼吸をするように歌を詠んだように、この令和の時代にも歌が生活の一部になっている人がいるはずだ。
そして『孤月カルマ』という人をみつけた。
◇
孤月カルマのTwitterはヘッダーに三日月と金星が写っているものだった。
彼が淡々と上げる短歌には深い孤独があり、自問自答があり、明るい諦念があった。
湿った風と乾いた大地のような趣があった。
紫陽は彼の歌に熱中した。
『この人に何が何でも会いたい』と思った頃Twitterでカルマが『歌会』をしていることを知った。
新宿歌舞伎町らしい。
カルマにダイレクトメッセージを送ると場所のURLが送られてきた。
『鏑木さん。当日逢えることを楽しみにしています』と書かれて有頂天になった。
◇
紫陽はドアの前で腰が引けていた。
場所は新宿歌舞伎町である。
何せこの雑居ビル、2階キャバクラ3階4階ソープランド5階が雀荘と来た。女子大生がくるところじゃないよ。
昼の2時とはいえ、怖いものは怖い。
指定場所の地下一階はエレベーターが通ってなくて階段で降りていく。
かびくさい臭いが充満していて壁一面にヒビが入っていた。
ありったけの勇気を出してドアを叩くと「はいは〜い」という場違いに明るい声がした。ガチャッと音がする。
ドアの向こうにいたのは一面バナナがプリントされた上下を着た男だった。下は半パン。モサモサの足毛に裸足。真っ黄色のボサボサ頭に無精髭。目がトロ〜ンとしている。
『ひいっ。ヤクの売人だ! 私この場でヤクを打たれて輪姦されるんだ!!』
『折句とは』ジャパンナレッジ 日本語遊び(8回目)
https://japanknowledge.com/articles/asobi/08.html




